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大蛇丸の「余計なひと言」癖について

大蛇丸の「余計なひと言」癖について

「全て…? そんなこと知らなくてもいいじゃない… 君はまだ子供なんだから」
 
《まだ子供》なんて言われても、意外とサスケは怒らなかったですね。 これがちょっと前のサスケだったら子供扱いにかなりカチン!ときて「この胸くそ悪い蛇の出来損ないがァ!」とか言い返してたかもしれません。
大蛇丸が知っているサスケ、つまり3年間同居していた頃のサスケは背伸びして生意気ばっかり言ってましたっけ。 だけど実際には、大人達に踊らされている「ひよっこ」だったわけですよね。
でも、大蛇丸の言葉に挑発される事もなく「今はもう子供じゃない 子供ではいられない・・」と淡々と答えたりして、サスケは今迄の自分が子供だったことを認めるような発言をしてましたね。
 
…それだけ大人になったんだな。

もっとも、大蛇丸が「一言」言いたくなるのも分からないではないんです、以前のサスケは本当に《ひよっこ》だったし、それにあの巻物は大蛇丸のン十年もの研究の集大成。 ガキンチョ共が“すごいモン見つけちゃったかもよ!”なんてお宝さがし気分で扱うようなもんじゃないのでしょう(水月はお宝さがし気分に近いかな)。
さすがにサスケは深く読んで《奴らに会う》と言いだしましたが、それだって思いつきでするような簡単な問題じゃないんですよね、きっと。 だからサスケが一番嫌がる《子供》という言葉で煽りながら“本気度”を確認したという事でしょうか。本当ならサスケを止めたかったのかもしれませんが、強制的に止めるほどの力は今の大蛇丸には本当に無いのかもしれません。

大蛇丸の、《他人の感情をイラッと逆なでするような余計な一言》。
これ、結構多いんですよねぇ… カカシに「全てずれてるわね」なんて言ったり。で、それを真似したのかカブトも結構余計なひと言を言うんですよね(ただしカブトと大蛇丸では、イヤみな一言を付け加える「理由」は違う気がしてますが)。
 
今回は意外とサスケが「オトナ」になっていたので、大蛇丸の挑発的言葉?にも過剰反応はしませんでしたが・・
でも、大蛇丸の余計なひと言は《子供には無理でしょ》という忠告だけではなく、ちょっとした親心…子供がそんな事まで顔を突っこんで苦労する必要はないわ・・という大蛇丸流の「子供への優しさ」かとも思っております。 
ま、あれだけ人体実験だの子供を利用してきた大蛇丸ですから《子供への優しさ》なんて言うのはオカシイかもしれません。でも普通の感覚とはかなりズレてるものの、これが《大蛇丸流優しさ》ではないかとも思っています。
大蛇丸は、サスケが相変わらず《自分自身で判断が出来ないまま、また周囲に乗せられてしまうんじゃないか》と懸念しているんじゃないかと思うんですよね。
 
会いたかった兄さんに会って、夢見た「共闘」をして・・しまいには《愛している》という“最高のプレゼント”まで貰ったサスケ。 ショックによる抜け殻状態も危険ですが、愛情のプレゼントをもらった今のサスケも意外と危ない状況にあるんじゃないかとね・・。《子供ってのは嬉しいと、ついはしゃいでしまう》…状況を冷静に判断できないまま周囲に利用され運命に飲み込まれかねない…今のサスケは冷静な判断も出来てないんじゃないかと大蛇丸は思ったのかもしれません。
 
『…しかし子供ってのははしゃぎ過ぎるものね 特にプレゼントをもらった次の日なんてのはね』

これは18巻、まだ若い三忍が戦死した縄樹の亡きがらを確認しに、綱手に付き添って来た時の大蛇丸の言葉です。でも・・これもまた余計な一言なんですよね、こんなこと言わなきゃいいのに。
 
