シカマルと 将棋の「駒」
《チョウジとシカマル、4歳の頃。》
シカマルというと、将棋・・・アスマと将棋を指してる姿や、一人で駒を並べて考え事をしている姿が目に浮かびます。 彼の「相手の作戦を読んで先手を打つ」作戦は、将棋そのもの。 シカマル自身は派手な金や銀ではないけれど、うま~くフツーの駒を動かして金や銀に勝つのが上手いですよね。 そして、誰もが「それじゃ無理だ」と諦める局面でも、けして逃げない。
逃げて自分の筋を通さないことを、シカマルは「めんどくせ~こと」と言う・・・。
シカマルのそういう部分って、うんと小さい頃から変わってないんですね。
・・・たぶん、シカマルがはじめて『逃げて自分の筋を通さないことを、めんどくせ~と思った』のは、4歳の頃・・・・
21巻でチョウジが思い出してる『シカマルとチョウジが初めて会った日』に、その原点があったんじゃないかと思います。
・・・チョウジとシカマル、彼らが初めて「友達」になった日のエピソード・・・
『だってお前が入ったチームの方が絶対負けちゃうもん』
『お前鈍感だもん』
・・・残酷だなぁ~・・。でも、幼い子って、悪気なく?こういうことハッキリ言ってしまうんですよね。
その時シカマルは初めてチョウジに会ったみたいで、名前も知らなかったんです。 それでもシンタの言い方に シカマルは《カチン》ときたようで、チョウジを庇います。
『・・・・けどよ それじゃ人数が合わねーだろ 』
『将棋だって 同じ数の駒があっからおもしれーんだぞ』 と。
将棋の駒、ってこの時から言ってるんですね でもシカマルって、下忍になってからアスマに誘われて将棋を始めたんじゃなかったっけ? そんな話が36巻で描かれていたような気がしますが(まぁ将棋そのものは シカク父さんがやっているのを見ていて知ってたのかな。・・・・というか、めんどくせ~からそういうことにしておく)
心の優しいシカマルは、チョウジが仲間外れにされて悲しそうにしているのを 黙って見ていられなかったんだろうなぁ。
シンタがチョウジを排除している理由は「チョウジは鈍感だから」。・・・・って、なんだかなぁ、これって感情的な理由で幼稚な理由ですよね(まぁ4歳児だし。)
それに対して、シカマルの反論は『忍者ごっこも将棋と同じで 両チームとも同じ数いるからこそ面白いのだ」なんて・・・・・根拠を挙げて攻めるなんて、とても4歳児とは思えません
シカマルはチョウジの事を知らなかったから、《なんでチョウジがそこまで嫌がられちゃうのか?》 理由もハッキリはわかってないんです。 なので、《そんなことない、チョウジは強いぞ》とか、《あいつだって力があるから役に立つ》とか、具体的反論は出来なかったんですよね。
だからこそ、「同じ数いたほうが面白い」という、客観的な理由で反論をした。・・・相手の言い分を否定するのではなく、こうした方が面白いという提案をする形で意見する。これ、高度な駆け引きというか
小さな子にしては理性的・理論的で、IQ200の片鱗がすでに見えてますね~。。
でも、シンタも言い返す。 「役に立たない駒なんて始めっからないのとおんなじだろ!」と・・
これにはシカマル、「・・・・・・」と無言でムッとしてる。
その場にいる他の皆も、言いたかったことをシンタが代弁してくれたと思ってたんじゃないかな・・・。
その中で、シカマルだけが《何か解せないような、納得できないような》表情をしてる。
でも、シンタの「チョウジは役に立たない駒」発言に対して、チョウジの事を知らないシカマルは反論できない・・・シンタは実際にチョウジを知っているのだから・・。
シンタの〝情報〟によればチョウジは「鈍感」。
そしてシンタの〝分析〟によれば、「チョウジが入ったチームが絶対負けてしまう」。
で、シンタが出した〝結論〟は、「役に立たない駒はいらない」。・・・
なんだかなぁ、こういうのって大人の忍でも シンタと同じような発想をして同じような結論出してますよね。
・・でも、シカマルはそういう発想に疑問を持った。
シカマルがチョウジをかばおうとしたのは、もちろん彼の生まれ持った「優しい」性格による本能的な行動だと思うんですが、それだけじゃないというか・・・そんな理由だけで「いらない駒」と決めつけちゃうのかよ?と納得できなかったんじゃないかと思うんです。
シカマルは反論を諦めたというよりは、「あいつは役に立たない駒だ」と決めつけるような発想に、「モヤモヤした」静かな怒りを持ったような気がします。
で、シカマルが出した答えは「めんどくせ~からオレも忍者ごっこは抜ける」というもの。
納得できないまま モヤモヤ感を抱えながら・・・・そんな彼等と一緒に遊ぶなんてことはシカマルには出来なかった。
妥協し、筋を通さないまま遊ぶなんてことは、シカマルには「めんどくせー」ことだったのだ。
シカマルは彼らのところから抜けて、チョウジに言った・・・
《へへ・・・めんどくせーから抜けてきた》
あの時の〝納得できないモヤモヤした静かな怒り〟・・・これがシカマルの忍道に大きく影響を与えているんじゃないだろうか・・・?
・・・・・・・37巻、あれから12年経ち・・・・
シカマル達第十班は アスマ先生の弔い合戦に向かおうとしていた。綱手は「犬死にしたいのか」 「現実を見ろ」と言ってシカマル達を止めようとする。
アスマという隊長がいない第十班3人が突っ込んで行っても、〝暁〟相手に勝てるわけがない・・・・綱手は情報や経験をもとに そう判断した。 アスマを倒した相手に 経験も無い中忍3人が勝てるはずもない、と。
でもシカマルは、明らかに不利と思われても、諦めてはいなかった。
『オレ達だって馬鹿じゃないッスよ 死にに行くつもりなんて毛頭ないッスから…』
経験も無い中忍3人・・・たいして強そうでもない将棋の駒が、飛車角行に勝てるわけがない・・・誰もがそう思ってそう決めつけてしまう。
でも周りの言う事を聞いて「無理だからやめておく」という選択・・・それは、シカマルが4歳の時に感じた「モヤモヤ」と似たようなものだったんじゃないだろうか?・・・・はじめから「勝てない駒」と決めつけてしまうこと、納得できないまま その意見を受け入れて 向き合うのを止めてしまうこと・・・
それはシカマルには「めんどくせー」ことだったのかもしれない。
『ただ…このまま逃げて筋を通さねェまま生きていくような…』
『そういう めんどくせー生き方もしたくねーんすよ』
シカマルの諦めない、『筋を通す』将棋・・・・その考えは、4歳のあの時から変わっていない気がします。
☆駄文、読んでくださった方・・・ありがとうございます。 ご意見、反論等々、頂ければ幸いです。
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