不知火ゲンマとは、中忍試験本選で試験官を務めていた クールな感じの特別上忍。
データブックによれば、性格は「冷静、公平」。 カカシやガイの同期の一人であり、かつて四代目火影の護衛を務めていた事もあるらしく、四代目から「飛雷神の術」を伝授されてもいる(術を使うにはライドウ、イワシと協力して行う)。 火影や上層部の近くに居ることが多く、同期の並足ライドウと共に“護衛のスペシャリスト”でもあります。
前に526話の感想付け加えとして「ゲンマとライドウの会話」という記事を書いたのですが、今になってゲンマという人物の印象が随分変わってきた。 以前は、ゲンマってクールで現実的な人だと思ったのですが、そういう訳じゃあなかった。 今頃になって、実はゲンマって《スゴい人》だったんだとようやく気づいた・・・
というわけで、今回は前記事の訂正を兼ねて「不知火ゲンマ」について少々。
さて、その526話の「ゲンマとライドウの会話」というのが、これ。
(第四次忍界大戦のさなか、五大国の大名達は退屈と不満を言いながらゲームをしたり、勲章のネーミングを考えてヒマつぶしをしていた。 護衛のスペシャリストである二人は、大名たちの「のん気な会話」を聞きながら、こっそりこんな雑談をする・・)
ライドウ 「大名達はのん気なもんだな
勲章なんてもらったところでだが」
ゲンマ 「それが彼らの仕事だ」
「それに勲章をバカにすんなよ
勲章が無くなっちまったら
何が名誉なのか分からなくなっちまう」
「その名誉は誰かが決めねーとな」
ライドウ 「ま・・ そう言われりゃそうだが・・」
ゲンマ 「勲章の事なんて考えてのん気にしてたら
勲章はもらえねーぞ!」
「気ィ抜くな そろそろ移動だ」
(526話より)
ま、たわいもない「たった3コマ」の雑談なのですがね・・・ 実はコレ、とっても大切な深い意味があったのです。
まずは、ライドウが提起したのが「忍世界の問題点」だった。
・ライドウの「モヤモヤ」
ライドウの「勲章なんてもらってところでだが」というボソッとした呟きは、ずっと心の中に在ったモヤモヤなんだと思います。 戦争では大勢の仲間を失い、敵も味方も大勢が傷つくというのに 生き延びて「勲章」なんてもらっても、それって本当に「名誉」なのだろうか・・というモヤモヤ。 おそらく 多くの忍達がライドウと同じことを考えていたんじゃないだろうか。
そもそも、NARUTOの忍世界では「国の為、任務のために心を無くして戦う道具に徹する」ことが要求され、忍達はその事にずーっと悩んできたわけでして・・・疑問を持ちながらも「忍の掟や基準」に己を無理やり押し込んで、思い詰めてしまうケースも多かった。
抑制された《モヤモヤ》は、やがて「忍世界への憎しみ」を生みだし、それが呪いになって、忍世界全体にはびこる《大きな闇》へとなっていく・・
《勲章なんてもらったところでだが》・・
ライドウが呟いたひとことは、これまで忍達が抱えてきた「モヤモヤ」した想いの一端だったのだと思います。
それに対して、ゲンマはいたってアッサリなんですよね。 あまりにも正論でバッサリ切り捨てちゃうんで、ライドウも「ま・・そう言われりゃそうだが」としか言えなくなっちゃってる。
同期なんだから、もうちょっと言い方あるでしょーよとも思うけど、ゲンマにまったく悪気はない。 彼はただ「超ポジティブ」なだけなんです。
・ゲンマの「ポジティブ思考」
まず、ライドウが大名達のことを「のん気」と言ったのに対し、ゲンマは「それが彼らの仕事だ」とキッパリ。 勲章のことだって「バカにすんなよ」と言っている。
勲章も否定しないし、(やや“バカ殿風”な)大名達の事も否定しない。 それぞれ必要だと言ってるんですね。
だけど、「否定しない理由」はこうだった・・・