縄樹が綱手から「火影の首飾り」をプレゼントされて、夢が叶うおまじないをしてもらって。 愛情をい~っぱい受け取った縄樹は《はしゃぎ過ぎて》翌日戦死してしまう。・・・
自来也は《綱手は(縄樹の亡骸を)見ない方がいい》と優しく気遣っているんですが、大蛇丸は冷たい感じに
「別にいいんじゃない…どうせ見たところで弟だと判別出来やしないんだから」なんて言うんです。これまた、ずいぶんと酷い。

「戦争だからね 今は… 忍なんて皆こんなもんよ 戦場では医者なんていないんだからね」
「…しかし子供ってのははしゃぎ過ぎるものね 特にプレゼントをもらった次の日なんてのはね」…とまぁ、余計なひと言ならぬ二言三言を言って、自来也に「よせ!」と怒鳴られてるんですね… 
“いかにも大蛇丸らしい”意地悪い言い方で、綱手をなぐさめるどころか責めるかのような言葉を次々浴びせかける・・・ずい分だなぁ、なんて思ったモノです。

しかし、子供ってのは大切な人に褒められたりすご~く嬉しいプレゼントをもらったりすると、無理して頑張っちゃうのは事実ですよね。 狡いオトナ達は子供達のそういう純粋なところにつけ込んで利用する…まさに《愛情を利用するテクニック》。 少し前迄の忍世界では、そういう事がしばしばあったわけです…カブトだって利用された1人だし、長門や弥彦もそうだし。
過酷な任務に使われたイタチだって、まだ純粋な13歳だったことも利用されたような気もします。カカシだって12歳で上忍に任命されてますが、その同日に(子供には過酷すぎる)敵地奥への潜入ミッションを言い渡されてるんですよね・・。オトナを意のままに使うことはなかなか難しいですが、子供は「飴」さえ与えればナンでも張りきって引き受けてしまいがち。
 
綱手だって、《縄樹はまだ下忍なんだから戦場では逃げてればいいの》なんてアドバイスは与えてましたけど、これはオトナの考え方。 子どもは『プレゼント』をもらったり、褒められたりすれば喜んではしゃいでしまうモノです。戦地に赴く前に《火影の首飾り》なんかプレゼントしてしまった綱手の《浅はかとも取れる行動》と《忍世界が子供達を利用する現実》を重ねあわせ、あのときの大蛇丸はイライラしていたのではないか…とも思えるのです。
 
でもあの時…大蛇丸は縄樹の「火影の首飾り」を綱手に渡すために懐から取り出しているんですよね。
 
大蛇丸は一足先に来ていて(あるいは大蛇丸は縄樹と同じ戦場にいたのかもしれません)、既に遺体の確認を済ませ「縄樹の証拠である」火影の首飾りを首から外していたんですね。 つまり、綱手が縄樹を見ないで済むようにする「思いやり」だったのかもしれないんです。
なので・・・大蛇丸がイライラしていたのは綱手に対してというよりは、《子供を利用する今の忍世界》に対してだったのかもしれません。 
だけど、それが綱手に対する思いやりだったとしても・・あんな《余計なひと言》を言っちゃうもんだから、嫌味にしか聞こえないんですよね。・・ったく、何で大蛇丸はわざわざ印象悪くするような嫌味を言うんですかね~・・。
 
まぁそんな《素直じゃない大蛇丸》を分かっていたのは自来也ぐらいだと思うんです。自来也大蛇丸を諦めずに追いかけてたのも、大蛇丸のそういう「素直に表現できない優しさ」を信じてたからじゃないだろうか・・とかね。
その後も、大蛇丸はダンゾウや根に関わりながら、ずーっと《忍世界の闇に子供達が利用される》現実を見続けていくことになるわけです。

大蛇丸がやってきた種の保存的な研究や、子供達の「救出?活動」は忍世界へのレジスタンス活動でもあったとも思っていますが、もちろん彼がやってきた事は問題大アリだし「良かった」とは言えるもんじゃあありません。だけど、数々の人体実験を含めた彼の行動も、最終的には子供達が利用される事のない世界を目指すためだったのかもしれないわけでして。なんといっても大蛇丸自身、子供の時に両親をころされて辛ーい子供時代を過ごしてきたわけですから。
 
