ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

《ボクがボクであるために・・》 “根”とサイの話

《ボクがボクであるために・・》 “根”とサイの話

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今週のアニナルは“サイとシン”の話でしたが(って、放送まだの場所もあるので内容は言いませんぞ)、最近は本誌でも何かと顔を出す「ダンゾウと根」。
 
これからナルト達が立ち向かうべき本当の相手は《忍の闇》なんじゃないかと思ってますが、ダンゾウは忍の闇を作り出してしまった一人とでもいいましょうか・・。
もちろんダンゾウ一人の問題じゃなくって、六道兄弟時代以降ずーっと積もり積もってきた問題だと思うし、それを分かり易く象徴化したのがダンゾウなんだろうと思ってます(ダンゾウ個人が悪いってわけじゃない)。
 
忍世界の底を支えるためには、心を無くさないとやってられないような任務もあったと思いますが・・それを引き受けてきたのが根であり暗部なんだろうと思います。表面的な平和を保つ為の隠された「根っこ」の部分や「暗」の部分。 
 
そこで働く暗部や根の忍達が「心を無くし己を無くすため」の道具として使われたのが仮面であり、コードネームだったのだと思います。カブトも潜伏先では名前を使い分けていただろうし、ヤマトの“ヤマト”という名前も「表任務用」に付けられたコードネームだし(暗部では「テンゾウ」だった事もあるらしいし)、サイの名前も元はと言えば「天地橋任務専用」のコードネーム。
 
本名が分からないヤマト、カブト、サイに共通する一人称は《ボク》・・・彼等は結局《ボク》ボクに出来たのだろうか。
 
(・・・で、今回は「サイ」の話をちょっと)。
 
今ではすっかり周囲に溶け込んでいるサイ、この戦争ではカカシにやたらと扱き使われてましたけど・・・カカシってばナルト達に対する態度とサイに対する態度が明らかに違い過ぎ(苦笑
暗部や根の忍は肉体面も精神面もかなり鍛え上げられているだろうし、元暗のカカシはサイを「即戦力の部下」として扱っている感じがします。 「サイ、次はお前の根の封印術を使う!オレに続け!」とか「ダンゾウがお前を買っていたのは確かだろう!?もう感情を抑える必要はない!!」だとか・・なんだか厳しい上官風の口調なんですよね。 いくらあの時のカカシは沸騰していたとはいえ、ナルトにだったらあんな厳しい言い方はしないだろうな~・・なんて思ってしまうのですが(最初の頃のカカシはナルトにも厳しい上官風口調はあったけど)。 でもそんな中で「信じてもらっている」ことや「自分が出来る事」をサイは実感しているのかもしれません
 
そしてカカシが言うように、サイは《ダンゾウのお気に入り》。
『里の同世代の誰よりも強く 何よりもあの・・素晴らしい絵心は感嘆の一言じゃ』・・なんてあのダンゾウが褒めてましたっけ。 
それに「感情を上手く無くすことができる」という点でも、サイは「同世代の中ではピカイチ」だったのかもしれません。 感情を無くした忍・・・それこそダンゾウの理想とする忍。
 
同じ“根”に所属していたカブトを見ていると、いかに己を無くすという事がキツイ事か思い知らされます。 
《ボクはボクをボクにしたい》なんて考えだしたら、カブトみたいに己探しに暴走してしまうか心を病んでしまうかも・・・。
 
サイ初登場時は、あの能面みたいな表情にナルト達だけじゃなくこっち(読者)もかなり戸惑ったものでした、なんじゃあコイツは・・・みたいな。 
しかも言っていることが『根には 名前はない 感情はない・・過去はない 未来はない』だったりで(32巻)・・・とにかくワケの分からない奴が出てきたと思ったモノでした。 
 
それに・・天地橋任務では、サイはこんなことも言ってましたっけ(34巻で)。
 
『サイという名はこの任務の為だけに与えられた名前・・ ボクは誰でもない ボクは存在しない』
 
なんだか・・今のカブトやトビが言ってる事とそっくり同じだったんですよね;
 
で、最近同じような事をトビが言った時(「オレは誰でもない」発言)、ナルトは「てめーはてめーだコノヤロー!!」なんて散々怒ってましたけど・・・ サイが「ボクは誰でもない」と言ったあの時は、ナルトはずーっと「・・・・」のままで、結局最後まで何も言えなかったんです。 
まだこの時のナルトは、ナルト自身が己の存在や名前についての答えを得ていなかったからでしょうか・・・何かしらの「違和感」は感じても、言い返すことは出来なかったのかもしれません。 
 
そして、サイの誰でもない発言を聞いたヤマトは「・・・・・」と真剣な顔をして聞いていたんですよね。 
サイの発言の根の深さを感じていたというか・・ヤマト自身もサイの気持ちが分からなくも無かったんじゃないか(と思います)。
  
で、この時はサクラが鋭くサイに突っ込んでいるんです。
 
「だったら・・・何故その絵本を大事に持ってるの!?」と ・・・(ナイスだよ、サクラ!)
 
この時のサクラと同じような台詞を カブトやトビにも是非ともぶつけてみたいもんです。
 
《だったら・・・何故その眼鏡を大事に持ってるの!?》
《だったら・・・何故その写輪眼を大事に持ってるの!?》・・とね 
 
(・・・そしてトビには、あの団扇を持ってる理由も聞きたいですが)
 
今思えば、ダンゾウやサイの登場はNARUTO物語後半に向けての「新たな問題提起」―――
 
ナルト達がこれから立ち向かっていくべき問題は、誰が悪いかではなくって何が悪いのか・・・
問題は遠くにあるのではなく、意外と近くにあるんだってこと・・・自分達自身が作ってきたことだったんだ、ということでしょうか。
 
ダンゾウは、“忍の闇”の代名詞がつく男。 (49巻雷影エーの発言による)
ダンゾウが「忍世界が生み出してきた、忍の闇の象徴」ならば、サイは「己を取り戻していく、新しい時代の忍の象徴」でしょうか。
ナルト達同世代やカカシとの関わりの中で、サイが少しずつ感情や《ボク》を取り戻していく過程は、そっくりそのまま・・・この戦争で忍達が感情や己》を取り戻していく様子と重なります。
 
ダンゾウの死によって、サイが《今まで彼を縛っていたダンゾウの呪印》から解放されたように・・
忍世界の闇の終わりによって、忍達は《今まで彼等を縛っていた鎖》から解放されるのでしょうか。
カブトも、トビも、マダラも・・・
 
そしてこの戦争はきっと・・・
 
 
全ての忍達にとっての、《ボクがボクであるために》の闘い・・なのかな。
 
 
 
 
 

☆長駄文、読んでくださって感謝。