ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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「運命に選ばれなかった者達」の選択

「運命に選ばれなかった者達」の選択

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「あっちのマダラ」と「こっちのマダラ」。
五影達にとっては「どちらも敵」って事で、大差ないのかもしれないけど・・・でもあの二人、タイプが全然違うんですよね。 本マダラは力を求めるライオンみたいだし、偽マダラは知略家タイプ。 いわゆる「肉体派」と「インテリ」ってやつでしょうか。 
(と、ここまでは前回の雑考と同じですが) 
 
・・・まるで表と裏。
 
「トビ」という存在が、まだ誰とは分からない(と私は思ってる)のですが、なんとなく・・・・あの仮面の裏に、イズナだけとは限らない複数のうちは一族の思念のようなものを感じるんです。それも「自分は誰でもいたくない」と言いそうな人達・・・つまり歴史の表舞台ではなく「裏方」にまわったうちは一族の思いが見え隠れしているような気がするんですよね。とりあえず、トビの「本体(ロン毛仮面さん?)」がイズナかどうか・・という話は今回は置いといて、話を進めます。

《オレ達は互いのスペアだ! それこそが うちはの兄弟の絆なのだ!!》・・・(イタチの言葉)。
 
うちはの兄弟の絆とは互いのスペアであり、特別な因縁で結ばれた関係。

物語中に登場する「うちはの兄弟」とは、「マダラ・イズナ」と「イタチ・サスケ」だけしか例が無いんですが・・・イタチの語りによれば うちはの兄弟とは互いを「スペア」と思い争い合ってきたんですよね。しかも「うちはの兄弟」は「似たような能力」を持ち「似たような実力レベル」を持つ・・・それだけに2人のうち どちらが「メイン」で、どちらが「スペア」にまわるか、そこに争いが起き淘汰が起きてしまうんですよね。 強いほうが生き残り、弱いほうが犠牲になる・・・それゆえ、うちは一族は「永遠の瞳力を得るために親兄弟で殺し合い、力を誇示し続けてきた汚れた一族」なんて言われたのでしょうか。
兄弟のどちらが「表」に立ち、どちらが「裏」になるのか・・・うちはの兄弟はずっと争い続けてきたんでしょうね・・。
 
そもそも六道仙人が「次男」のほうを後継者と決めちゃったことが争いの種になってるわけですが、仙人だって
そんなことぐらい予想できたわけで、こんな争いの種を蒔いたのは意図しての事だったと思うんです。 これも本当の意味での平和を作る「運命に選ばれた者」を選別するための試練だったのではないかと。だけど、仙人の意図に気づく者は長い間無く・・・ずっと争いは続いてきたんじゃないだろうか。
 
競い合ってきた兄弟。 「マダラ・イズナ兄弟」もそうでしたよね。
2人は幼い頃から「互いの力を高め合い競い合った」という(42巻、第386話イタチの話による)。そして、
「2人はさらなる瞳力の成長を求め競い合い・・・兄弟はついに万華鏡写輪眼を開眼したのだ」と・・・・・
でもまだこの時点では、マダラとイズナは「互角」なんです。絵でも2人とも堂々として横に並び、そこに「優劣」は無く、あくまでも対等。 2人とも我こそが『表』とばかりに競い合っていたんじゃないだろうか。「勝った」ほうが運命に選ばれた者になれると思っていたんじゃないだろうか・・・2人ともまだこの時点では同じ《万華鏡を開眼した者=運命に選ばれた者の候補》だったのではないかと。
 
・・・だけど、その後描写が変わっていきます。
 
「そして兄弟はその瞳力をもってうちはを束ね 兄のマダラはリーダーとになった」・・・(同じく386話)
 
マダラは一番高い岩の上に腕組みして立ち、次の高さの岩にイズナが立ち、地面に一族がひれ伏する・・・
この時点から明らかに「マダラが上(表)、イズナが下(裏)」という上下関係、表と裏の関係がハッキリとしてくるんです。この頃、兄弟の間に「何か」があったんだろうと思うんですよね。
 
