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穢土転生について思うこと・・ その1 (穢土転生ズ帰還の絵を見て)

穢土転生ズ帰還の絵を見て思うこと・・・

今週(№589)最後の絵、さすがNARUTOと思わせてくれる美しい絵でしたね・・ 
 
空から見下ろす視点で「穢土転生達の帰還の図」を見られるのは、読者ならではの特典。 現場の忍達の視点からは、漆黒の夜空に突きぬけていくような光が立ち昇り・・・それもまた美しい光景なのかもしれません。
忍連合には まるで勝利を予告する狼煙のように見えているでしょうか… でも彼等は「誰が穢土転生の術解除を成し遂げたのか」知らないんですよね。
 
望まない転生によって穢土に引き戻され、戦いたくない相手と戦わされた「あの世の忍達」。
彼等にとっては、これでやっと浄土に戻れる「帰途」・・・ (勿論、まだ戻りたくない人もいるわけですが)。
 
穢土転生ズ、彼らとの闘いが忍世界に光の「きっかけ」を与えてくれたのも事実です。
彼等はたくさんの事を教えてくれた・・・
 
でもこの美しい幻想的な光景を眺めてると 穢土転生の術が実に広範囲で大規模に使われたのか分かってきます。術者のカブトは引き籠ってバーチャル世界で戦ってる感覚だったかもしれませんが・・・実際の世界ではトンデもない事態になってたわけで。ずい分と派手にやらかしてくれたものだと改めて思わされます。
調子に乗ったのはいいけれど、イタチが「後始末」をしてくれなかったらホント収拾つかなかったかもしれないよ…? カブト、分かってんの? って、まだマダラ問題は残るかもしれないし。
 
美しくも見えるこの光景、本来なら人間が触れてはならない領域に手を出した結果の図でもあるわけで・・見方によっては《とんでもなく恐ろしい、あってはならない絵》なのかもしれない。
 
第一部、第二部の終わりとも“蛇師弟によるエドテン騒ぎ”によって 大いに世界は振り回されたわけですが…しかし、この蛇師弟の間でも決定的な違いはあるような気がします。 それは“己”をどこまで弁えているか?という点なんじゃないかと…ようするに己の自制心ってやつです。
 
《力を持てば傲慢にもなってくる》とはイタチの言葉ですが、己に相応しい力以上のものを手にすれば人間ってのは図に乗って暴走し、結果失敗する…。
 
例えばですが、カカシ外伝で・・・カカシが《開発したての千鳥》を師の制止を振り切って使って暴走し、結果「敵のカウンター」つまりしっぺ返しに遭い・・師に助けられるも大怪我をするということがありました。身の程知らずは大怪我のもと・・・。
 
大蛇丸は穢土転生を「完成」させ、それを見せびらかすようにヒルゼンの前で使ったわけですが・・でも大蛇丸が出した穢土転生は2体。 しかも四紫炎陣の結界内。
多くのDNAをコレクションしていたはずの大蛇丸はもっと多くの穢土転生を出すことも可能だっただろうし、もっと大々的に穢土転を展開して木ノ葉崩しを有利に進める手もあったのかもしれない。でも彼は、穢土転は結界内でしかも2体にとどめた・・(ホントは3体予定だったらしいけれど)。
 
今となっては大蛇丸の「真意」は分からんのですが、彼は穢土転を《自分のコントロールできる範囲内》に留めた可能性もあるのではないかと思ってます。 結界の中で行った理由は 誰にも邪魔させないという理由の他にも《術の及ぶ範囲》を限定させておきたかった・・という思慮もあったのではないかという気もするんです。
大蛇丸は「穢土転生」の危険性も十分警戒しつつ使っていたのではないかと・・。
 
それに対してカブトは自分の能力を弁えず調子乗って穢土転しまくったわけで・・・
そこが経験豊富な大蛇丸とカブトとの いわゆる「経験値の差」なんじゃないかと思うんです。カブトは《何よりこの術が素晴らしいのは 術者に何のリスクも無い事だ!》なんて言ってましたが・・ん~・・たしかに大蛇丸に穢土転生の術を使ったことによる具体的な「後遺症」的なものは見当たらなかった。 それは大蛇丸が術を己のコントロール出来る範囲内に抑えたためだったのかもしれません (勿論失ったものは大きかったわけですが)。
 
今週(№589)、マダラが己の須佐能乎をモクモク育てて《まだだ・・》 《定まれ!》と絶妙に大きさをコントロールしてましたけど、あれも自分が制御できる大きさに調節してるってことですよね。 ちょうどピッタリのところで止めるなんてのは職人技とでも言いましょうか・・・まさに「経験」が為せる業と言いましょうか。 何でも大きくすりゃいいってもんじゃないんですよね。何でも・・
カブトに足りなかったのは己のコントロール・・。強大な術を手に入れて、さらに自分を見失ってしまった・・
 
開戦直後、カブトのやらかし放題にトビが《図に乗るなと言っている!》 《物事には全て反動がある》と険しい顔で忠告していましたが、このあたりも《経験値の差》を感じさせる発言なんですよね(マダラもオオノキの「戦闘経験値の差」を警戒してましたけど)
 そう考えると、あの壮大で美しい《穢土転達の帰還図》は、カブトがやらかした事のツケが《この規模》で返ってくるかもしれないんだゾ・・・と警告する絵にも見えなくもないです。 
 
実際に目に見える形で「ツケ」が回って来るかどうかは分かりませんが、これだけの数の魂を弄んだことの「責任と重さ」はしっかりと受け取るべきなんだろうな・・と思います。カブトだけじゃなくて、忍達全てで・・・ 彼等の生き様、彼らの抱えてきた痛みを《ドッシリ》と受け止め、それから「学んで」いく。 そこから歩いていく。 一人ひとりの忍達が、出会った穢土転生の忍達から「もらったもの」を大切にしていってほしい・・
 
(追加)
 
穢土転生のリスク、今後具体的に出てくるかどうか分かりませんが・・でも本当のリスク、それは既にでているような気もします。
 
うちはの禁術にして最高の幻術・イザナギの術のリスクは、具体的には「眼が光を失う」ことですが・・でも実際には術者を奢らせ傲慢にしてしまう事こそが最大のリスクですよね。
穢土転生という「忍界最強の術(カブトによればですが)」も、術者の心を曇らせてしまう。人間らしい心を失わせてしまう・・・それ自体が大きなリスクなのかもしれません。
 
穢土転生の術には、術者に何のリスクも無い・・しいて言うなら術者が有名になってしまう事だといっていたカブト。 そんな事を言っている時点で、もう傲慢になって「自分を見失って」しまってる。
一番見つけたかったはずの「自分」を、最強の術のリスクによってさらに見失ってしまったという「穴」。
 
・・強大な術のリスクとは、本当はそういうことなのかもしれない・・ですね。
 
あの絵を、ただ美しい・・・なんて思って眺めてた自分への、自戒も込めて。
 
 
 
・駄文、読んでくださって感謝。
 
 
 
 
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