ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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「生きていく」ということ・・・・ 12/24 うちはマダラ誕生日

「生きていく」ということ・・・・ 12/24 うちはマダラ誕生日

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12月24日は、クリスマスイブ。皆さんはどんなクリスマスをお過ごしでしょうか。 
そして・・・24日は、あの「うちはマダラ」の誕生日なのです。 なんでクリスマスなんだろって思いますが・・・・自称救世主なのか、ただの暴君なのか。
 
今年のNARUTOでは、個人的には「うちは一族」がさらに気になった1年でした。
イタチにしても、シスイにしてもトビにしても・・・・彼等の「本心」ってのは、なかなか分かりづらい。それだけに気にもなる。 シスイとイタチが大切にしていた言葉が「自己犠牲」だし、トビも「誰でもいたくない」という。彼等は本当の目的の為なら命も投げ出したり悪役を演じたりもするので とにかく「分かりづらい」。
 
それにくらべて今年登場した「うちはマダラ」は、実に分かりやすいんですよね(表向きは・・・・ということですが)。
 
《我こそは力なり》というオーラがバーンと前に出てるし、言うこともハッキリしてるし態度が自信に溢れている。
なにしろ彼は、棺桶の蓋をドッ!と破壊して吹き飛ばすようにして登場しましたからね~・・・まるで充満していたチャクラが暴発したかのように。あんなに棺桶から荒っぽく出てきたのはマダラぐらいです(描かれている中では、ってことですが)。 
 
そして、何よりも彼の圧倒的な存在感を感じさせるのは《堂々と腕組みして高いところから見下ろす姿》。
岩の上に立つその姿は、髪の毛が鬣(タテガミ)っぽいってのもあるけどライオンみたいだし、思いっきり肉食的なイメージがあります。 
NARUTOキャラで、あそこまで露骨に「肉食」を感じさせるキャラはいなかった気がする・・・筋肉マッチョの雲隠れの忍とも違う、見た目じゃなくて「内面」が肉食っぽい。(隠れ肉食ってキャラはけっこういるとは思いますが。)
だいたい、うちはってのは《美形でどこか憂いを持った、ミステリアスな魅力》を感じることが多いのですが・・・マダラみたいな肉食っぽいカリスマ性を持つうちは一族・・・今までとは一味違ったタイプです。
あのオレ様態度もここまで極めると、実にカッコイイ・・・。うちは本来の「力」を求める姿にふさわしい、強烈なカリスマ性を持った強いリーダーそのものです。いや、正直惚れ惚れしてしまいましたw
 
で、おやりになることは、かなりえげつない。
メテオ一撃を阻止したオオノキに、2発目を容赦なく打ち落とすなんてのは・・・ちょっとダーティですよね。 
オオノキの回想によれば、マダラは平然と同盟を無視したりしたみたいですが・・・・そういうダーティーなことも平然とやってのける。それも堂々と…全く悪びれていないんですよね。例の「腕組みスタイル」で高いところから見下ろしながら、堂々とやってしまう。
 
メテオ2連発といい、木遁を試すために人を犠牲にするほうが「絵になる」なんて事を平然と言ってやってのける《堂々とした残酷性》。 まるで感情が無いのかと思う位に冷酷無慈悲です。
 
・・・ならば、マダラは《本当に何も感じていないのか》といえば、それがそうでもない。
 
オオノキが「ワシら忍はずっと戦いに明け暮れてきた」 「奪っては奪われ・・・奪われては奪い返す・・・!憎しみは膨れ上がり三度も戦争をした!」と言った時、マダラは
 
「それが生きていくということだ その年まで生きて 過去の痛みから何も学んでいないとはな」
 
と言っている・・・。
 
奪われては奪い返す、憎しみで戦い続けること…それを「過去の《痛み》」と表現してるんですよね。憎しみの連鎖を《痛み》だと感じてるってことです。 だからけしてそれを善い事として肯定しているわけでは無い。
 
そして、 「それが《生きる》ということだ」ではなく、「《生きていく》ということだ」とも言っている・・・
 
《生きる》と《生きていく》。
同じようで微妙にニュアンスが違う・・・。 「生きる」というのはもっと肯定的なイメージがあるんです。それが生きるということだ・・というともっとキラキラっとした生に対する喜びというか、ね(←もっとうまく言葉で表現できないんかい!w)。
だけど「生きていく」というと、耐え忍び生き抜く、生き延びるというイメージがあるんです。 
よく「芸能界で生きていくっていうことは~云々」という表現を聞きますが、しんどいことも耐えてタフに残っていくという意味で使ってますよね。 一見、戦って力の誇示をすることが根っから好きそうなマダラは 実はそうでもない・・・「生き抜くため」に体を張って戦い続け 力を誇示し続けてた・・・・ってことなのかな。
 
マダラは本気で「無限月読」をしようとしてるらしいし、本気で世界を統べるつもりなのかもしれない(「統べる」と言っても《統一》という意味では無くて、《支配》というほうの意味で。) しかもその目的達成のために宿敵柱間の力まで節操なく手に入れている・・・そこまでして「世界を統べる」事を求めるのはなぜなのか。
柱間を取り込み うちはの瞳術で世界を従わせることで力の証明をしたかったのか。
それとも・・・数々の痛みや弟の犠牲を無駄にしたくない一心なのか。
 
あれだけ自信満々で堂々としたマダラが、一瞬だけ見せた「遠くを見つめる眼」・・・。
それはカブトに「偽マダラが計画通り事を運ぶ気があるのかどうか・・・・」と言われ、「あいつ」を思った時でした。
 
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何か思い当たるような事でもあるのだろうか。その瞳には猜疑の表情が見て取れるし、どこか寂しげでもある。
唯一信じられる人間も「もしかしたら裏切るかもしれない」とずっと思っていたんだろうか。 
その表情にはマダラが心に抱える「孤独」がある・・・。
 
力を求めた結果、孤独になった・・・というよりは、孤独になる結果も分かった上であえて「力」を選択したのだろうか。
 
恐ろしいほどの冷酷さも無感情も、《一族や弟の為に》と感情を無くしてきた結果なのだろうか。己の孤独と引き換えに力を手に入れる・・・それも彼なりの自己犠牲なのかもしれない。
 
そして、「それが生きていくということ」・・・・と自分に言い聞かせて。
 
 
 
☆長駄文読んでくださって感謝。
 
☆今年も残り少なくなりましたが・・・ 最後に「今年最高の一言」という記事を予定しております。
 
 
☆皆様、どうぞよいクリスマスを・・・・・!
 
 
 
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