その「境」になったのは、万華鏡の開眼・・・。
仙人が遺した石碑の「万華鏡で解読できる部分」を読んだ二人は、その文面から仙人が託したメッセージを解読したんだと思うんです。そして、マダラは自分こそ運命に選ばれた者であると確信し、イズナは自分が裏になり兄を支える決意をしたのではないかと・・・。
イズナは兄を信じ、秘かに兄のために尽くす事を選択したのではないかと思うんです。
 
ただし、うちはの兄弟の「絆の証」として裏方に求められるものは、徹底した「自己犠牲」なんですね・・・・眼を差出し、命すら差し出すほどの覚悟が必要なんです。これは表に立つことよりも もっともっと勇気のいる決断だったと思うんです。
 
マダラはイズナの思い(愛)に気づかずに、自分が力で勝ったと思っていたんじゃないか・・とも思うんですけどね;
その後イズナは兄に眼を差出し、両目を失って棺桶に入っている描写がありますが・・・その後のイズナがどうなったのか、ハッキリは分からないままです。確かなのは・・・イズナは大切な「兄弟」に全てを差出し、全てを託して「何処かへ存在を消した」ということだけ。
 
ところで読者が知っている万華鏡開眼者(「運命に選ばれた者の候補者」)といえば、マダラ・イズナ兄弟、イタチ・サスケ兄弟、そしてシスイだけですよね(眼という意味ではオビトも)。
シスイに「兄弟」がいたのかどうか描写されていないので、もしいたとしても「いなくなってしまった」のか・・・元々兄弟はいなかったのか。(私の妄想上ではシスイとオビトは兄弟だと思ってるんですが、その点はおいといて)
「イタチはシスイを実の兄のように慕っていた」という表現が25巻に登場します。 シスイはイタチを弟の代わりのようにして大切にしていた・・・。 
 
25巻シスイの死の翌日、イタチのもとを訪れた警務隊の人達は「シスイは最近のお前を監視していた」と言っていましたけど、それはシスイが「イタチと自分のどちらが運命に選ばれた者なのか・・・観察して“器”を測っていたのではないか」という気がします。シスイは兄弟代わりの「イタチ」こそ運命に選ばれた者であると確信し、自分は「裏」の存在にまわる決意をしたのではないかと思うんですよね・・・。
 
その後シスイはダンゾウとイタチに眼を差出し、両目を失って「己の存在を消した」とイタチが言っていますが・・・その後のシスイがどうなったのか、ハッキリは分からないままです。確かなのは・・・シスイは大切な「兄弟」に全てを差出し、全てを託して「何処かへ存在を消した」ということだけ。
 
シスイに全てを託されたイタチは、今度はサスケと自分のどちらが《運命に選ばれた者の器》としてふさわしいのか見極めていたんですよね、
 
「お前が望む様な兄を演じ続けてきたのは・・・お前の“器”を確かめるためだ」と。(224話で)
 
サスケこそ運命に選ばれた者だと確信したイタチは、自分が「裏」にまわる決意を固めたのではないかと思うんです。 
その選択は《運命に選ばれた者であるサスケ》のためには全てを差出し、全てを犠牲にし、己すら無くす・・・・徹底した自己犠牲と、限りない愛情が必要になる厳しい選択です。
 
一族抹殺任務の日、「どうして・・・兄さんが・・・?」と問うサスケに、「己の器を測る為だ」・・・と答えたイタチ。 
 
徹底した自己犠牲を強いられる《運命に選ばれなかった者の側》の器として自分が適うのかどうか・・・・己を測っていたのだろうか。そしてイタチは、大切な「兄弟」に全てを差出し、託して逝った・・・(戻ってきてるけど;)。
 
イズナにしても、シスイにしても、イタチにしても・・・己の全てを犠牲にし、全てを差出し、己を無くし(時には悪者、憎まれ役を演じてまで)大切な兄弟に託し、シナリオを用意して兄弟に「表の道」を進ませる・・・そこには、兄弟を思う「愛」があります。
 
だけど表に立った「マダラ」と「サスケ」は、「運命に選ばれなかった」者達の思いには気付いていないようにみえる・・・。だけど彼等は、見えないところからの兄弟の愛情で 今も守られているんじゃないだろうか。
 
意外と、歴史を動かすのは「表に立った運命に選ばれた者」ではなく、運命に選ばれなかった裏方達のシナリオと選択なのかもしれません。
 
 
 

☆長駄文、読んでくださって感謝。
 
 
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