ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

NARUTOに登場する「電柱と電線」

何となく気になる風景・・・・NARUTOに登場する「電柱と電線」

今回は、NARUTOに登場する風景の中の、脇役中の脇役・…電柱(電信柱ともいう)の話です。
 
NARUTOの背景には、よく電柱や電線が登場しているんですよね。 木ノ葉の里も至るところに電線が張り巡らされているし、NARUTO世界では実に沢山の電柱や電線を目撃します。
最近我々の世界では、電柱は「景観を損なう」とか「スペース確保の邪魔になる」などの理由で邪魔物扱いされて地中化が進み、場所によっては姿を消しつつありますが・・・;でもNARUTOの世界ではまだまだ存在感がありますね。
 
今週548話巻頭カラーの絵・・・ナルト達がまったりと過ごす夏休み風景にも、その背景にはしっかりと「電柱と電線」がいますw で、これがまたいい味わいを加えているんですよね~・・。
電柱と電線が描かれていると、なぜか「この光景、いつかどこかで見たかも」・・なんて気分にさせてくれるんです。 電柱が並んでいる風景って・・・なんだかちょっと、懐かしい。
 
数えきれないほど登場する「電柱のある風景」ですが、中でも特に印象に残っているのは・・・36巻に出てくる風景なんです。
 
・『36巻に出てくる電柱の風景』
 
36巻の323話から 328話の背景に登場する「電柱」。
これはアスマVS飛段の場面なのですが、その背景に縦一列に並んだ電柱と電線が登場します。 
この場所、とても虚ろで・・・雨の音以外は何も聞こえてこないような・・・・茫漠とした寂しい場所なんですよね。
 
 
イメージ 1
 
アスマという大船から いきなりモヤのかかった大海原に放り出されたような気持だったはずのシカマル達。 一直線に果てしなく続く電柱の列は、がらーんとした空間の《奥深さ》を効果的に表現しているんです。 寂しい「膨大な空間」は、シカマル達の心の描写そのもの、と言ったらいいでしょうか・・・・
  
いつもそばにいてくれたアスマが、これからは『いない』という・・・にわかには信じられない現実。 でも何ごとも無かったかのように立ち並ぶ電柱の列は そこには何も変わらず日常の時間が泰然と流れているという事実を 無言で語っていたような気がします。 先が見えなくても、アスマが命懸けで遺した情報を無駄には出来ない、進むしかない・・・。 
アスマの弔い合戦に出発する時 シカマルは「このまま逃げて 筋を通さねェまま生きてくような・・・めんどくせー生き方もしたくねーんすよ」と言っていましたが、あの時シカマルの目に入ってきた「見えない先へと続いていく電柱の光景」が、シカマルを泣いてばかりいられない・・・と現実に立ち戻らせたのかもしれません。
 
その他にも、電柱の並ぶ一本道は17巻149話、自来也がナルトを連れて綱手探しの旅に出る場面でも登場しています。  果てしない先まで続く電柱の列は「遠い見えない未来」・・・自来也にとっては覚悟を決めて進む未来であり、ナルトにとっては楽しみな未来であり・・・異なる想いを抱いた2人の行く末を示すかのような電柱の風景、これもまた心に残る景色なのです。 
 
そういった整然と並ぶ電柱列もあれば、家々の間を絡まるように走る電線もある・・・木ノ葉の里もそうですが、雨隠れの里の街にも電線が無数に張り巡らされています。 35巻の最終ページ《世界を征服する・・・》とペイン天道が世界の天辺から見下ろしている街の風景・・・細く縦に伸びた建物をつなぐように無数の電線が走っているんですよね。
 
雑然としていたり、あるいは個々が己を主張するかのように林立する・・・そんな建物を繋ぎ止めるかのように走る電線・・・なんだかなぁ、それは必死につながりを求めている忍達の心の風景にも見えてきます。 
ナルトも 電線が交差し合う里の空を見上げては つながりってものを探していたんじゃないかな・・・。
 
NARUTOを読んでいると、たまにノスタルジックな気分になることがあるのは・・・そこに見慣れた電柱や電線がある、というのもその理由の「1つ」なのかもしれません。
 
 
 
☆長駄文、読んでくださって感謝。