NARUTOを読んでいると、たまにデジャヴな感覚に陥ることがある。 何だかこの絵、前にも見たような・・というね。 絵そのものが似てるというより、見た時に感じる“印象”がどこか似ていると言いますか。
たとえばその1つが、95話と66話のある場面。 95話の絵を見ていたら、なぜか66話のある場面が思い浮かんだのです。 なんでだろうと思ったのですが、その2つの場面には ある共通するものがあった・・
まず1つめがこれ、95話のワンシーン。
これ、ナルトと九喇嘛の「初対面」シーンなんですよね。 それまでナルトは「自分の中に何かが居るらしい」とは感じてたし、「九尾が封印されているらしい」ことも聞いていた。 だけど、実際に会った事は無かったんですね。
ところがある時、自来也がナルトから九尾のチャクラを引き出そうとして、ナルトを崖から突き落とすという強引な手段に出た。 そこで九尾は、自分が助かる為に否が応でも「ナルトにチャクラを貸さなきゃならない」状況になってしまった。
だけど、ここで黙ってチャクラを貸してやったのでは「この先も都合よくチャクラを貸してやる」事になってしまう。 それで はじめが肝心とばかりに、九喇嘛はナルトを精神世界に引きずり込み、
「小僧ゥウ・・もっと近くへ来ィイ・・お前を食イィ殺したいが」なんて威嚇するんです。 ここで「上下関係をはっきりさせておくこと」が、九喇嘛にとっちゃ重要だったのでしょう。
だけどナルトは「初めて見る九尾」にビックリしながらも、気持ちを引き締めて《キッ》と睨んで「コラ アホギツネ! オレの体に泊めてやってんだから 家賃としてお前のチャクラを貸しやがれ!」と堂々と渡り合うんです。
これにはさすがの九喇嘛も「くっ・・・」となってしまう。
九喇嘛は ナルトが赤ん坊の時からずっと見てきたし、ナルトを「威嚇して震え上がらせる」ぐらい簡単だと思っていた…と思います。 なのに怯まず まさかの「家賃としてチャクラを貸しやがれ!」発言。 そこで思わず出たのが「くっ・・・」という言葉だったのではないかと。
この九喇嘛の絵、薄暗くてちょっと見えづらいのですが「くっ・・・」は『食いしばった口元』に書き込まれているんですね。
で・・この絵には《もう1つのセリフ》も描かれているのですが、それが
「・・・・・・・・・」
こっちは九喇嘛の『大きく見開いた目元』に描き込まれているのです。 これは声にならない「心の中の声」なんですよね。
口元に書かれ、声に出しちゃった《悔しさ》は いわば「表向きな感情」。
そして目元に描かれ、声にならなかった《・・・・・》は いわば「心の奥底の感情」。
どっちかというと、声にならなかった この長~い「・・・・・・・・・」のほうが重要じゃないかと思うんです。 静かなんだけど、心の奥底から大きく揺れちゃうような、深く大きな衝撃が伝わってくる。
じゃあ、それは「何」に対する反応だったのか?というと…
それは、ナルトの「目」だったんじゃないかと(推測ですが)。
1つ目のコマ、ナルトが「家賃を貸しやがれ!」と言ってる絵ですが、ナルトは九喇嘛の目をキッとしっかり見てますよね。 怖くても目を逸らさず、九喇嘛の「目」を見返している。 九喇嘛の威嚇に対して互角に渡り合おうと、九喇嘛に負けまいとして・・言葉だけじゃなくて「目力」でも反撃してるんです。 ただし、それは反撃と言っても「憎しみや怒り」の目じゃあない。 九尾と互角に《対等》に向き合い対等に取引しようとする真剣なまなざしなんです。 これが九喇嘛にとって まさかの「驚き」だったんじゃないだろうか。
というのも、それまで人間達の「九尾を見る目」は 憎しみや恐怖、怒りに満ちていた。 あるいは、マダラみたいに九尾を操って利用しようとするか・・ 九尾と《真っ正面から対等に向き合おう》なんてした人は ほとんど居なかったハズなのです。
だから、ナルトが九喇嘛の目をしっかり見つめ返してきたことは 「生意気な事を言ってきた」事以上に《まさか》だったのだと思います。 まさかが過ぎちゃって、もはやこの動揺をどう捉えたらいいか分からないというか「なぜ自分が動揺しているのか」も分からないというか… そういった戸惑いの「・・・・・」だったんじゃないだろうか。 九喇嘛の大きく見開いた目は、その衝撃の大きさを物語っているような気がします。
もちろん まだこの頃の九喇嘛は 人間不信の塊で、この程度で心が解ける筈も無かった。 九喇嘛がガチガチに固めた心をほぐして ナルトと和解するのは ずーっと先のこと。 それでも、あの時に「何か」が始まったんじゃないかと思います。
静かに・・・だけど、確かに。
そしてこの場面と重なるように思い浮かんだのが 66話のこの場面。
