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その現実は幻かもしれない・・・ (576話雑考つけ加え)

その現実は幻かもしれない・・・ (576話雑考つけ加え)

人は誰もが己の知識や認識に頼り縛られ生きている
それを現実という名で呼んでな
しかし知識や認識とは曖昧なモノだ その現実は幻かもしれない
人は皆 思い込みの中で生きている そうは考えられないか?
 
(42巻385話、イタチがサスケに語ったことば)
 
これ・・・今週も言ってましたね、イタチさん。 難解なイタチの言葉の中でも、これはまた(私にとっては)難解・・
42巻からずーっと気になってる言葉です。でもあの時から・・・物語の進行とともに『この言葉が意味するもの』はゆっくりと語られていたんですね。
まずは最初にドカーンと難しいテーマを提起して・・・その後少しずつ、じわじわと本題に近づいていく。
岸本先生のいつもの手法ですが、これがまた何とも言えない快感とでもいいましょうか・・・少しずつ答えが見えてくるようで見えない・・この感じが たまらなく面白い(とはいっても、私にはまだに答えがよく分からないんですけど;)
 
イタチは、あの言葉で「何か」具体的な事をサスケに暗示したんだと思うんです。でも今の段階では それが何なのか・・・わからない。ただ、あの言葉を抽象的な例えとして捉えると 色々と考えさせられるもんがあります。
自分たちが考える現実とは、教えられてきた知識、価値観や思想、自分自身の体験によって変わっていきます。でもそれが必ずしも「真実」かどうかは、分からない・・・。たとえば昔の人達が 地球は平らだと信じていたように・・・地球ではなく太陽が動いていると信じていたように。
 
ストーリーの流れを川の流れに例えるなら、イタチの「あの言葉」は川の底のほうをずーっと緩やかに流れ続けているというか・・・時折ちらっと姿を見せるんですよね。 たとえば、長門(ペイン)の言葉『お前達の平和が我々への暴力なのだ』というのも その1つだったのではないかと思うんです。
木ノ葉など大国が“正義”と認識してきたモノが、小国にとっては“暴力、悪行”でしかない。どっちが正しいとか、いい悪いという問題ではなく・・・我々の認識による現実は、もしかしたら他の世界から見たら「全く違って見えているモノ」なのかもしれない・・。
 
 
《人は誰もが己の知識や認識に頼り縛られ生きている その現実は幻かもしれない 人は皆 思い込みの中で生きている》・・・
 
そして今回の戦争ですが、特に「2日目」に入ってからはあの言葉がはっきりと川面に見えてきたような気がします・・。
 
例えば「白ゼツ軍団の成りかわりの術」、あの話もその1つかなと思うんですよね。
医療部隊では、本人確認のために「チャクラによる判定」を使っていたから「チャクラまでコピーする白ゼツ」に大混乱させられてしまった・・。 
「チャクラまではコピーできるはずがない」という思い込み、そして「チャクラだったら本人かどうか判別できるはずだ」という知識。・・・それらに縛られた結果、「ニセモノ(幻)」を見抜くことが出来なかったわけですから。
忍連合はまさに己の知識や認識に頼り縛られている》事を思い知らされた、ってことでしょうか。
 
そして二代目水影戦もそうなんですよね。
 
あの戦い、二代目ちょび髭様のお茶目なお人柄と我愛羅の活躍ばっかりが目立ってたんですけどw 
でもあの話、結構大事なテーマが語られてたんですよね(だいたいNARUTOって、地味な話の時の方が 重要なテーマや伏線が隠されてる事が多い気がする・・・)。
 
二代目チョビ髭様の「蜃気楼の術」、彼はこんなアドバイスをしていましたっけ。
 
《今のオレは蜃気楼だ》 《本物は後ろ辺りに見えないように蜃気楼で隠れている!》・・・
認識している現実は“幻”であって、本物は見えてはいないってこと・・。
 
普通は「視覚」に頼り、見えているモノをホンモノと認識する・・・でも実は「触覚(我愛羅の砂)」でしか本物は判断できなかったりする場合もある。 己の知識や認識で判断するモノが全てとは限らないという事実・・・まさに「その現実は幻かもしれない」ってやつです。そして目の前に居る幻を本物と「思いこむ」・・・
「本当のモノ」に到達する最適な手段が、必ずしも「自分たちが正しいと思い込んでいる手段」とは限らない。自分たちの認識だけに縛られていると、本当に大切なものを見失ってしまうかもしれない。・・・
 
それは25巻でイタチが言っていた事とも通じる気がするんです(警務隊やフガクに言った言葉)
 
『見た目や思い込みだけで・・・ 人を判断しない方がいい』
『未だ見ぬ知らぬモノを恐れ憎しむ・・・愚かしき事』
『一族などと・・ちっぽけなモノに執着するから 本当に大切なモノを見失う・・・』
 
・・・例えばですが、尾獣は天災であるという認識が『尾獣は危険で恐ろしい存在』という思い込みを与えてきた・・という事も、その1つかなと思うんです。 その思い込みが長い間、人間と尾獣の対立を生んでしまう結果にもなってきたわけで(そしてこういう「思い込み」は尾獣に対してだけに限らず・・だと思いますが)。
我々が認識している現実っていうのは、他方からみたり違う観点から見たら全然違って見えるモノかもしれないし、必ずしも我々は本質を見極めているわけじゃあないのかもしれない。
 
そう考えた時、九尾事件で仮面男が語った「木ノ葉を狙った理由」ってのも興味深い言葉なんです。
 
『気まぐれであり・・計画でもあり  戦争のためでもあり・・・平和のためでもある』
 
なんのこっちゃの分かり辛い、適当な言い訳みたいな言葉なんですが・・・でもこれ、なかなか鋭いと思うんですよ。九尾事件の話の中でも かなり印象的な言葉でした。
 
・・・仮面のやったことは「一方的に暴力的で残虐な破壊行為」として考える事も出来るけど、立場やモノの見方によって捉え方はかなり違ってくるの「かも」しれない。
とても平和のためとは思えないのだけど、でも読者は主人公側の立場の知識と認識しか持っていないので 立場が違ったら違って見えるのかもしれないし、主人公側は全てを見渡せてはいないのかもしれない。 そして目の前の現実を「今そのままの状況」だけを全てと考えた場合と、「長い目で未来から見た場合」とでは その評価も違ってくるの「かも」しれない(あくまでも、例という話ですけど)。
そしてサスケの深い憎しみも、尾獣達の大きな憎しみも・・・実は深い愛情、大きな愛情の1つの表現だったりする、それもイタチのあの言葉につながっていくような気がします。
 
イタチは『サスケが自分自身で“あの問いの答え”を出してくれること』を願っているんでしょうねぇ・・・。
その答えをサスケが見つけた時・・・・イタチの眼に託された本当の力が発揮されるんじゃないだろうか。
そしてやっと、その時・・・サスケは『イタチが創りだした幻』を見破れるのかもしれない・・・。
 
 
でも今はまだ、サスケは イタチが創りだした幻の中・・・・
 
 
 
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☆『二代目水影様の蜃気楼の術』なんですが、あの話は「トビを操ってる本体は 見えない所に隠れている」・・という話につながっていくんじゃないか?とも勝手に思っているのですけどw・・どうなんだろう;
 
 
長駄文、読んでくださって感謝。