ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 第570話:九喇嘛!! 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ08号) ・・・その2

NARUTO №570 九喇嘛!! (その2)

(感想その1の続きです・・・)

さて、いよいよここからは九喇嘛です。
 
総尾獣化なのにヘロヘロなナルト、さすがにまずい状況・・・に九喇嘛は、
 
『力を貸してほしけりゃ そうしてやらんこともないぞ・・・ナルト』
 
・・・・なんじゃ、この回りくどい言い方は!w
 
「貸してほしければ」なんて恩着せがましい申し出に、「してやらんこともない」という二重否定。
 
二重否定とは、だいたい強い肯定で使われる例が多いんです・・・例えば「使わないことが無い」(必ず使う)とか。でも九喇嘛の「してやらんことはない」は「否定の緩和表現」であって「してやってもいいぞ」程度の言い方です。
だけど頼まれてもいないのに自分から話しかけて申し出てるんですから、これは正直強い肯定の意志であって「強い願望」なんですよね・・・《ワシにも協力させてくれ》ぐらいのw
 
で、ここからなんですが・・・・
 
今までは九喇嘛のほうがナルトの成長度をじっくり観察して判定してると思っていたのですが、実は宿主であるナルトのほうが九喇嘛を冷静に観察していたんだと実感させられるんです。
 
ナルトは背中を向けて「・・・・」と九喇嘛の申し出を聞いてるんですが、ナルトは九喇嘛の性格を熟知してますからね~・・九喇嘛の本心はとっくに見抜いているんですよね。で、九喇嘛が素直に助けてやろうなんて言えない「事情」も分かっている。あの背中は、九喇嘛の思いをお見通しの背中です。
 
ナルト・・・大人になったな、背中で語るなんて。
 
「最近はよく話しかけてくるようになったじゃねーの」と軽いツッコミを入れてから、そしてここで・・・ナルトはついに「九喇嘛を負かす」一言を放ちます。
・・・まさに九喇嘛の本心を引きずり出す「決め文句」だったと思うんですよね、これは。
 
『向こうのマダラん時はサンキューな・・・力をくれて アレ・・・助かった!』 (ペコリ)
 
『!!』
 
九喇嘛、すごいビックリ顔の「!!」ですよね、まさか「サンキュー」なんて言われると思ってなかったんですね九喇嘛。
 
『礼なんかするな気持ち悪リィ!!ありゃマダラよりお前の方がマシだと思ってそうしただけだ!』等々・・・オマケに今回の参戦も『ヒマつぶしだ!』ときましたからねぇ~・・・素直じゃなさすぎでしょ!w
 
で、ナルトに『お礼したのに何で怒ってんだってばよ!!』と言われるほど九喇嘛はこのあと立て続けに言い訳してますけど、でもこれ・・・ただのテレってわけじゃないし、強情に意地張ってる訳でもないと思うんです。
 
九喇嘛は人柱力を助けたり人柱力に優しくする自分を認めたくない、認めてはいけないと思ってるんじゃないだろうか。
 
ナルトを助けた自分を「赦せない=認めたくない」し、だから「ありがとう」なんて言われちゃうと激しく戸惑ってしまう。 人柱力にありがとうなんて言われる自分・・・そんな自分を認めちゃいけないと思ってる。だから怒ったみたいに否定しちゃうし、回りくどい言い方でしか力添えを申し出られないんだと思うんです。・・・そこには九喇嘛が今まで辿ってきた辛い孤独な過去が見え隠れしているんです。
 
それは・・・少し前までのナルトが「闇の部分の自分」を受け入れられなかったのと同じで、九喇嘛は「光の部分の自分」を受け入れられなかったんじゃないだろうか。
人間に裏切られ続け、憎しみに染められた自分・・・人間を二度と信じないと思っていたのに、それでも人間を愛おしく思ってしまう自分が残っている。それが嫌で・・・九尾は「九喇嘛」の名前と共に光の自分を永遠に闇の中に葬ってしまいたかったのではないだろうか。今のサスケと同じ状況だったとでもいうのかな・・・。
 
『その目つきは直らなくても まずそゆーとこ直していかねーからいつまでたっても』・・・・
 
ナルトは素直じゃない九喇嘛に説教してますけど、ホントはよく分かってると思うんです・・・九喇嘛が何でこんな表現しかできないのか。ナルト自身が「イタズラでしか自己表現できなかった」同じような道を歩んできたからこそ、九喇嘛が自分自身の存在を認められないで苦しんでいることがよく分かってしまう。
 
