ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

自来也と大蛇丸


最期に「くだらぬ物語だった・・」と自分の人生を振り返った自来也
自来也の後悔人生はいつから始まったのでしょうか。

自来也の人生、前半は順調にみえたんですよね。
才能もあったし、仙術も身につけたし、ミナトという優秀な弟子にも恵まれたし。木ノ葉の三忍とも讃えられ、輪廻眼の長門とも運命的な出会いをして・・・・全て順調。綱手にフられ続けた以外はw

しかし九尾事件の少し前、40歳前ごろから彼の人生は暗転してしまう。
2人の優秀な弟子(長門・ミナト)を続けて失ったこと(失ったと思っていたこと)、これは辛かっただろうなぁ・・。
二人とも「予言の子」となる可能性を秘めていた自慢の弟子(特にミナトは自来也にとって誇りだった)。仲間を守りたいと言っていた長門にしても、天才ミナトにしても・・どちらが予言の子だったとしても、忍の未来は明るく希望が見えると思っていたのではないでしょうか、なのに2人とも若くで世を去ってしまった(と思っていた)。

その後・・木ノ葉崩しでは師・三代目ヒルゼンを守ることも出来ず、友・大蛇丸も止められなかった自来也
この十数年間は、自来也には辛いことばかりだったんですね。
こうして彼の後悔と贖罪ばかりの人生が始まった・・・・。

本来なら三代目を死へ追いやった大蛇丸を憎んで当然なのですが、自来也にとって大蛇丸は「友」。友の罪は憎んでも、友は憎まず。


40巻、これから雨隠れに潜入しようという自来也綱手と昼間からお酒を酌み交わしている場面。
綱手の「まさかあいつが死ぬなんてね・・」という言葉で2人はしんみりしてしまいます。

「昔よく3人で三代目のジジイに・・」と話す綱手自来也綱手にとって、大蛇丸は懐かしい友人であることに変わりはない。懐かしい大切な時間を共有した仲間のことは、どんなことがあっても見捨てることは出来ないものなんですね。彼ら三忍は、過酷な戦場でも共に戦い抜いてきましたし・・その絆は深いはず。

そして、あれだけ不老不死にこだわり続けた大蛇丸が3人のなかで一番早く逝ってしまったことに 世の無常を感じていたのでしょうか・・ 

大蛇丸は、かつて三代目に問い詰められた時、不老不死を求める理由を「ありとあらゆる術をそして真理を手に入れるためには長い長い時間が必要でね」と答えていました(14巻)
しかし本当の大蛇丸が不老不死を求めた理由は別にあります。


両親の墓前で白蛇の抜け殻を見つけた大蛇丸。まだあどけない美少年です(38巻)

それを見ていた三代目ヒルゼンが 大蛇丸を慰めようと思っていった一言・・

「お前の両親もどこかで生まれ変わっているのかもしれないのォ
・・いつかまた大きくなったお前と会うために・・」

イメージ 2


この優しい一言が、皮肉にも大蛇丸の人生を変えてしまいます。

「それっていつだろ」

「さぁてな それはいつだかわからんが」・・・


最期まで大蛇丸の心に去来する、その言葉。
大蛇丸が不老不死を望んだのは、いつか生まれ変わった両親に再会できる日まで・・どうしても生き延びていたいという切なる願いがあったから・・

大蛇丸がおかしくなってきたのは両親を殺されてからだ」(45巻)とナルトに語った自来也。 
大蛇丸の歪んだ発想も、全ては彼の「癒されない悲しみ」に起因していることを、自来也だけはわかっていたのです。

しかし大蛇丸といえば、縄樹が戦死した時
「戦争なんてこんなもんよ 戦場では医者なんていないんだからね」
綱手に冷たく言い放ったり(18巻)、
雨隠れではじめて弥彦たちに会ったとき
「殺す?この子たち」
「ずいぶん戦争孤児を見てきたけど惨いものよ
いっそここで殺してやるのがこの子たちにとっても・・」(41巻)
などと冷酷なことを言ったり。

これらは大蛇丸の非情な心を表しているようにみえますが、これも「両親を殺された孤児」としての大蛇丸の本音だったのかもしれません。
戦争において惨たらしい死はちっとも珍しくは無いし、孤児の苦しみは、はかりしれない。
大蛇丸の孤独、そして両親を奪われた痛みは「三忍」と呼ばれるようになっても変わることはなかったのでしょう。

自来也大蛇丸の本心に気づいていたと思います。わかっていたのに友として何も出来なかった。だから大蛇丸を憎むことは出来ず、ふがいない自分を恨むしかなかったのだと思います。

「ワシは親を殺されてはおらんからの・・」
大蛇丸のことをわかってあげられなかった自分を後悔し続けた自来也

三代目の葬儀の時、自来也は三代目との思い出の場所である演習場で雨に打たれていました。一人で思い出に浸りながら弔いたかったわけじゃなく、葬儀の場に堂々と顔を出す資格が無いと思っていたからじゃないかと思います。
師を守れず、友も止められなかったのだから。。

そんなときに、すぐ傍らにある慰霊碑の前で いつものようにオビトを思い・・かつ自分の頼りなさに後悔しているカカシを見つける自来也
「ふん・・」と言ってちょっと苦笑いしてカカシを見ています。(16巻)

カカシも 友や師を救えず ずっと後悔ばかりの人生を背負っていることを 自来也はよ~く知っています。「ミナト」という大事な人を失った痛みは共有していますし。
この2人・・・同じような人生を生きていてそっくりです。
自来也はカカシを見る度に、鏡で自分の見たくない姿を見せられているようななんとも複雑な感情に襲われるのだと思いますw

そんな2人が共に思うのは、ナルトには同じような苦しい道を歩ませたくないということ。
一度はナルトにサスケを諦めるように言った自来也ですが、ナルトの諦めない選択に、自分とは違う未来や可能性を見出します。

後悔ばかりしていた自来也に、ようやく光が見えたのは皮肉にも最期の時。
ナルトこそ予言の子であり、自分の人生もけして諦めることのない人生だったと思うことが出来た・・
自来也は最後まで大蛇丸のことも諦めてはいませんでした。
大蛇丸のことを見捨てることなく、ひたすら追い続けていたのですから・・

自来也の抱えてきた重荷や後悔は深く、計り知れませんが・・そんな苦しみを内に秘め、豪快に笑ってみせる・・そんなところが豪傑らしい。
自来也の人間としての器の大きさ、魅力を感じます。




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