これは中忍試験「第3の試験予選」が始まる前、サスケがナルトに「オレはお前とも闘いたい」と言ったんですよね。 で、ナルトは目をまんまるにしてドキンとしてる…まるで 突然好きな子に告白されちゃったみたいな顔になって。
これは、それまでサスケのことを一方的にライバル設定して追いかけてきたナルトが、初めてサスケから《対等な相手》として認めてもらった言葉でした。
普段なら何かしら言い返すナルトが、この時は珍しく「・・・・・・・!!」と何も言い返せなくなっちゃってるんですよね。
で、この時ナルトが《ドキン》としたのは その言葉だけじゃなくて、サスケの「目」・・・ここでも「目」に《ドキン》としたんじゃないだろうか。
この時のサスケも、ナルトをしっかり見てるんですよね。 95話のナルトの絵もそうですが、ちょっと首を引いて上目遣いにする事で《相手の目の一番奥まで見る》感が出る。 食らいつく感じが出るんですねぇ・・目力倍増です。
その目力は 言葉により一層の重みを与え、相手にはその《真剣度》が突き刺さる。
ナルトには、サスケのこの「目」が“効いた”んじゃないかと思うんです。 サスケが しっかり向き合って《オレを見てくれた》・・それこそ《対等》の証ですから。
・・それに、前にこんな事があったんです。
ナルトとサスケの「闘いのはじまり」とも言うべき場面、538話の回想上に出てくる「アカデミーで初めてサスケと組み手をした時」のこと。 ナルトは秒で倒されちゃってサスケに完敗するのですが、拳を振り上げたサスケは ナルトの顔をじっと見つめながらも・・・
《オレを見てねェ》・・見てないんです、目の前のナルトのことを。
視界は ほぼナルト100%のハズだし、サスケが闘っている相手はナルトのハズなのに、確かにサスケの目は焦点がどこにあるんだか分かんない・・・・少なくとも目の前のナルトを全く捉えてない。 おんなじような「マルの中に点が描かれてる目」の絵なのに、左のナルトはサスケを見てるのに、右のサスケはナルトを見てないのが分かる。 ジッと何かを見てるんだけど、何も見てないようにも見える…
まぁそれでも、普通こういう状況だと「相手がどこを見てるか」なんて そこまで気にならないような気もしますが、ナルトは人一倍「他人の視線」に敏感なんですよね。 長い間、他人の冷ややかな視線に晒されて傷ついてきましたからねぇ・・ いつのまにか自然と相手の目から「本心」を察するようになっちゃったんですね。
《この目・・いつもオレを見る皆の目》とか、《くっ・・またあの目だ・・どいつもこいつも・・》とか いちいち反応している事が実に多い。
それだけに、サスケの目が《オレを見てねェ》ことがすごーく気になったんだと思います。 憎しみや怒りに満ちた目だけど《オレを見てねェ》・・・ってね。
そのあと第七班として一緒に行動するようになっても、サスケはいつも「どこか遠く」を見ていた。 当時のナルトには「サスケが何を見ているのか」なんて分からなかったけど、サスケが見ているのが「近くに居るナルトじゃない」ことだけは分かってたんですよね。 それがナルトには《自分なんて眼中に無いんだ》と思えて、なんとも寂しいような やるせない気持ちになってたんじゃないだろうか。
だけど、66話のこの時にやっと「オレを見てくれた」。 しかも、その目は嘘偽りのない「真剣」なものだった… 近くに居ながら見てもらえなかったナルトが、
ついに《対等》な相手として見てもらえたのです。
もちろんサスケとナルトの闘いは この先ずっと続いて、二人が和解するのはずーっと先のこと。 それでも、あの時に「何か」が始まったんじゃないかと思います。
静かに・・・だけど、確かに。
95話の九喇嘛、そして66話のナルト。
長い間 憎しみの冷たい目を向けられてきた彼らが、しっかり見つめてくる相手の「目」にドキンとした「なんとも言えない気持ち」・・・それは素直に「めちゃくちゃ嬉しい」ものだったり、素直には受け取れない「動揺」だったり。 反応はそれぞれだったけど、どちらからも 「本当は見てもらいたかった」という共通する想いが伝わってくる。
九喇嘛とナルトも、そしてサスケとナルトも… 近くに居るのに、まだまだ遠かった。 だけど、あの日「あの目」から始まった… あの時の「なんとも言えない気持ち」から、互いを認め合う道が始まったのだと思います。
☆長駄文、読んでくださって感謝。
☆ちなみに… ナルトはサスケの「オレはお前とも闘いたい」の言葉をずーっと忘れずに大切にしていたのに、その一方で過去の「サスケはオレを見てなかった一件」については しばらく忘れていたんですよね。 逆に、あの日「ナルトを見てなかった」サスケのほうは、その日のことをずーっと忘れずに大切に記憶していたのです(※下記、関連記事参照)。 もしかしたら ナルトは、あの時の嬉しすぎる《ドキン》で、過去の「オレを見てねェ」一件はすっかり忘れちゃったのかな・・
※関連記事