ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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うちはの家紋と「火を操る者」の意味・・・マダラの団扇

うちはの家紋と「火を操る者」の意味・・・マダラの団扇

「あっちのマダラ」と「こっちのマダラ」。
五影達にとっては「どちらも敵」って事で、大差ないのかもしれないけど・・・でもあの二人、タイプが全然違うんですよね。 本マダラは力を求めるライオンみたいだし、偽マダラは知略家タイプ。 いわゆる「肉体派」と「インテリ」ってやつでしょうか。
 
カブトが「あの偽マダラが計画通りに事を運ぶつもりがあるのかどうかは分かりませんが・・」と言った時、マダラの眼は遠くを見つめていましたよね・・・。 「あいつ(偽マダラ)」はマダラが最も信頼できる相手であるけれど、でも「基本的に考え方が違う」人物なのかもしれない。
 
あっちのマダラ(トビ)ですが、もう偽マダラと知れ渡ってしまって今さら「本マダラ」のフリをする必要はないんですが、それでも背負ってますね~マダラの証拠とも言えそうな「大きな団扇」を。
 
43巻にある終末の谷の戦いの絵では、マダラはあの団扇を右手に鎌を左手に持ち・・・満月を背に高く跳びあがっている・・・・・「うちは」の証明をしようと千手に挑戦状を突きつけた男の誇り高き姿がそこにはあります。
 
《うちはの家紋は 火を操るうちはを持つ者の意》・・・・・
 
うちは一族が必ず背中につけている団扇マークの「家紋」、それはうちはの誇りの象徴でもあるんですよね。
 
そして『火を操る者』とは、《うちは一族は火遁が使えて初めて一人前と認められる》という言葉が示すように 火遁を意のままに操ることが出来る者という意味でもある。フガクがサスケの「素質」を見極めるために、最初に教えたのが「火遁・豪火球の術」でしたよね。 
 
《うちはの家紋は火を操るうちはを持つ者の意》というこの言葉も、うちは一族の歴史の中で家紋と共に大切に受け継がれてきたんじゃないかと思うんですが、これって・・・元々はうちはの石碑に書かれた(普通の写輪眼でも読める)内容なんじゃないかと想像しています。だから一族はずっとこの言葉を大事にし、団扇を家紋として誇りにしてきたんじゃないだろうか、と・・・・。
 
イタチがうちは事件の日、サスケにこんなことを言ってますよね・・・・
 
『南賀ノ神社本堂・・・その右奥から七枚目の畳の下に 一族秘密の集会場がある』
『そこにこのうちは一族の瞳術が 本来何のために存在するのか・・・』
『その本当の秘密が記されている』、と。
 
その瞳術が本来何のために存在するのか、その真実は写輪眼→万華鏡写輪眼→輪廻眼の順で読めるようになるにつれ「秘密」が明かされる。つまり「その資格者」にだけ秘密の回答が与えられるように導かれていくのではないかと思うのですが・・・・実はその「秘密」の入り口第一歩であり、かつ重要となる言葉が『うちはの家紋は火を操るうちはを持つ者の意』なのではないかという気もするんです。
 
でも穢土転生されたマダラはこの団扇を持っていないですよね。 穢土転生は忍具を持っていない状態で口寄せされるので、持っていなくて当然なんだけど・・・でも、そもそも今の「穢土転生マダラ」にあの団扇は必要ないんじゃないだろうか・・・?
彼が今使っているのは、六道の力。つまりうちはの力と千手の力両方を一人で持っているわけで、今のマダラに「火遁を意のままに操る団扇」など、もはや必要ないのかもしれない。 
 
でも、トビは大事そうに背負っているんですよね。しかもアジトの室内でも、今ここでは必要ないでしょ~よと思う場所でも背負っている。 それに大事そうに近くに置いたりもしているんですよね。 
だいたい、トビの「謎の写輪眼保管庫」にも誇らしげに「うちはの家紋」がついていて、トビは家紋を大切にしているんです。 つまり・・・トビは《うちはの家紋は 火を操るうちはを持つ者の意》という言葉も大切にしているのかもしれない。 そしてこの言葉・・・実は意味が深いのでないか、という気がしています。
 