《勲章が無くなっちまったら 何が名誉なのか分からなくなっちまう》
そして、
《その基準は誰かが決めねーとな》。
つまり、ゲンマは《そもそも この忍世界は「何が正義で何が名誉なのか」全く分からないぐらいに混沌としている》と考えているんですね。 「立場次第」で正義も名誉も簡単に逆転しちゃうし、その基準は「依頼主次第」で変わってくる。
ようするに、ゲンマも「ライドウが抱えているモヤモヤ」はよーく分かっているのです。 そのうえで、お仕事する以上は《何が名誉なのか》という基準(勲章)が必要であり、その基準を決める仕事(大名)も必要だと言ってるんですね。
ライドウも「納得」せざるを得ないんだけど、それでも「ま・・そう言われりゃそうだが・・」と まだ かなりモヤモヤしてますよね。 ライドウだってエリートの特別上忍なんだし、当然そのぐらい頭じゃ分かってる。 分かってるからこそ、悩んでるんですよね・・「頭と心の狭間」で悩んでる。
そして、ここからが肝心なんです。
ライドウが抱えるモヤモヤの「解決法」として、ゲンマが提示したのがコレだった。
「勲章の事なんて考えてのん気にしてたら
勲章はもらえねーぞ!」
「気ィ抜くな そろそろ移動だ」
肝心なのは、この部分。
ライドウは「勲章なんて」と言ったけど、
ゲンマは「勲章の事なんて」と言っている。
微妙な違いだけど、大きく違うんです。
ライドウは「勲章そのもの」に“なんて”を付けてるけど、ゲンマは「勲章の事」(勲章についてあーだこーだと考えること)に“なんて”と付けている。 勲章についてアレコレ思い悩むことを「不必要」とバッサリ切り捨てたのです。
「勲章」は、1つの基準として「必要」なモノだけど、それは大名が決める「1つの基準」でしかない。 だから その基準が正しいのかと悩んだり、 その基準に囚われてその運命にブツブツ言ってても仕方ない。ゲンマはそう言いたかったのだと思います。
で・・ゲンマのこういった思考を理解するには、過去の発言を見ていくのが一番手っ取り早いかもしれません。
・ゲンマの「名言」から見えるもの
まずは、あの有名な「名言」から・・
(12巻、中忍試験本選でのこと。 ナルトとの試合に敗れたネジに、試験官のゲンマはこんな言葉を掛ける・・)
「捕まった鳥だってな 賢くなりゃ自分の口ばしで籠のフタを開けようとすんだ・・」
「また自由に空を飛びたいと あきらめずにな」
(104話より)
この頃のネジは、日向家の「宗家と分家」の定めや運命には逆らえないと考えて、それを呪っていたんですね。 だけどゲンマは「カゴ(掟や運命)なんかに捉われてないで、カゴの中から出る方法を考えろ」とアドバイスしたのです。 いまこれから先、自分に出来ることをやれってね。
日向家の掟だって、おそらく長い歴史の中で教訓を生かして作られてきたものだけど、だからって それに「束縛される」必要もない。 カゴを中から カゴの事ばっかり考えて カゴを呪うのではなく、「いま自分に何が出来るのか」を考えるべき・・・
それがゲンマの考え方なのです。
それは、ライドウに言った事と同じなんですよね。
「勲章の事なんて考えてのん気にしてたら勲章はもらえねーぞ!」
「気ィ抜くな そろそろ移動だ」
「勲章」というカゴ(定められた基準や運命)の中でブツブツ悩んでないで、「今何をすべきなのか、何が出来るのか」を見失うな!今できることをやれってことなのです。
そしてゲンマは、中忍試験ネジ戦でのナルトを観察しながら こんな事も考えていた・・
《やられても 勝つ事を信じ 次を考えて動く・・か》
《自分を信じる力・・ それが運命を変える力となる》
《こいつはそれを分かってる ・・しかも天然でな・・》
(104話より)
《こいつはそれを分かってる》という言い方からして、どうやらゲンマも前々から その事を分かっていたみたいですね。
