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「勝つ為の選択」・・・ ドダイが出した「究極の二択」の答え(第561話感想つけ加え)

「勝つ為の選択」・・・ ドダイが出した「究極の二択」の答え

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雲隠れの忍・ドダイ。
三代目雷影の時代から雷影の側近として仕えてきた、血継限界・熔遁「護謨(ゴム)の術」を得意とする・・・・・・
通称、 「ゴムのオッチャン」
 
世代的には自来也ぐらいなのかな。 我愛羅率いる第四部隊の、テマリ小隊に属する連絡班員。
第561話では、マダラの2連発メテオからナルトを「護謨の術」で守ってくれたオッチャ・・・忍です。
 
『ゴムのオッチャン、なんで分身のオレなんかを・・・!?』
『他には悪いが・・・ 分身でもお前の力を欠くわけにはいかん』
 
『・・・・・勝つ為だ!』
 
空から迫る、恐るべきマダラの「隕石」。 
周りの「限りある命」を救うのか、「影分身でしかない」ナルトを救うのか。
突き付けられた《究極の二択》の中で、ドダイが出した答えは・・・
 
「戦闘力の高い、影分身のナルトを救うこと」でした。
 
ここに居るナルトは影分身だから、マダラの隕石を喰らっても「ボフッ」と消えるだけ。
でも周囲に居る忍達は「たった一つの命」。
影分身のナルトを諦めれば、ドダイは他の大切な命を1つでも救えたかもしれない。 
でもドダイは影分身のナルトを選んだのです・・・「勝つ為」に。
 
倫理的に考えれば、影分身より実体の命を救う方が正しいのかもしれない。でも、ここで貴重な戦力ナルトを失えば勝利の可能性を減らすことになり、最終的に犠牲者を増やす結果になってしまう。
目の前の1つの命より、先にある多くの命を救うための苦渋の決断・・・・まさに究極の辛い二択です。
 
ドダイはナルトという戦力こそが「勝利の切り札」と判断し、ずっとナルトの影分身を守ることに専念してるんですよね。分身ナルトが第4部隊に到着した直後からずっと、です。
 
分身ナルトは、テマリ率いる小隊の戦場に突然現れて いきなり三代目雷影に螺旋手裏剣をぶつけたんですが・・・それを見たドダイは、ナルトの『戦力の高さ』をすぐに認識したようでした。
 
それからというもの、ドダイはナルトの側に付き添いひたすら守り続けているんです。
三代目雷影の「突撃」が始まれば襟を引っ張って非難させ、雷影が壁を突き破って来れば今度は抱きかかえて高いところに避難させて。・・・・さらに雷影が近づくと、今度は「熔遁・護謨玉」でナルトをガードして。
 
とにかく徹底して「ナルトを守る」・・・ドダイは誰に頼まれたわけでもなく、命令されたわけでもなく・・・自分の判断でナルトを守り続けてるんです。 
戦力の要である「分身ナルト」を守ることが勝利への切り札・・・ドダイの判断は、数多くの戦いを経験してきた者ならではの鋭い判断だなと思わされます。かなりの切れ者ですね、ドダイという忍は。
 
・・・・そして、今度はマダラの攻撃からもナルトを守ったドダイ。
 
ナルトは「分身のオレを守るより 他の人達を守ればいいのに、なぜ?」と思ったみたいですが、ドダイにしてみれば これは「勝つ為のセオリー」。
 
しばしばこういった辛い二択を迫られる・・・それが戦争、戦いというものなのでしょうか。
多くの実戦を経験しているであろうドダイは、この二択に「感情」を挟んでいては勝つことは出来ないことを よ~く知っているのだと思います。
 
『サスケと木ノ葉を天秤にかけられるのか?』
『忍は時に厳しい選択を迫られることだってある』 
 
・・・これは例の、イタチがナルトに「シスイの別天神カラス」を託した時の言葉です(第44巻)。
 
大切な1つの命を選ぶのか、大勢の命を選ぶのか・・・・究極の選択を迫られた時、忍は「将来的に見て、より被害が少なく手済むほう」 あるいは「里にとって勝利につながる方」を選んできたのだと思います。たとえば「個人よりも里」を。 (こういうのも功利主義というのかなぁ)
 
この厳しい選択については、ナルト達が忍としてのスタートを切った「第一回鈴取り合戦」の時に、既にカカシが教えています。
『サクラ!ナルトを殺せ さもないとサスケが死ぬぞ』
『と・・・ こうなる 人質を取られた挙句 無理な二択を迫られ殺される 任務は命がけの仕事ばかりだ!』
と・・・(第2巻で)。 
アカデミーを卒業したばかりの彼等にとって、それは衝撃的な別世界の話であり「あり得ない選択」だったと思います。でも現実の戦いの世界では、そんなことは日常茶飯事だったわけです。
 
イタチも、カカシも、ドダイも・・・ 実際に数多くの戦いを生き抜いてきた忍達は、現実の厳しさをイヤってほど知ってるのでしょう・・。
そしてその「現実」を、ナルトは身をもって体験したわけです。自分が選択したわけじゃなくて、選択「された」のだけど。
 
第561話でのドダイとナルトの会話は、小さな1コマで何気なく交わされていますが・・・実は重たい「忍世界の厳しい現実」を伝えています。 
そして、この先ナルトが立ち向かわなくてはいけない「究極の二択」・・・・
《サスケか里か》という問題に立ち向かった時に、ナルトが最終的にどんな答えを選択するのかという問題につながっていく気がします。
 
イタチと会ったあの時、ナルトは「サスケも木ノ葉も両方守る」と・・・どちらかを捨てるのではなく『両方を取る』という、忍世界の常識ではあり得ない答えを言ってみせました。
でも戦争では、感情を捨てざるを得ない「究極の二択」が 当たり前のように行われているというのが「現実」・・・・
 
《お前の話は絵空事ばかりだ・・・》というイタチの言葉は、厳しい現実を知る者ならではの言葉です。
ドダイの「他には悪いが」という言葉にも、理想的な事ばかり言っていられない現実が滲んでいます。
 
究極の二択・・・・それは1つを選択すると同時に、1つを諦めるということ。
 
ナルトは気付いているだろうか・・・
「勝つ」という目的のために、こういった小さな諦めが すでに戦場のあちこちで生まれていることを。
2つを天秤にかけることの難しさを。
そしてナルトが出そうとしている「両方」を選択するという答え・・・それが現実には いかに難しいかという事を。
 
戦場で生まれ始めている小さな諦めにどう向き合っていくのか。 これも これからナルトが向き合っていかなくちゃいけない問題なのかもしれません。
 
ちなみに、オオノキも《己も捨てず、里(世界)も捨てず》という「両方」を拾うことが出来たら・・・
本当の意味で「両天秤」になれるんじゃないかな。
・・・・・
 
マダラの登場で、戦場全体で生まれ始めている「小さな諦め」の流れ。
小さいジイチャンが、その流れを変えてくれる「キッカケ」になってくれる事に 期待してみるとしましょうか・・・。
 
 
 
 
☆長駄文、読んでくださって感謝。
 
 
 

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