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ガイとカカシ その3 ずーっと青春だったガイと、ずーっと青春じゃなかった?カカシ

ガイとカカシ その3 ずーっと青春だったガイと、ずーっと青春じゃなかった?カカシ

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『青春』って・・・日常会話じゃあまり使わないような気がするんですけど・・・・・一応辞書を見ると、
 
その1:年の若い時代。人生の春。
その2:希望や夢に溢れた時代。
 
・・・なるほどw 意味「その1」は誰にでも必ずありますけど、「その2」のほうは個人によって違いそうですね。
なかには「途中でやめちゃった人」もいるし(オオノキとか)、今まで無かったんじゃないの・・・?と思える人もいる(カカシとか)。あるいは、もしかしたら物心ついた頃からずっと青春なんじゃないか?と思える人もいる(ガイとか)。
 
今週573話では、珍しくカカシの口から「青春」なんて出てビックリですけど・・ 「オレ達の青春もまだ終わっちゃいない」だなんて…カカシの場合は「まだ始まってもいないんじゃないの?」とツッコミたくなりますがw 
そしてガイのほうは、一体いつからいつまでが青春なんだろうと思うし、彼は青春の「終焉」を酷く恐れている気がします。
 
九尾事件当夜、カカシに「青春は今しかないんだぞ!」と熱く叫んでいたガイ。
 
・・・あの時彼等はまだ13,4歳なんだですけどね~、ガイはあの頃から「青春は今しかない」って焦っていたんですね。(焦っていたわりには30歳になった今でも、まだ青春してるわけですが)w 
そしてカカシのほうは当時14歳だというのに・・・全然青春している感じじゃないんですよね。
ま、カカシの場合は九尾事件当時に至るまでに辛い経験を散々してきてますから、夢とか希望なんて失っていたのかもしれません。この頃からガイとカカシ、二人にとっての「青春」は全く違うものだったんですね。
ガイにとっては青春とは掛替えの無いモノ・・・ カカシにとってはどうでもいいような無縁のモノ・・・
 
しかし、ガイはなぜ「青春」にここまで拘るのしょうね~。彼は怪獣特撮映画とか見て育った感じなので(尾獣を見て怪獣って言ってましたよね、)青春熱血ドラマとかも好きで影響受けてるのかもしれないし・・・(勿論、師匠の影響とかも あるのかもしれません・・・ってガイの師匠はどんな人なんだろ)。
そしてガイにとって青春が大切な理由・・・
それは『夢と希望を持ち続ける事=目標に向かって走り続けられるから』でしょうか。 彼は常に自分ルールだとか「カカシとのライバル競争」とかハードルの高い目標を持ち続ける事を原動力にしている。その夢の為に努力する・・・それが彼の生きる証にもなる。
 
おそらくガイは、子供の時からカカシが目標で カカシにいつか並ぶという夢のために頑張ってきたんだと思うんです。で、上忍になってカカシに追い付いてからは・・・今度は「弟子を立派に育てること」が彼の新たな夢になったのかな。
 
リーと二人三脚で夢に向かって進むことは、ガイにとっても「青春真っ盛り」だったと思うんです。
だけどリーもすっかり成長して、同世代のナルトがあんなに頼もしくなっちゃって・・・ガイは「弟子を立派に育てる」という夢・目標を見失いかけてるのでしょうか。・・・だから「老いぼれ」発言が出ちゃうんだろうか。
 
ガイ班って、他の班と較べてちょっと違うな・・と思うのは 今でも中心が「ガイ」であること。ネジやリーじゃなくて「ガイ先生」がいまだに中心になり過ぎてる気もするんです・・・。 573話でも、リーが「ガイ先生の勇姿に応え・・」なんて言い方をしていましたよね。ガイは期待に応え、永遠に「ナウくてカッコイイ先生」でいなくちゃと・・責任を感じていそうなんですよね。そしてそれが次第に重荷になりつつあるし 不安になってもいるのでは・・。
 
54巻では、ナルトが真実の滝で修行を始めたと聞いて「青春の中でもがく若者を放ってはおけない!」なんて叫んでいましたが・・・いささかその言動は空回り気味で・・・アオバとモトイに「あの人アレなんで」なんて言われちゃう始末。
そして真実の滝に挑み、『リーの手前青春で行かなきゃいけないのは分かるが・・誰もそんなお前の無理矢理な青春なんて望んでなんかいないんじゃないか?』なんて本心が見えてきちゃうのだ・・・。
 
27巻でも、リーの体力についていけずにバテて「青春も無理な齢」だと弱音を吐いているし・・・真実の滝でも「老けたオッサンが無理すると体を壊すぞ」なんて本当のオレに言われてる。573話でも、ナルトの圧倒的な強さと自分の力を比較して「老い」を感じているのかもしれない・・・。
 
確かに、年齢からくる老いは誰も避けられるものではないし 若い世代に追い越されるのも仕方がないことかもしれない(特に体術の忍にとっては・・・)。
でも本当に問題なのは、体力面では無くてガイの精神面・・・希望や夢を見失いかけてるほうが問題だな~と思うんです。
 
体力面が衰えたとしても、「夢と希望を持つという意味での青春」は年齢に関係ない・・・
それは《五影VS本マダラ戦場》が証明してますよね。平均年齢はかなり高いってのに、皆さん青春なさってますから・・・オオノキもエーも・・・そしてマダラも。 
だから、ガイだってまた新しい夢や希望を持つことができたら・・・まだまだこれからも青春していけるのになぁ~なんて思うんですけどね;
 
で、カカシの「青春」ですが。
 
彼は7歳でサクモ父さんを失って、12歳でオビトを失って(その後おそらくリンも守れず)ずっと後悔と贖罪の人生を歩んでますから、『希望と夢に溢れてた時』なんて無かったんじゃないかと思ってしまうんですよね。
もしあったとしたら…第七班の担当になってすぐの頃じゃないのかな。
ナルト、サスケ、サクラという「大切な仲間」がまた見つかって・・・ 
 
だけどその夢もすぐに消えてしまった。
 
一時はサクモ父さんに会ったことで吹っ切れて、再び夢と希望が見えていたのかな?と思っていたんです。《ナルトと一緒に》夢を追いかけようとしてるのかな?とね・・。
だけど、この戦場に来てカカシはまた「真実の自分」を見せつけられちゃったんですよね。 ナルトの背中に見た「(ミナト)先生」・・・ミナト先生に ただ守ってもらうだけだった自分・・誰も守れなかった自分・・・あの頃からカカシの時は止まっていて、何も変わっていない。 そしてずっと青春を見失ったままだってことに気づいてしまったんじゃないだろうか。
 
『・・・オレ達はここへ来てまだ・・・』
『それ以上言うな!余計むなしくなる』
 
若い世代達は己に自信を持って、希望と夢を信じて増援に向かっている。 それを見守るシカク・いのいち達も「確かな希望」を感じ取っている。
なのになぁ・・・カカシとガイだけは、まだ新たな「希望と夢」を見出していないような気がするんですよね。
ガイとカカシには、この世も捨てたもんじゃない、自分ってもんも棄てたもんじゃないと・・・再び希望を見出してもらいたいもんです。
 
・・・・希望と夢に溢れた時代、「青春」を。
 
 
 
 
☆長駄文、読んでくださって感謝。


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