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『心の穴』と、本当の忍について・・・ (570話雑考につけ加えて)

『心の穴』と本当の忍について・・・ (570話雑考につけ加えて)

もうすぐ来週になっちゃうし今頃って感じでもあるのですが…570話の雑考に少しだけ付け足しさせてください。記事の『文字数制限』上 最後に一言しか書けなかったんですが、ど~しても気になってる事があって。
 
それは四尾から切り離されて、横たわる四尾の人柱力「老紫」の姿なんです。
杭を抜かれた老紫の胸に残る「穴」が痛々しすぎるんですよ、あの《心の穴》が・・・。
「心の穴」については、以前の記事 「心の穴と、夜叉丸の言葉」(NARUTOにおける日本語表現)で書いたのですが、それ以来「心の穴」が気になっております。老紫についてはこの前少々考えたこともあって、なんだかあの姿、見てて辛いんですよね~・・
 
57巻雷影エーの回想に登場した『ビーの前任八尾人柱力』が言っていた『心に穴が開いた気がするんだ…・・』という言葉、そして幼い頃の我愛羅の「ここんとこ(心)がすごく痛いんだ』という言葉を改めて思い出しちゃいました。 自分を傀儡にしたサソリの胸に空けられた、「本体」が抜け落ちた後の穴も・・・・。
そして、穢土転生白の胸に空けられた「心の穴」・・・『再不斬の意志が宿る首斬り包丁』の穴も・・・。
 
イメージ 1
 
今回の老紫にもまた「心の穴」が空いてしまったわけで、その姿を見たらなぁ・・・・過去の人柱力達や忍達は「心の穴」に苦しんできたんだなぁとつくづく思ってしまったんです。 穢土転生の老紫の「穴」は塵芥でまた再生されるのかもしれないけれど、本当の意味での「心の穴」は埋められないままですよね・・。
「ただの戦う道具」にされた過去の忍達の胸に空いた「心の穴」を見て、今の忍達は何を思っているんだろう。
 
心の穴・・・ 
例の、忍の心得第25項にある『どんな状況においても感情を表に出すべからず 任務第一とし何ごとにも涙を見せぬ心を持つべし』… 
心を無くした今までの忍達は、「忍」でありながら「心」を失い ただの戦う道具「刃」にさせられてきた・・・つまり、「心」が抜けている・・・穴のように抜け落ちていたっていう事です。それが「正しい忍」だっていうんだろうか?
 
波の国でカカシから『正しい忍の在り方』 (『忍は存在意義を求めちゃいけない、国の道具として存在することが大切』)を聞かされたナルトは、『本物の忍者になるって、本当にそういう事なのかなぁ… なんかさ!なんかさ!オレってばそれやだ!』 『オレはオレの忍道を行ってやる!』と誓うんです。
 
正しい忍の在り方・・・それはかつてナルトに投げかけられた問いだったわけですが、今ナルトは尾獣の心の穴を愛情で埋めて解放していっている・・・ 「心」を持った忍として、あの時に誓った忍道を行動で証明していっています(あとは・・・人柱力達の心の穴をどうしたら埋めてあげられるか・・でしょうか)。
 
この戦争は、ただの戦う道具「刃」になっていた忍達が「心」を取戻し 心の穴を埋めるための闘い…
そして、それはナルトだけじゃないハズだと思っています。正しい忍の在り方・・・それはかつてカカシに投げかけられた問いでもあります。
 
カカシ外伝でオビトが言っていた『・・・確かに忍者の世界でルールや掟を破る奴はクズ呼ばわりされる・・・』 『けどな・・・』 『仲間を大切にしない奴はそれ以上のクズだ』 『どうせ同じクズならオレは掟を破る!』 
それが正しい忍じゃないってんなら・・・』 『忍なんてのはこのオレがぶっ潰してやる!!』  
 
この戦場で『忍』の額当てを(見える場所に)つけているのはカカシだけなんです。それは、この戦場に於いてカカシが「本当の忍」としての行動を問われるという意味なんじゃないか・・・という気がします。
かつて掟にこだわっていたカカシが、本当の意味での「正しい忍」になれたのかどうか・・・それを証明するためにこの場に立っているんじゃないのかな・・・・。
 
(誰ですかぁ・・・カカシは解説役の為に来ただけだって言ってるのは・・!?w)
 
 
 
 
☆なんだか思いついたままで、まとまりのない駄文すみません。読んでくださった方・・有難うございます。
 
 
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