《やられても次を考えて動く》
《自分を信じる力》
《それが運命を変える力となる》・・・
どんな状況にあっても、《自分》さえ信じて《次》を考えて動けば、運命だって変わっていく・・・だから大切なのは現状ではなく、「先を見ること」なんだと。
ゲンマのその信念は、さらに別の場面でも見ることが出来ます。
(48巻、ペインに破壊された木ノ葉隠れの里の復興作業中、里の惨状を嘆いたコテツに、ゲンマがこう返すのだ)・・
コテツ 「歴代火影達の築いてきたものが全て破壊されちまったな 何も残ってねーよ
まさかこんな事になっちまうとはな」
ゲンマ 「火影たちの遺産は この里だけじゃないだろ」
「・・・オレ達が残ってる」
(451話より)
「里」という入れ物(カゴ)は壊れても、「自分たち」が居る。 今の状況に嘆いたり それを「何かのせい」にして恨んだりせず、「次」を考えろ。 コテツにも《自分が出来ることを考えろ》と励ましてるんですね。
忍世界を覆う闇の原因は、それぞれの「己の中に在るモヤモヤ」から発しているということに ゲンマは前から気付いていた。 それを解決するのは「発想の転換、視点を変えること」であり、「自分自身」であるとも分かっていた。
ただし、忍達がそのことに気付くのは もう少し先なんですよね。
それは64巻・・・
(戦争も折り返し地点に差し掛かった頃、ネジは「己の意志でカゴの蓋を開けて 自由に飛びたつ決断」をする。 それは「もっと先を見るために」己の命を犠牲にし、ナルトとヒナタという「未来」を守ることだった。 先を見据えて、今自分に出来ることをする・・)
ネジが死んでしまって、この時ナルトは大きく迷うんです。 「仲間の死」という過酷な現実に向き合って絶望し、一瞬 心が大きく揺らいでしまうんです。 この世界は闇なのだと・・それから抜け出す方法は無いのかもしれないと。 だけどヒナタに諭されて「ネジの意志」を受け継ぐ決意をしていくんですね。
日向家の呪印に象徴されるような、忍世界の掟や闇。 それまで忍達の心を縛ってきた「大きな鳥かご」・・・
だけど、もうそれに縛られたり呪ったりしない。 ネジのように、自らカゴの蓋を開けて飛び立てばいい・・・
忍達の姿は「巨大な鳥かごから飛び立った鳥」の絵となっていく・・(617話より)
それは、忍達が「己の中に在るモヤモヤ」から己を解き放った瞬間だった。
マダラやオビトは「忍世界そのもの」を否定し、それを「無くす」ことを考えた。 だけど、ナルト達は忍世界(カゴ)を呪うのではなく、そこから飛びたつ事を考えた・・ それを決めるのは「自分たち」なのだと気付いたのです。
その「答え」は、ゲンマが言っていた《捕まった鳥だってな 賢くなりゃ自分の口ばしで籠のフタを開けようとすんだ》そのものだった・・
・・ようやく世界が「ゲンマに追いついた」とでも言いましょうか。
526話の あの「たった3コマの雑談」には、この先ナルト達が立ち向かう《この世界の問題と その解決法》が描かれていた。
週刊連載の限られたページ数のなかに「あの3コマが入れられた理由」はそれなりにあったのです。 だいたいNARUTO-ナルト-って、こういう「一見すると無意味っぽい遊び部分」とか、シリアス展開に突然ぶち込まれた息抜き風な「お笑い場面」とかに、重要な鍵がある事が多いんですがね・・(だから面白いんだけど)。
それにしても・・
かなり早いうちから「己の視点、己の基準」をしっかりと持ち、どんな状況を前にしてもブレず、大切なモノを見極めていた「慧眼の持ち主」不知火ゲンマって・・・
実は「スゴい忍」だったんだと 改めて驚かされるのです。
☆長駄文、読んでくださって感謝。
(ナルト好きブログ! 2021/08/02)