綱手が現在の医療システムを開発し得た過程には《数多くの犠牲があった・・》と大蛇丸は言ってますが(18巻で)、大蛇丸自身の行動も将来を見据えた《必要な犠牲》なのだと自分に言い聞かせていたんじゃないだろうか・・とも思えてきたりします。
大蛇丸が「嫌味な余計なひと言」を加える心理は、ちょっと前までのサスケの「闇発言(兄さん・・まずは一人目だ)」に似ているような気もします。 自らを闇に落とす発言を繰り返し、これが己の道だと己に言い聞かせる・・・。
 
雨隠れで出会った長門達のことも、「ころす?この子達・・」なんてまた余計な(印象を悪くする)ひと言を言って自来也に止められてますけど・・ でも、こうも言ってますよね、「ずいぶん戦争孤児をみてきたけど惨いものよ」と。
《国の犠牲になるのはいつも子供》という、大蛇丸の心の痛みが「惨いものよ…」の言葉にチラっと見えているような気もします。長門達の姿を見るのは大蛇丸にとって、悲しい過去と本当の自分を思い出させるモノで辛かったのかもしれません・・だからついつい余計な意地悪い一言が出る。

イタチの《愛情》という最高のプレゼントをもらったばかりのサスケが、いま冷静に判断が出来ているのか。大蛇丸はこの点をちょっと疑っていたような気もします。
サスケは自分の意志とは裏腹にイタチのために復讐をためらっているのではないか・・?そして大蛇丸の巻物のせいで、サスケが再び自分の望まない道に引きずり込まれようとしているんじゃないか?大蛇丸はそれらを懸念していたのかもしれません。

だけど、サスケは今回は違った・・・『イタチと再会し前にも増して木ノ葉への憎しみは強くなった』と言ってるんですね。この直後、大蛇丸の表情がガラッと変わってるんです、真剣なまなざしで「・・・・」とサスケを見つめている。
唯一この場でイタチの「愛の告白」を聞いてしまった大蛇丸には、サスケの気持ちが何だかよ~く分かってしまったんじゃないだろうか。前に、トビがサスケの後ろ姿に《人は愛情を知った時…憎しみのリスクを背負う》なんて思ってたことがありましたが、大蛇丸もサスケの言葉に《自分が愛情を知った時に憎しみを深めた記憶》を思い出していたのだろうか・・・。
 
サスケはイタチに影響されているわけではないようだし、今度こそ《自分の意志》で動いている。もう…大人達に利用されるようなサスケでは無い、そう思えて・・やっと、大蛇丸はサスケを子供扱いするのを止める気になったのかもしれません、もう彼は守られるだけの子供じゃない、と。
 
にしても…
 
『未だに興味があるとすれば… 』
『サスケくん… アナタのその若い体ぐらいよ…!』 ・・・なんてまだ狙ってるわよ、と脅すような余計なひと言も言ってましたけど(笑)
 
でも…これもおそらく本気では無い、と私は思ってます。 
お決まりの、言わないでもいい・・・余計な「悪キャラぶった」一言だったのだろう、と。
 
“戦争に興味が無い”なんて言っちゃったから、それじゃまるでいい人みたいだし(笑)、そこは素直に《親切全開な大蛇丸さん》になる訳にはいかないわけで… 取って付けたような、でも計算ずくな余計な一言だったと思ってます。 『自分のイメージ』を守るための。
 
…でも、実はこの《余計なひと言》にはそれほど毒が無い・・ってことを、そろそろサスケには見抜かれ始めているような気もします。
 
 
 
(なんかなぁ・・全ての「敵キャラ」も、本当の自分を取り戻して心が救われていくんじゃないのかなあ・・・)。
 
 

☆長駄文読んでくださって感謝。