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六道仙人が遺した封印 その2 (封印された眼としての写輪眼について)

六道仙人が遺した封印 その2 (封印された眼としての写輪眼について) 

今回はその1の続き・・・「仙人の長男」お兄ちゃん家系の封印についての雑考をちょっと・・・。
 
六道仙人が次男(家系)の「肉体」に封印を施し、力を「その時が来るまで」封じたのだとしたら・・・・・当然お兄ちゃん(家系)の方にも封印を施しているハズですよね。 で、仙人の肉体を受け継いだ弟家系が「肉体」に封印を施されていたのなら・・・「仙人の眼」を受け継いだお兄ちゃん家系のほうは「眼」に封印をされているんじゃないかと思う訳です。
 
つまり、写輪眼というのは実は「封印された眼」なのではないか・・・とも思うんです(あくまでも仮説ですが)。
 
うちはの瞳術、それは通常『写輪眼→万華鏡写輪眼→永遠の万華鏡写輪眼→輪廻眼の順番で進化するように捉えられています。読者もそう考えていたし、25巻のフガクの言葉(224話)でも「写輪眼にはさらにその上の瞳術 万華鏡写輪眼がある」という表現が出てきます。つまり「普通の写輪眼」が一番下等な瞳術で、進化すると「万華鏡」になる・・・という捉え方です。それが うちは一族の間でも一般的な考え方であって、マダラもそう考えていただろうと思うんですよね、進化して行き着く先が輪廻眼だと・・・。そしてサスケもそう受け取っているんだろうなと思うんです(彼はまだ輪廻眼の事は知らないかもしれませんが)。
 
でもその通りだとしたら、「瞳術」というのは時代を経て「退化」しちゃったことになりますよね;元は六道仙人の崇高なる「輪廻眼」、でもその末裔のうちは一族は「写輪眼」・・・レベルが下がっちゃったことになる。
時代を経て進化することはあっても、退化することってあるのかなぁ・・・・(しかも 一族であっても写輪眼すら開眼しなかった者も多い様子だったし)。
 
でも、もし写輪眼というものが「六道仙人が遺した瞳力を封印した眼」なのだとしたら・・・
真相は、時代を経て『輪廻眼→万華鏡写輪眼→写輪眼』の順に封印が強化されていった、とは考えられないだろうか。
 
いわば普通の写輪眼は《最も強力に封印術が効いた状態》であり、封印されし眼の「行き着く先」なのではないかということなんです。ある意味「普通の写輪眼」とは、六道仙人が施した封印が完成された(進化した)眼と言ってもいいのではないだろうか・・。つまり「普通の写輪眼」とは けして「下等な眼」ではなく、ただ「封印が強固な眼」という意味なのではないか、と。・・・そして封印を1つ解除する度に「開眼」、つまり封印が開き能力が戻っていくという意味なんじゃないか、とも思うんですよね。
 
3日発売予定の59巻に登場する(はず;)のカブトの台詞(560話)には、
「やはり憶測通り・・・写輪眼の行き着く先は・・・輪廻眼でしたか」という言葉があるんですが、どちらかと言ったら「輪廻眼の行き着く先は・・・写輪眼でしたか」と言った方が的確なんじゃないか?という気もします。(行き着く先の解釈にもよりますが)
 
では、六道仙人は具体的にはどんな封印術を 長男家系の「眼」に施したのか?と言えば・・・
これは「渦巻き封印」だったのではないか・・と思ったりします(あくまでも仮説ですが;)
 
というのは、お気づきの方も多いと思いますが六道仙人の長男の眼・・・渦巻き模様の眼なんですよね。
 
長男の絵が出てくるのは49巻462話の1枚だけなんですが、コミックスで見ると絵が小さいので分かり辛いかもしれません;でもジャンプ掲載時には「うずまき眼」がハッキリと分かったんですよね(参考:462話感想 )。 当時、なぜ輪廻眼じゃなくてうずまき眼なんだろう?っていうのが不思議でしょうがなかったのです・・・ なにせ岸本先生は無意味な描写はされないですからね~。
 
で、もしかしたら仙人は 息子の眼に「渦巻き封印」を施し、その強大な瞳力を封じてしまったのではないか?という気がしてきました。その結果が、あの不思議な「うずまき眼」・・・
462話の絵は封印をされた直後の眼で、やがて時代を経て封印は強化され、写輪眼に行き着いたのではないだろうか・・・?(その過程で写輪眼より白眼が先に派生した、ということもあるかも)。
 
仙人は自分の死後、兄弟が対立することは避けられないと予想し 息子達の力が争いに利用されないように「正しく力を使う者が出現するその時まで」封印してしまったのだとしても・・・ ただ封印しただけではなく、その封印を解除するヒントとして「石碑」を遺したのではないだろうか・・。
あの石碑は眼を「進化」させるためではなく、「封印を解除する」ためのもの・・・つまり「元に戻すための手引き」なのでは。
 
では、どうしたらその封印は解除されるのだろうか?
 
