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嘘と真実について (奪ったのか、差し出したのか・・という話を再び)。

嘘と真実について (奪ったのか、差し出したのか・・という話を再び)。 

最近はもう、イタチという人物の奥深い魅力にやられっぱなしなのですが・・・そのイタチが尊敬していたという「うちはシスイ」・・・彼はいったいどれだけ凄い人物だったのか、と最近改めて気になっております。
シスイの事は、第550話「別天神」で語られ尽くされたような形にはなってますが・・実はまだ終わってはいないハズなんですよね。
 
ビーの言葉「うちは最強の幻術使い・・・瞬身のシスイか?」にあるように、シスイの通り名と言えば「最強の幻術使い」であり、そして「瞬身のシスイ」。
このうち「最高の幻術使い」については「最強幻術・別天神を使ったからと説明があったわけですが、「瞬身のシスイ」の由来はまだ明かされてないんです。
 
25巻で「うちは一の手だれ…瞬身のシスイと恐れられた男だ」という言葉が出て以降、何度か瞬身のシスイという言葉は出ているのに その説明が未だに無いってのは不自然じゃないんかい?と思っておりまして・・・。
いずれシスイの名前が再登場して、その時に「瞬身の由来」も明かされるのでは等と期待しております。
(私としては、シスイの瞬身は雷影エーのような高速移動ではなく、ミナトの飛雷神のような時空間忍術か あるいはトビのような(というかカカシ=オビト眼のような)時空間系瞳術だったのではないか・・なんて想像しております。) 
 
それはさておき・・・
 
イタチが気になって、穢土転イタチがナルトに会ったところ(550話「別天神」)を読んでいたのですが、イタチがナルトに語った中で1つ引っ掛かりを感じているものがあります。
それは『シスイが最後にオレと会った時はすでにダンゾウに片目を奪われた後だったが・・』「奪った」という部分なんです。
 
以前もこのイタチの「奪った」という表現についての疑問はどこかに書いた気がしますが(何処に書いたか忘れた←)、第580話において《イタチという人は 言葉の1つ1つに気を遣っている》ことが改めて分かってきたわけでして・・・この「奪った」という表現もさらに気になってきたのです。
 
イタチの真実の中にある、トビの真実」 の記事でも書いたのですが、《奪った》という表現は トビが語った「イズナとマダラの眼のやり取り」のところにも出てくるんですよね。
 
「(弟イズナの眼を)奪った・・・」
「(弟イズナは)自ら眼を差し出したのだ」
 
トビは《マダラがイズナの眼を奪った》とも言ってるし、《イズナが眼を差し出した》とも言っている。 
一貫していないというか、矛盾しているというか・・・いったいどっちが「真実」で、どっちが「嘘」なんだろう?って思う訳です・・。
 
この一貫性の無さは「トビがどっちか嘘をついているから」という理由も 勿論考えられるとは思うんです。 だけどこれは「トビによる主観」と「客観的事実」という違いなのではないか・・という気もしています。
 
つまり、
「マダラはイズナの眼を奪った」というのは、トビの主観による言葉(トビにとっては、そう思えた)であり、
「イズナはマダラに眼を差し出した」というのは、客観的事実による言葉(現実には、イズナは自ら眼を差し出した)だったのではないか、と思うのです。
 
本当は、イズナは「自分の眼を平和のために眼を使って欲しくてマダラ兄さんに眼を差し出した」のだが、でもマダラは弟の眼に宿る「心」を理解せずに その瞳力を「力」として使ってしまった。 だから事実上マダラは「奪ったも同然だ」とトビは考えているのではないか?ということなんです。 
 
そして穢土転された本マダラを見ていると、たしかに「弟の眼をただの道具としてしか考えてない人」ですよね。 「弟が死んで残ったのはオレの両眼の瞳力しかない」なんて言ってましたから・・(「しかない」ですからね・・)。
 