うちは一族が「火を操る者」ならば、千手は「火の意志を持つ者」ですよね。
この場合の「火」・・・つまり赤く燃える火を「九尾(尾獣)」と解釈することもできるのではないか、と考えています。 (ナルトは九尾チャクラを赤いチャクラだと言っているし・・)
つまり、うちは一族は「火を操る者=九尾を操る者」であり、千手は「九尾の意志を持つ者」とも解釈できるんじゃないだろうか、と。・・・
 
今まで、九尾は人間共の憎しみに利用されてきたせいで《憎しみの塊》になってますが、本来は純粋な「愛情の塊」なんじゃないかと思ってます。ピュアな九尾チャクラは生命力に溢れていますから。・・・つまり「九尾(尾獣)の意志=愛情」と解釈できるんじゃないかと思うんです。千手は「九尾の意志(愛)を持つ者」という意味かと。
 
本来、うちは一族は「火を操る者」・・・それは火遁を操って大きく出来るという意味もあれば、さらに進んで九尾(火)を意のままに操るという意味にもなり、そして最終的には「火の意志(愛情)」をさらに大きく出来る者、という解釈に至るのではないだろうか・・・・?と。
 
但し、その最終的な解釈に至るには「千手」と「うちは」が和解し協力することが条件になるんですよね。
千手とうちは・・・「火を操る者」と「火の意志を持つ者」が、《どちらが強いか》争っている間は、この「答え」はありえないんです。「運命に選ばれし者達」であったマダラと柱間が「最終的な答え」に到達できなかったのは、2人が《どちらが制するか》争ってしまったからだろうか・・・。
 
そういう意味で、ナルトが「性質変化の優劣」をヤマトに習った時の言葉の意味は大きいと思うんです。
 
『オレってば、サスケとの相性良かったんだな・・』
『ああ・・・雷に勝てるのは風だけだ』
『イヤそっちじゃなくて…』
『?』
『“火”を助けて さらに大きな力にできるのは “風”の力だけだって事だよ』
 
ヤマトも驚いていましたが、普通はこういったナルトみたいな発想は出来ないですよね。ナルトはライバルに「勝つ」ことじゃなくて「ライバルと協力して助ける」事を考えてる。・・・実はこのナルトが言った言葉は「逆」で、
『火の意志(愛)を助けて さらに大きな力にできるのは うちはの力(火を大きく出来る団扇を操る者)だけだって事だよ』・・・が「答え」なのではないか、という気がします。
今までは、そこに至る「うちはと千手が協力しなければならない」という発想が出来なかったわけですが、ナルトのこの発想こそが長年誰にも出せなかった「答え」を導くのではないか…と思うのです。
 
『うちはの家紋はその誇り高き一族の証でもあるんだよ』・・・
 
かつてサスケをおんぶしながらイタチが語った「誇り高きうちは一族としての言葉」。
その団扇が《誇り高き象徴》としてあるのは、火を大きくし燃やし尽くすからでもなく、尾獣を利用して力を得るからでもなく・・・《火の意志(愛)を大きくする事が出来るのは「うちは」だけだから》なんじゃないだろうか。
 
そしてそれが、本来「うちはの瞳術が存在する理由」であり、六道仙人が伝えたかったメッセージなのではないだろうか・・。だからこそ、うちはにとって「団扇(うちは)の家紋」は誇り高き一族の証となるのではないのか・・・と思えるのです。
 
出陣直前、団扇を大切そうに傍らに置いて 外道魔像を見つめていたトビ。その眼が見つめる先にあるのは・・・・・穢土転生された「マダラ」なのだろうか。
 
 
 
☆長駄文読んでくださって感謝。
 
 
 
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