まず『六道の次男・弟家系』のほうですが、こちら側に遺された力は『六道の封印(鳥居で象徴される封印、ナルトが九尾チャクラを囲ってる封印)』で封じられ、それの解除のキッカケとなるものが『うずまき封印』だったのではないか・・・と「その1」で仮定してみました。
では『六道の長男・兄ちゃん家系』の方・・・・こちら側に遺された瞳力は『うずまき封印』で封じられたのだとしたら、その解除のキッカケになるのものは何なのだろうか。・・・これは『六道の封印(鳥居で象徴される封印)』なのではないかと思うんです。
つまり、兄弟それぞれに施された「封印と解除のための力」が逆さまになってるんじゃないか、ということです・・・
 
ナルトの場合は その「肉体」に「六道の(鳥居)封印」で封じられていた力が 両親が与えてくれた「渦巻き」(四象封印)を解除したことがキッカケになって 解放されたわけですが・・・サスケの場合はどうなるんだろう。
その「眼」に「六道の(うずまき)封印」で封じられている瞳力・・・・それを解放するキッカケとなる「鳥居」に該当するものは何なのか?・・・と言えば、それはイタチが与えてくれた「眼」ではないか・・とも思えるのです。
 
ではなぜ、イタチの眼が「鳥居(六道の力)」なのか、ということなのですが・・・・
 
これは先日のコメントや先日の雑考鬼鮫とイタチの会話に見る「存在と価値」でも触れたのですが、イタチの象徴は「鳥居」で描かれているんです。うちはと鳥居の関係は度々神社の描写などでも出てきますが、一番分かり易いのが54巻第508話・・・。
 
《イタチと鬼鮫が出会った場所の桟橋は、一本道になっているのですが・・・一方の端(つまり海側)には鬼鮫を象徴する「鮫」が泳いでいる。そしてもう一方の端(つまり山側)にはイタチを象徴するものとして・・・「鳥居」が描かれている。その鳥居がナルトが九喇嘛のチャクラをぶんどって保存していた結界、六道の「鳥居」そっくりなのです》
・・・岸本先生は無意味な描写はされませんのでの・・・・。
 
つまり、イタチの眼というのは「(鳥居で象徴される)六道の力を持った眼」だったのではないか・・と思うのです(イタチの眼は特別な選ばれし眼)。
 
まだ幼かった頃のイタチは、己の「眼」に宿る六道の力(鳥居)に気づいて「自分が運命に選ばれし者=つまり器となる者」と考えたかもしれません。でも石碑を読んだことで、己の眼の本当の役割は「鍵となって封印を開ける側」だと気付いたのではないだろうか・・・? 
つまりサスケの眼に自分の六道の力「鳥居」を注ぐことで、サスケの眼に宿る「渦巻きの封印」を解放する・・・それが「本当の変化」を起こすとイタチは考え、自分の眼をサスケに移植させようとしたんじゃないだろうか。
 
「六道の力」を宿した側が、もう一方の「六道の封印をされた眼」に力を注ぐ・・・それこそ「うちはの兄弟(スペア)」なのかもしれません。だとしたら、イタチがあれほど自分の眼をサスケに移植させようとしたのも頷けるんです。
イタチの眼が、サスケの眼に封じられた六道の本当の力を解除する力になるのだとすれば・・・
 
(もちろん「移植される側」も誰でもいいという訳ではなく、そこはサスケが「須佐能乎まで開眼する稀な眼」つまり六道の力を封印された眼だったからだと思います・・)
 
《六道仙人は己の強大な力を争いに使われることを危惧し、息子たちにそれぞれ封印を施した・・・
眼を持つ長男には「渦巻き封印」で眼に封印をし、肉体(そして獣)を持つ次男には「鳥居の封印」で肉体に封印をした・・・そして、自力でそれを解除することを願ったのだろうか。「渦巻き封印」を施された眼には、鳥居の力で・・・  「鳥居の封印」を施された肉体には、うずまきの力で・・・》
 
ただし、その解除には《ある条件》が絶対的に必要だったのではないか、と思います。それは・・・「愛情です」。
 
自らの命と引き換えに《うずまき》をナルトに与えた両親は、一緒に愛情を注ぎこんだ・・・
自らの命と引き換えに《鳥居》を佐サスケに与えたイタチは、一緒に愛情を注ぎこんだ・・・
 
そして、その《愛情を知った時》ナルトは封印を解除することに成功したわけです。でもサスケはなぁ・・・まだ肝心の《イタチの愛情》には気づいていないですよね・・。
 
サスケが「六道の本当の力」・・・本当の変化を手にするのは、まだ先・・・愛情を知った時になるのでしょうか。
 
 
 
☆長駄文、読んでくださって感謝。(分かりづらくてすみません・・)
 
 
☆なにしろ六道仙人については、まだ分からないことが多いので・・・これは予想とか考察ではなく・・現時点(571話現在)での雑考ということで; 今後、仙人や封印についての新事実が分かれば その都度見直し、どんどん考え直していきたいと思っています。
 
 
 
 

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