そしてナルトは、闇の自分を認めたくないし見せたくなかったから「作り笑い」して無理をして「いい人」であろうと頑張り過ぎてきたし・・・
九尾は、光の自分を認めたくないし見せたくなかったから「悪い目つき」して憎しみに身を任せていた・・・自分を受け入れられないで迷っている九尾の心を、ナルトはシッカリと受け止めてやったのかなと思います。
 
九喇嘛にとって、ナルトのありがとうは「ここに居ていいのよ」と言ってくれたクシナの言葉のようなものだったんじゃないでしょうか。「本当の自分でいていいんだ」・・・と。
 
あの目つきが悪かった九喇嘛・・・ナルトにウワーっと意味不明な怒りをぶつけることで、心に淀んで溜まっていた わだかまり・・・モヤモヤを一気に吐き出したようにもみえるんですよね(これも九喇嘛のナルトの包容力に対する「甘え」だったのかな…なんて思っているのですが。ナルトがクシナ母ちゃんに抱きついたのと似ているというか・・)
 
だから・・・言いたいことや毒を全部吐き出して(デトックス?)、その結果が次のページです・・・
そこには《毒気が抜けきったキリっと澄んだ目をした九喇嘛》がいるではないですか・・・!
 
『お前とワシのチャクラをくっつけろ・・・』
 
スッと差し出した九喇嘛の「拳」。
 
まさか、また綱引きを・・?と苦笑いするナルトにバカ今回はやらなくていいんだよ!まぁ・・こっちはヒマだからな・・・また綱引きやってもいいんだぞ!!』と冗談まで言えるようになった九喇嘛。
すっかり毒が抜けて、素直な九喇嘛になってるじゃあないですか。
 
「光の自分」・・つまり九尾では無くて「九喇嘛としての自分」をやっと受け入れたんですね。
 
(拳を合わせたナルトと九喇嘛)・・・・
 
ナルトは一瞬「!!」と驚いたような顔をして、「へへへ・・・・」と嬉しそうに笑う。そして「フン」と九喇嘛が・・・
 
笑ってる! 
 
うわ~涙ですよこっちも。おぃおぃ・・・2人が笑顔なんて、泣けてしまいます。
九喇嘛がくれたチャクラ。すっごく温かかったんだろうなぁ~・・・(ダメです、涙腺ゆるゆるです)・・・
 
ナルトと九尾が、はじめて心を通い合わせた瞬間・・・拳の握手を通して、二人はシッカリと1つになった。16年間同居しながら、やっと・・・はじめて心を通い合わせた瞬間ですね。ホントに良かったよ、ナルト。九喇嘛の愛情いっぱい貰ったんだろうな・・・・本当に嬉しかっただろうなぁ・・・・。
 
(「フン」と言ってるところにしても、九喇嘛はサスケみたいなやつですね~・・)
 
拳・・・
 
「一流の忍どうしなら、拳をかわしただけで何を考えているか分かっちまう」とサスケが(終末の谷で)言ったことに始まっているのですが、52巻での再会で再び拳をかわして以来エービー兄弟の「拳」をはじめ拳の話は何度も出てきてるんですよね。
 
第486話「拳」の感想で、同じ「コブシ」でも植物のコブシ(辛夷)の花言葉は「友情」だと・・・コメントで教えて下さった方があってそれには感動しました。もし岸本先生がそこまでご存知で「拳」にその意味を忍ばせておられたのだとしたら・・それはすごいなぁと・・・。その他にも、サブちゃんがビーに「演歌のコツは小節(こぶし)」、情念を伝える大切なものとしての「コブシ」も登場してましたよね(もしかして、その為にサブちゃんを登場させたの・・・?w)
 
拳は、言葉だけじゃなく大切な眼に見えない何か大切なモノを伝えてくれるのかもしれません。 
 
『行くぜ・・・ ビーのオッチャン!』
『ビーのおっちゃんも八っつぁんもケガしてっから・・・ メインもサポートもねーよ!』
『お互いツーマンセル同志だろ』
『ナルト・・・お前・・・まさか九尾と・・』
 
ナルト、今まで(先週まで)「八尾」と言ってましたが、『八っつぁん』って言ってますね・・・!
 
