ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

一部の「個」と、多くの「個」と  (第594話雑考につけ加えて)

一部の「個」と、多くの「個」と

 
《個を捨てた単一の意識の中にこそ真理がある》
《個は真実を見えなくさせる》

トビが何度も繰り返す「個」。
個について、もう少し考えてみようと思ったんですが・・・難しいですね、コレ(苦笑
個という言葉から色々連想は出来るのですが、ここでいう個とは、単純に「己」と言ってもいいものなのかどうか。
 
個を主張しすぎて排他的になるのも問題だし、個が無くなってしまうのも問題ですよね。
ようするに程度の問題でしょーよ、とも思うんですけど…その「程度(バランス)」が意外と難しいような気がします。例えば、日本人の場合はあまりにも「個」が無さすぎて《皆と同じなら大丈夫》的発想がありすぎですし、逆に「個」を求められ過ぎて脱落者を生んでしまう社会もあります。
 
トビがこだわる「個」の問題。
 
彼がどういった理由で個を否定するに至り、具体的に「個」の何を否定しているのか。・・・まだそれが分からない段階では、正直あまり突っ込めないんです。ただし、彼が言っていた《世界には もはや希望も未来も 名のある英雄もいらないのだよ!》という言葉を聞いてると、トビは『名のある英雄=目立ちすぎる個の否定』をしたいのだろうか・・という印象も持ちました。うちはマダラのような、名のある英雄の否定・・。トビが名前を隠したり顔を隠して「誰でもない=ナニガシ」になろうとしているのも、自分自身も「名のある英雄」になることを否定しているような印象は受けます。
 
『力こそ全ての今までの忍世界』においては、才能のあるごく一部の『選ばれし者達』だけが全てを掌握する。 そして肉体派では無い忍(インテリ)やどちらでもない者達は「下っ端」として、目立たない日陰を歩くしかなかったわけです。 実際には、数多くの「名も無い忍」達の犠牲によって忍世界は支えられてきたのに、恩賞や勲章をもらうのは『名のある英雄達』。その他大勢の名の無い英雄達は、何も報われることはなく(時にはイタチのように汚名まで)存在を忘れられ、ときには居場所を失っていく。・・・それが今までの忍世界だったんですよね。
 
カブトがイタチに言っていた、『全てを持っていた天才には分かりようがないよ』・・・なんだか、この言葉も切なかったんですよねぇ・・。 日の当たらない世界を歩いてきた忍の、悲しい心の痛みの声。
カブトが「名のある英雄達」を穢土転生してコマにしたのも、背後にはそういった問題があるわけでして・・・これはカブト個人の責任問題で済ませられないとも思うんです。
 
「個」と言えば、穢土転イタチがナルトにこんな忠告をしていましたよね、
 
「力をつけた今他人の存在を忘れ驕り “個”に執着すればいずれ…」 「マダラの様になっていくぞ」と。
 
あの時、ナルトは《マダラ》と聞いて《トビ》をイメージしてたんですけど(あの時のナルトはまだ「マダラ=トビ」と思っていたので)イタチはどっちのマダラの事を言っていたんでしょうね、これズーッと気になってたんですけど、結局分からないままで終わってしまった;本物のマダラの事を言っていたのか、トビのことなのか、両方なのか。 なんとなくですが(おぃ)イタチは「本マダラ」をイメージしてたんじゃないかという気はしています。一族の意見を受け入れられずに自分の意見を主張し、里を一人抜けたマダラのことを・・・。
 
そして・・・
 
「うちは一族」というと・・・「力を求めた」六道の兄ちゃんの末裔ということで、ど~しても《力を追い求めた一族》というイメージがあるんですよね。 
 
だけど実は「そうでもなかった」という事実が、例の「イザナミ」の説明によって明らかになったわけでして、あれで私が持っていた「うちは」のイメージがかなり変ったんです。
イタチの説明によれば、「イザナミ」という術は本来、うちはの仲間を傲りと怠慢から救うための術だった・・ そして、イザナミが開発されたのはイザナギという強すぎる瞳力が「術者を傲らせ“個”を暴走させる要因となってしまったから」だと。
うちは一族は《“個”に固執し暴走する仲間を止めてきた、力よりも仲間との絆や調和を大切にしてきた一族》だったんですね。
 
とはいえ・・・うちは一族の場合は、何といっても《写輪眼が命》。 
つまり写輪眼の能力次第で、一族の中での立ち位置が決まってしまうところってありますよね。 マダラ・イズナ兄弟が一族のリーダーとなったのも「初めて万華鏡を開眼したお蔭」でしょうし、写輪眼の能力次第で一族の中の「立場」が決まってしまう。 リーダーになるか、下っ端になるか・・。
オビトが、あれだけ自分の眼に劣等感(危機感かな)を感じて、落ちこぼれを自称していたのも分かる気がします。それに、マダラの協力者アイツ(下っ端のインテリ?)も、もし『うちは一族』であるのなら・・・大した瞳術を使えない下っ端だった可能性もあると思っています(マダラが下っ端扱いしているので)。
 
それだけに、強大な瞳術を持つ者は「個」に固執し暴走しがちになり、でもその都度仲間達は「イザナミ」等で諌めてきた・・・ うちは一族は時に仲間を止めながら支え合ってきた《個の力よりも仲間との協調を大切にする一族》だったのだろうか。それだけに「個」に執着するマダラは「異端」扱いされ、一族の気持ちが彼から離れてしまったんだろうか・・・?
 
マダラが考えている無限月読が「マダラという個が成そうとしている無限月読」ならば、トビ(と・・もしかしたら、マダラの協力者?)が計画しているのは「名も無い者による無限月読」なのでしょうか。
 
個が無い者による、個が無い者の為の、個が無い世界・・。
「全ての個を否定する」ことで、名のある者が無くなり・・・逆に『個が無い者達が全肯定される』世界を創る。 
彼らが求めているのはコレなのかな・・とも思えたんですよね。
 
本物の「マダラ」・・・彼は堂々と腕を組み、「力」と「個」を前面に出しまくってますよね。だけど、なぜか時々寂しさを感じさせる事がある。 それは、「協力者のあいつ」が裏切ったかも知れないという不安があるからなのかな・・とも思ったりするんですよね。その眼はたまに「遠いどこか」を見つめていることがあるんです。
なのに、頼りなさそうで冷や汗をかいたりする「トビ」のほうが、「決して譲れない」熱い闘志を仮面の下に感じさせる・・ 
それは「名も無い者の意地」なのでしょうか。
 
一部の名のある英雄の活躍に隠れてしまってきた《名の無い忍達の悲しみ、忍世界の底に深く沈んできた憎しみ》。一部の「個」の存在のために、存在を否定された多くの「個」達の問題が、ここにもあるのではないか・・とも思っています。
 
 
 
 
・駄文読んでくださって有難うございます。
 

 
イメージ 1
☆←ナルト好きブログ!応援よろしくお願いします(にほんブログ村