ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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忍の生き様、死に様って・・・・?(ちょっと思ったこと)

忍の生き様、死に様って・・・・?

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穢土転生、カブトのいうところの「モロモロ」メンバーの中にいる、白。相変わらず美しいってばよ・・・w 再不斬は「水影暗殺(失敗?)クーデター失敗」という過去をもっていますが、同じく穢土転生されている四代目水影やぐらや、今の水影様を見たらどう思うんだろうな・・・
 
血継限界をもって生まれたがために悲しい運命に巻き込まれた白や君麻呂。彼らは戦乱の世では便利な戦争の道具として扱われ、平和な世では危険な過去の遺物として怖れられて・・・・
 
白は、一番辛い事とは《自分がこの世にまるで・・・必要とされない存在だという事です》と言っていましたよね・・・。 君麻呂も、白も。 自分を「必要だ」と言ってくれた人達のことを辛いこの世から自分を救ってくれるような存在に感じてしまったんでしょうか。
 
君麻呂と闘い終わったあと、我愛羅はこんなこと言ってるんですよね、
 
「崇拝する者が大切であれば大切である程・・・その大切な者の為に闘う・・・」
「己にとって大切な者が必ずしも"善"とは限らない・・・
たとえそれが"悪"だとわかっていても 人は孤独には勝てない」
 
この言葉、読んだ時に なぜか心に残ったんです。 我愛羅自身も同じような闇を歩いてきたから、敵である君麻呂の気持ちもわかってしまったんだな・・・と。
我愛羅の抱えていた孤独がどれほど深かったのか、あらためて思い知らされたというか。 横で聞いていたリーが今ひとつ我愛羅のいってる意味がわからないようだったのが対照的だった。。 
 
孤独や絶望に生きる者にとって、この世そのものが「闇」なわけで、その闇から救ってくれる人物がいれば、それが「悪」といわれる存在であろうと、彼らにとっては大切な者になっちゃう。
 
トビが、「人をコントロールするには心の闇を利用するテクニックが必要だ」なんて言ってましたが、鬼鮫長門もトビに救いを求めたのだろうし、君麻呂も大蛇丸に救いを求めた・・ってところでしょうか。 白も同じ・・・「言いつけを守るただの道具として お側に置いてください・・・」と再不斬に絶対的な服従を誓っていたわけですよね。
 
ただ道具として存在していた彼らが 最後の最後に自分の意志を選択した・・ それが「大切な人を守る」という死に様。
それは同じく穢土転生されているネジの父・ヒザシも同じでしたよね。 宗家を守る分家としての生き方しか許されなかったヒザシが、最後にした選択は「兄・ヒアシやネジ、里を守ること」という選択だった。
 
う~ん、まさに「忍は死に様の世界・・・」。 
 
鬼鮫の死を見たガイが、ナルトに言うんですよね、
「敵ながらアッパレだ! 忍の生き様は死に様で決まる!」
 
自来也も「忍の価値は死に様で決まる」って言ってましたが、これは昔からそういわれてきたことなのか、忍達は師から弟子へ、親から子へ・・・そう教わってきたことなのだろうか。
 
確かに仲間を守って、大切な人を守って死んでいくことはあっぱれで、カッコイイ最期なんだろうなぁとは思うんです。でも、それって・・・本当にそれでいいんだろうか;
「死」でしか解放されない、忍の生き様。
なんかなぁ・・・仲間を守る為の戦いという名目で、多くの忍が死んでいき・・・彼らは英雄と呼ばれ、「慰霊碑」に名を刻まれる。 「忍は死に様」とすることで、彼らの人生も肯定される・・・でも、同時に戦いも肯定されてしまう気がする。
 
綱手が、アスマを失った第10班に「成長しろ・・・忍には死がついてまわる・・」と言っていた。忍の世界には戦いと死はどうしてもついてまわる。厳しいけどそれが今までの忍の世界の現実ってもんなんですよね。
 
四代目が、ナルトの意識の中でこう語りかけていましたっけ・・・
 
「大切な者を救おうとする事で戦いが生まれ 愛が存在し続ける限り同時に憎しみが生まれ憎しみに忍が利用される」
 
「この忍のシステムがあるかぎり 憎しみというバケモノはまた新たなペインを生み出していく」
 
「死」で解放されると言ったら日向一族もそうだし、そしてかつての「根」もそうだった・・・。生きている間はずっとダンゾウの呪印に縛られっぱなし。そこに「自分の意志」の存在は許されない。
 
ダンゾウが根の忍に施した「呪印」。あの呪印が根の忍を「掟を守るただの道具」に変えていたわけですが、ダンゾウの死によって呪印が消えた・・・・ダンゾウの死で、根は解放されたわけですよね。 これって、掟や命令を守るただの道具から、忍達が解放される時代が来た・・・ということなのかな。 ダンゾウの死は1つの古い時代の終焉の象徴だったのかなと思えるんです。
 
トビが、サスケにダンゾウを倒させようとしたのは何故だったんだろう。
ただ、「眼」の成長のために、憎しみを増大させる相手として最適だったからなのか。
「シスイ」の眼が欲しかったのが本音なのか。
それとも・・・掟に捉われた「古い」忍の時代を終わらせたかったのか・・・・?トビの「本当の目的」は未だ、仮面に隠されたまま・・・。
 
戦争を知らない新しい世代が混ざった、忍連合の混成部隊。 彼らが初めての戦争に何を見て、何を感じて・・穢土転生された忍達に会って何を学んでいくんだろう?
そして「戦いの道具」として大量生産された白ゼツコピー軍団と対戦して、何を考えるんだろう?
 
ナルトだけじゃなくて、ナルトの同期、他の里の同世代・・・「戦争を知らない世代」が、どう戦争をとらえて流れを変えていってくれるのか?ってのが、これから先ちょっと楽しみです。穢土転生軍の面々のことを思うと、ちょっと気も重たくなるけれど(汗
我々「戦争を知らない」読者も、NARUTO世界とは事情が違うとはいえ、色々考えされられてしまう。
 
ナルトは長門に言っていたっけ、
 
「オレは師匠みてーに本は書けねーから・・・だから・・」
「続編はオレ自身の歩く生き様だ」
 
忍の生き方は死に様で決まる時代から、忍は「生き様」で決まる時代に・・・・なるのかな。
 
 
☆ダラダラっと、思ったことを突然書いてしまいました;
読んでくださった方・・・ありがとうございます。