 
・そして・・・いよいよ「その時」
 
ここからの岸本先生の「演出」が凄いです、とにかくスゴイ。
 
「その時」を前にして、神妙な面持ちで精神を統一する九尾とナルト・・・。
ここからはいよいよ「封印の鍵」を開けられていきます。
 
《ガチャン・・・・そして、ガチャ、カチャ、と刻む音に合わせてナルトの記憶が1コマ1コマ蘇っていく・・・》
 
16年の時が刻まれていく。
 
ナルトが思い出しているのは、第1巻第1話、自分には「九尾の妖狐」が封印されていたという事実を初めて知った あの時です。 あの時からナルトは事実上九尾との共同生活が始まったんです。そして・・・読者との時間も始まった・・・んですね。
 
長かった、本当に長かった。
 
《認めてねェーんだ》
 
「バケ狐ならな」
「けどナルトは違う あいつは・・・あいつはこのオレが認めた優秀な生徒だ」
 
「・・努力家で一途で・・ そのくせ不器用で誰からも認めてもらえなくて・・・」
 
「あいつはもう人の心の苦しみを知っている」
 
そうです、あれです・・・イルカが初めてナルトの「存在」を肯定してくれたあの時です。
 
自分に妖狐が封印されていると知った時が、ナルトにとって事実上「九尾を入れられた時」でもあります。でもその時に、イルカがナルトの器に沢山の愛情を入れてくれた・・・・だからナルトは《尾獣と一緒に居ることを不幸せだと思わなかった》んじゃないかと思っています。ナルトがそのタイミングまで「九尾封印」の事実を知らされなかったこと、九尾封印の事実を知った時にイルカから愛情を貰って存在を肯定してもらったこと・・・これらは三代目の賢明な「先を見据えた判断」だったと思っています。全てが偶然に見える必然の結果・・・。
 
そして、ナルトが今まで一番大切にしてきたのがこのイルカの言葉だったわけです。
 
『今はもうバケ狐じゃない あいつは木ノ葉隠れの里の・・・』
 
 
57巻で、ビーが言っていた『ナルトはアンタからもらったもん全部自分の中にキチンと取ってある今日まで♪アンタの言葉がナルトを守ってきた強力♪』・・そのナルトを守ってきた言葉とは、やはりこの言葉だったんですね。 
 
全てはあの時、イルカに「存在を認められた」あの瞬間に 今日この瞬間の「扉が開けられる時」の物語が始まったんだと思います。あの時から、ゆっくりゆっくりと・・・未来の扉を開ける封印は開けられていったんですね。
 
そして、存在を認められずに自分を認められなかったのがもう一人(一匹かな)。
・・・存在を否定され、冷たい目で見られ、名前を捨てさせられ縛られてきた九尾。ナルトなんかよりもずっとずっと長い時間、九尾は真っ暗な闇の中に閉ざされていたんですよね、誰にも救われることが無く・・・認められる事もなく。
今までの歩みは、ナルトが認められるようになっていった物語でもあるけれど《九尾の九喇嘛が認められるようになっていった物語》でもあったんですよね。
 
長かった・・・ホントに長かった。
 
そして・・・やっと、九喇嘛はナルトによって存在を受け入れられ、自分を再び見つけることが出来た。
九尾ではなく、「九喇嘛」としての自分を
 
 
『今はもう・・・バケ狐じゃねェ・・・』
 
『おめーは木ノ葉隠れのオレとコンビの・・』
 
『・・・・!』
 
『九喇嘛だ』
 
 
イルカが第一話で言ってくれたあの言葉・・・あれはナルトが九尾に言ってあげるための言葉でもあったんですね。よく言った・・・よく言ってあげたね、ナルト。
 
ナルトが九喇嘛と一緒に開いた未来への扉
改めて思いました。封印は、閉じるために在るのではなく・・・開けるために在るのだと。
 
 
・・・2人が見据える先に在るのは、どんな未来なんだろう。
 
 
 
☆九喇嘛とナルトのコンビが、どんな闘いを見せてくれるのか。次週が本当に楽しみです。
 
 
☆老紫の胸にぽっかりと空いた「心の穴」。
人柱力たちの心も、ぜひ癒される時が来てほしいと願わずにはいられない・・・。

☆570話感想追加記事⇒「イルカがくれたもう1つの大切なモノ」

 
 
長駄文、読んでくださって感謝。
 
 
 

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