ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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六道仙人と「美しくない種」について

六道仙人と「美しくない種」について

先日の「美しい種(しゅ)」の話に付け加えるような内容なのですが、例のyahooニュース記事《野生生物保護は「美しい種」が優先》の話・・・今度は「美しい種」ではなく「醜い種」の話です。 
(醜い種という表現はキツイなぁと思うので、タイトルは「美しくない種」にしましたが;ニュース記事原文には「醜い種」という表現が使われていたので、そのままの表現を使わせて頂きます。) 要するに人間があまり好きじゃない種、ってことでしょうか。 それらの例として名指しされていたのが「蜘蛛や蛇や蝦蟇蛙(toad)・・・・彼等はなかなか救いの手を差し伸べてもらえないらしい・・・

で、「蛇と蝦蟇ガエル」といえば・・・連想しちゃうのは「仙人」でして。
 
例の白蛇仙人大蝦蟇仙人と、あともう1つの大蛞蝓仙人?。 彼らは見た目的には「醜い種」に分類されてしまいそうです。 ん~確かに、綱手の蛞蝓サマは愛らしいですが、いのが初めて蛞蝓を見た時は悲鳴を上げてましたっけ。 そりゃ巨大なヌメヌメは、可愛いとはちょっと言い難いような気がします(って、私はヌメヌメ系は苦手なもので)。 
 
しかし、よりによって仙人の里を護る動物たちが 揃いも揃って「醜い種」とは・・;
 
そもそも、彼らに仙人の里を任せたのは誰なんでしょう・・・? 六道仙人なのか(或いはその上に居るかもしれない神的な存在なのか)。 いずれにせよ、その存在は「醜い種」とも言える彼等に重要な使命を任せたということになります。
考えれば「尾獣」だって、巨大で不気味な恐ろしい外見だし「美しい種」とは言い難いですよね(仔尾獣達は愛らしいですけどね~・・)。 
神に近い存在であるはずの仙蝦蟇も仙蛇も、仙蛞蝓もそして尾獣も・・・どれも美しいとは言い難いし、どちらかというと「醜い種」になってしまう。
 
もっとも「美しい」の基準が人によって違うように、「醜い」の基準も人によって違うわけなので つまりは「苦手なタイプ=醜い」ってことになりましょうか・・・。
 
大蛇丸にとっての「醜い」は、天才型では無いとかバカっぽいということでしょうか・・・つまりナルトや自来也は、大蛇丸基準からしてみれば「醜い種」かもしれませんし; で、綱手のことは「アンタだけは殺す気なかったのに・・」なんて言っていたので「美しい種」に分類していたのかもしれません。見た目が美しいからというよりは、綱手の「柱間の孫」という血統で判断していたのかもしれませんけれど;
 
人間は一般的に「美しい種(と自分が思うモノ)」に対しては警戒心をあまり持たないし、比較的容易に受け入れる。 だけど「醜い種(と自分が思うモノ)」に対しては警戒して「受け入れ拒否」の態度で身構える・・

そして、人間ってのは「醜い種」と判断したモノと どう付き合っていくかというと・・・
拒否して駆除する(敵として封じるか、距離を置く)か・・・ あるいは「神」として祀り上げることで祟られないようにする(神として距離を置く)。
どうしても「醜い種」とは距離を置こうとするし、良くも悪くも接触しないようにしてしまう・・。
それを考えると、自来也とナルトが(醜い種の里でもある)仙蝦蟇達の妙木山に辿り着くことが出来たのは、自来也やナルトが「美や醜」に対する偏見が無くって本質だけを見る事が出来たからでしょうか。
 
自来也が、ナルトという「光っていない原石」の本質を見抜いたのに対して 大蛇丸がナルトの本質を見抜けなかった・・という点について何人かの方々からご意見をいただきました。 まさにその通りでして・・
 
カブトや大蛇丸は龍地洞に辿り着いたものの、完璧に仙術をモノにすることは出来なかったわけで(カブトは完璧だと言ってますが、容易く龍の角を折られたことでボロが出ましたよね)・・それは彼等に本質を見抜く目が無かったからでしょうか。 大蛇丸自来也の真似をして?仙術を身につけようとして失敗し、己に足りないモノを付け加えてやり直そうとしてましたが・・そういう問題じゃあないってことですよね;
 
だいたい、人間は何を基準に「美か醜か」判断してしまうのか・・・といえば、各々が持つ情報や知識によって判断していると思うんです。例えば蛇だったら「毒があるのもいるらしい」 「咬みついて縛りつけてくるらしい」 「草むらに隠れていて獲物を狙っているらしい」 「人も襲うらしい」なんて情報から 危険で忌むべきモノという判断を下すわけでして。 そして駆除対象にしたり、忌み嫌う対象にしたり・・・ (ヘビ好きの人はそんな判断はしないのかな)。
尾獣だって、「恐ろしい天災」という情報によって忌むべきモノというイメージが作り上げられ、いつのまにか敵扱いされてしまったんですよね。 偏った情報は時に洗脳に似た思い込みを作り出す・・ということでしょうか。
 
でも人間ってのは、ど~しても見た目や思い込みだけで判断しちゃいます。 本質だけを見抜く事なんてなかなか出来ることじゃない・・・・だから、それができる自来也、ナルト、ヒナタ、ビーは本当に羨ましい。 あとは・・・白、彼も本質を見抜くことができる人でしたよね。 白はナルトのことも見抜いたけれど、再不斬のことも初めて会ったその日に「お兄ちゃんボクと同じ目してる」なんて見抜いていましたから・・・。
 
大蛇丸は気持ち悪い登場をしてみたり、脱皮して見せたり、美しいんだか醜いんだか・・・もはや分かりませんけれど(ゼツには「きもい」と言われてましたっけ)。 大蛇丸の誘いついていったカブトや君麻呂・・・彼等は大蛇丸の(あの毒々しい)目に何かを見たんでしょうか。 大蛇丸の目に「本質」を見抜いて ついていったのか・・・
あるいは、本質を見抜けずに ついていってしまったのか。 
 
何処かに存在すると思われる神(あるいは六道仙人)が「醜い種」に重要な役割を任せたこと・・・それには、やはり意味があったような気がします。 本質を素直に見る者だけが「真実」に辿り着けるように・・・あえて醜い種達に導き役を任せたの「かも」しれません。 惑わされず「本質」だけを見抜ける者が主導して、いずれは対立する者同士が理解出来る世界を実現してほしい・・・そこには そういう願いがあったのでしょうか。
 
大蛇丸の選択が「美しい種」だったのなら、六道仙人(あるいは本当の神)の選択は「醜い種」だったのか・・・
 
《見た目や思い込みだけで人を判断しない方がいい》そして、《人は誰もが己の知識や認識に頼り縛られ生きている》・・・
 
・・・・・またまたイタチの言葉に帰着しちゃいそうです。
 
 
 
 
 

☆長駄文、読んでくださって感謝。



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