ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

うちはマダラとは・・・ マダラと「絶望」について (578話雑考につけくわえて)

うちはマダラという男、そして「絶望」について (578話雑考につけくわえて)

イメージ 1
3つの戦場の「敵」の中でも圧倒的な強さと存在感を見せる「うちはマダラ」。
 
綱手は「憎しみをばらまかないでくれ・・」とマダラに言っていた・・・まるで「憎しみの象徴のようなマダラ」。
 
だけど、なぜかマダラって どんなにえげつない言動をなさろうと 全然嫌な感じはしないんです(今のところ)。「敵ボス」に好感持ってしまうなんて私だけか?と思ったんですが頂いてるご意見でも“マダラ讃”のほうが多いような気がします。
 
感触として意外とマダラは女性に支持率が高いような気がしてるんですが、どうなんだろ(ここにコメントを下さる方達の性別までは私は把握してませんけどw)。
576話でマダラが「か弱い女」発言したのに至っては、世間の女性の反応はどうなるかと思ったんですが・・・批判的なご意見は今のところ無し。 私個人的には この発言にもイヤな印象は受けず 逆に《女性の事をか弱いと思ってくれてるんだ、この人は・・》なんて思ってしまう始末。
578話では25体の分身を出すなんて「卑怯」なことまで堂々となさってるけど・・・だけど好感度は下がってない(と思われる)。 
マダラの魅力って何なんでしょう(突然ですが)。
 
私の場合はですが、559話で最初にマダラが登場した時・・・今までにないほどスケールの大きな存在感、カリスマ性、百獣の王のような「肉食系男子」の魅力に圧倒されてしまったんです。
外見や「荒っぽい登場の仕方」に感じる男らしいフェロモン・・・・でもただそれだけじゃあない。
もっと内側から感じる人間的な魅力、とでもいいましょうか。
 
578話のタイトル「絶望の弱点」。
 
今3か所の戦場 それぞれで『希望と絶望の戦い』が始まってますよね。
マダラも五影達に絶望を与えようとしている・・・いや、マダラの場合は「絶望を与えている」というよりは「望みを絶とうとしている」と言った方が適当かもしれない。
 
彼は「世界は成長する必要はない」と言い切り、「引き継がれるものは憎しみだけだ」とも言った・・・「成長」という時間を必要とする「未知数」なものや 「意志や希望」といった曖昧な望みは切り捨てる。
彼はいっさいの「望み、希望」を断つべきと考えているようにも見える・・・
 
絶望といっても《望みを絶つ》という意味での絶望。 
・・・彼は何故、望みを否定するんだろうか。
 
以前、五影会談で(当時マダラを詐称していた)トビが気になることを言っていたんですよね。
 
『希望とはあきらめに等しいものだ・・ それこそ ごまかしのセリフでしかない』と。
 
この時のトビ、背を向けてボソッとこの言葉をつぶやいているんですが・・・その背中を向けた描写が「彼自身の言葉じゃない」ように見えたんです。 
あれはトビが「マダラになったつもりで」 かつての(本)マダラが言っていたセリフを喋ったのではないか・・・そんなふうに見えたんです。 
というのも、穢土転マダラを見ていると この言葉はマダラの考えに非常に近いような気がしたんですよね。
 
「絶望」の反対である「希望」。
 
希望とは「望みをねがうこと」・・・
つまり、現状はそうではないけれど《将来そうなるといいね》という憧れや夢のことですよね。 
あくまでも「先」に期待している話であって、うっかりすれば願望だけで終わってしまうこともある。
だから「希望とはあきらめに等しい」というのは 多少大袈裟であったとしても、あながち間違いでもない。 
そして時には「希望」は口先ばっかりという「ごまかしのセリフ」にされてしまう事もある。
 
マダラという人を見ていると「有言実行タイプ」という印象なんですよね・・彼は「いつかそのうち、誰かが・・」なんて発想は好きじゃなさそうに見えるんです。 とにかく行動あるのみで、実現のためなら手段は選ばない。
 
穢土転生の使い方にしても躊躇なく『道連れ自爆』し 「当たり前だ 穢土転生の術は本来こうやって道連れに使うものだ」と平然とのたまう(カブトですら「ボク達ごと・・?」とビックリしてるのに)。 
かつては平然と他里との同盟も破棄したみたいだし、578話でも「卑怯とはぬかすなよ」なんて言って25もの分身を堂々と使う。 とにかく手段は選ばない。彼にとって大切なのは方法や手段ではなく、目的と結果。 
 
徹底した現実主義の彼にとっては「希望」というのはごまかしのセリフ、先延ばしの言い訳に過ぎない。 
だから夢や希望という曖昧な願望は絶って、ひたすら実現あるのみだったんじゃないのかな・・。
彼の辞書に「いつか」は無いのかもしれない・・・実現のための時間が足りなければ「後世の者に託す」のではなく「自分が復活してでも続きを実行する」。
そこには強烈なオレ様主義だけではなく「絶対に実現してやる」という逞しい意志も感じられるんですよね・・・(本人はどう意識してるのか分かりませんけど)。
 
もっとも現実主義の彼が行き着いた答えが「永遠の夢=無限月読」だとしたら皮肉なものですが、「希望」という名の漠然とした夢を追い求めるぐらいなら 「現実的な夢」を創ろうと思った・・そういうことなんだろうか。
 
ま、かなり彼のやり方は強引すぎるし あれじゃあ周囲の同意は得られなくても仕方なかったのかも・・。
だけど彼はたとえ卑怯と言われようが とにかく実行する。それは相当の覚悟が必要だと思うんです。
自分が傷つくことを恐れず厭わない・・・これは「傷つくことを極端に恐れるといわれる草食系男子」には絶対にできない真似なんじゃないだろうか;
  
彼が「希望を絶つ」選択をしたのも・・・ただの願望や言い訳で終わらせず「実現」させるため。
成すと決めたら実行する・・・その覚悟の重さが あの自信に溢れた「しっかりと大地に足を踏ん張った姿勢」になっている気がするんです。
だからなのかな、マダラって人に・・・人間的な魅力を感じてしまうのは。
 
周囲に何と言われようと、自分の人生に確信を持っている・・・・
堂々と胸を張って腕組みする姿に マダラの「彼なりに自分の信念に正直だった」生き様が表れているような気がするんです・・。
 
 
 
 
☆長駄文読んでくださって感謝。
 
 
 
 
 
 
 
イメージ 2
☆←ナルト好きブログ!応援よろしくお願いします(にほんブログ村