イズナが本当に託したかった「心」をマダラが受け取ってないのなら、イズナも浮かばれまい・・・。
トビの精神がイズナなのか あるいは別人なのかは今の時点では分かりませんが、少なくともトビは《イズナの意志を理解し、マダラを批判的に見ている人物》と言えそうな気がします。
 
で・・何が言いたかったといいますと、シスイの眼についても同じようなことが言えるのではないかということなんです。
 
もしかしたら、シスイは「ダンゾウに右眼を差し出した」のかもしれないと思うのです。その眼を「里を守るために使ってくれ」と願って・・。
そして残った「左眼」をイタチに差出し、同じように「里を守るために使ってくれ」と託したのではないでしょうか。 
1つの眼を「里側」へ、もう1つの眼を「うちは側」へ・・・何らかの理由で己の存在を消す必要があったシスイが「本当に平和を愛する忍」であったなら、そう考えても不思議はないような・・
 
というのも、550話でイタチはこんなことを言ってましたよね・・・
「…自己犠牲… 陰から平和を支える名もなき忍 それが本当の忍 シスイがオレに教えてくれたものだ」と。
これってダンゾウの言っていたことと同じです。
「自己犠牲… それが忍だ 日の目を見る事もなく…陰の功労者…それが昔からある …忍本来の姿」
(476話でダンゾウがサスケに言った言葉)
 
つまり、シスイの考え方は「ダンゾウの言っていた忍のあり方」と同じ・・・
シスイはダンゾウの思想に共感していたかもしれないんです。なので、シスイが「尊敬できると思った」ダンゾウに右眼を差し出した可能性はあったのではないかと思うんです。
 
ダンゾウ(里側)に眼を差し出すなんて「とんでもない」発想だとは思いますが、前例がないわけじゃない。
それより前に オビトがカカシ(里側の忍)に写輪眼を1つプレゼントしちゃってるわけですから・・。
シスイとオビトって「里とうちはの垣根に拘らない」本心から平和を愛する忍だったのではないかと思うのです(なので似てると思うんです、顔だけじゃなくて性格も・・そしてもしかしたら瞳術も)。
 
もし、シスイがダンゾウに「眼を差し出した」のが事実だったとしたら。
それならイタチが「ダンゾウが眼を奪った」と言ったのは「嘘」だったのか・・・?といえば、それは嘘ではないと思うんです
 
シスイから眼を託されたダンゾウが、その後シスイの眼を《ただの瞳力》として好ましくない目的に利用していたとしたら・・・それはシスイの意志を踏みにじった事になる。 
たとえ「シスイはダンゾウに眼を差し出した」のだとしても、イタチにとってその事実は「ダンゾウがシスイの眼を奪った」ということになるんじゃないだろうか・・?
「差し出した」と「奪った」の違い。・・それは語る人間の主観が入ることによって、どちらも事実となるような気がします。
 
2つの違った表現がされた場合、私達はどちらかが真実で もう1つは「嘘」と思いがちです。
だけど必ずしも真実は1つではなく、一見して矛盾するような2つの事柄であっても 両方が真実ということもあるんじゃないだろうか。
たとえイズナやシスイが「眼を差し出した」としても、トビやイタチがそれを「眼を奪った(奪われた)」と表現したとしても・・・それらはけして「嘘」とは言えないような気がします。
 
つまりイタチのついていた「嘘」というのも、考え方や違う立場で見れば「真実」になるということなんじゃないだろうか・・・。
 
 
☆シスイの心を受け取らなかったダンゾウに対して“眼を奪った”という表現をしたイタチと、イズナの心を受け取らなかったマダラに対して“眼を奪った”という表現をしたトビ。 
なんだかなぁ、この2人って発想が似てると思うんです(なんて言っちゃうと、怒られるかなぁ・・;)。 
 
☆でも、思うんですよね・・・イタチほどの忍が「トビを本物のマダラと思っていたのか」どうか・・・イタチはトビをどう思っていたのだろう、って。
 
 
 
 
☆長駄文、読んでくださって感謝












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