ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

「一つになる」ということ・・・ “術の在り方”について思うことを少々。

一つになる、ということ・・・ “術の在り方”について思うことを少々。

暑いのでいきなり本題に入ります(って関係ないですが)。

前の雑考で触れた『術を消す』という話。ざっとまとめると、万華鏡写輪眼は片方の眼で発動した術を「対」であるもう1つの眼で消せるんじゃないか?という話で、例えば天照を「着火する」眼と「消火する」眼は左右逆、ならば同じように神威も『対』であるもう1つの眼で消すことができるのではないかと・・いう事を考えました。
 
『眼』というものは、2つで1つのペア。それこそ『うちはの兄弟』のように眼は互いを補完し、牽制する役割を果たすのではないかと思うんです。右眼が左眼を、左眼が右眼を・・とね。1つがもう1つの暴走を止める役割も果たす。・・・それは、まるでうちはの兄弟そのもの。 イヤ、うちはの兄弟が「眼」そのもの、というべきなのかな。
 
《何であれ 一つとして一つで完璧なんてものは無いのかもしれない だから補うモノが引き寄せられるように生まれ… 側で対を成して 初めて少しでも良い方向へ近づけるのだと思う イザナギイザナミの術のように…》
 
これは587話でイタチがサスケに語った言葉ですが、この言葉のように うちは一族には強力過ぎる術を対であるもう一方で「抑える」という発想があるのだと思います。瞳術も、その他の術も、そうやってバランスを取ってきたのでしょうか。
 
「第二部」に入ってから、強力な術が次々と登場してきたのと並行して「術の使い方バリエーション」も多彩になってきたと思うんです。 攻撃力の強さを追求するだけではなく、術も使い方次第・・と云いましょうか。 
 
例えばですが、
 
・「相殺」 (角都戦での火遁に水遁、雷遁に雷遁など)、
・「上書き」 (別天神や、穢土転生の札など)、
・「解除」 (穢土転生の術解除、封邪法印の解など)、
・「止める」(天照、イザナミや神威) 等々・・。 
 
「術」には、必ずそれを「止める役割」を果たすものが存在する。
そして強力な術になるほど「それ相応のリスク」が生まれたりもしますが、それも自然制御作用なのかと思います。
 
術の属性『5つの性質変化』にも優劣関係がありますが、戦いに於いては『弱点を攻める』ためにこの優劣関係は利用されてきたと思うんです(雷遁で土遁属性を攻めるなど)。でも術の使い方バリエーションが増えていく中で、ナルトはちょっと新しい発想をして見せたんです。 
 
(サスケの)火を助けてさらに大きな力に出来るのは (自分の)風の力だけだって事だよ」
 
仲間どうし協力して術を強化するならともかく、一応サスケは「戦う相手」。 敵と想定していたハズなのにナルトはサスケを「助ける」という発想をしてみせた・・・これがナルトの意外性の発想というか、枠にとらわれない発想なんですよね。
 
あの時、ヤマトは「?」 「・・・」 「ああ…そうだな」と一瞬驚いてからちょっと複雑な表情を見せてましたっけ。ヤマトは暗部生え抜きの忍で“忍世界の闇”も十分知ってる男ですから、ナルトみたいな発想はかなり「驚き」だったと思います。だけど・・そのナルトの発想は、六道仙人が望んだ発想そのものだと思うんですよね。
 
「うちはの家紋は 火を操る うちはを持つ者の意」・・うちは一族に伝えられる「家紋の意味」。
ここで言う「火を操る者」の意味なんですが、「火遁を操る者」というのは表面的な意味であって、本当の意味は「うちはは、火(火の意志、愛)を 団扇で大きな力にする者」という意味だと思ってます。 つまり、
 
『千手の火の意志(愛)を助けてさらに大きな力に出来るのは、うちはの「力」だけだって事だよ・・』
 
・・・これが本来の意味なんだろうなぁと思うんです(これも前からブチブチ言ってますけど;)
 
でも、うちは一族でこれの意味を理解していたのは、ごく少数だと思うんですけどね(イタチとシスイ、そしてオビトなんだろうな、と。) 寄り添い合って、助け合う。 それが六道仙人が望んだ本来の在り方だと思うんです。『もともと うちはと千手は一つだとトビも言ってましたっけ。
 
そして『一つであること』、これは「術」に於いても本当の在り方であり本来の姿なんだろうと思えるんです。
 
本来の姿といえば『祖そのもの』である十尾はチャクラの始まりだと九喇嘛が言ってましたよね。
そして、十尾を9つに分割して尾獣を創造した六道仙人は『忍の祖』。全ての忍術を生み出した忍の祖。
 
六道仙人は尾獣(チャクラ)を9つに分割したのと同じように、術も「5つ」の性質変化(属性)に分けて忍術を創造したのだと思うんです。彼が術を5分割した目的は「強大な力を分散させること」だけではなく、あえて分解することで忍達が「協力し合う」ことを学んで欲しいと願ったんじゃないだろうか。
 
六道仙人は、九喇嘛達に《いずれ一つとなる時が来よう》と言い残していましたが、すべての術もいずれ一つになる時が来るのかもしれない・・なんて思うんです。仙人は忍達自身の手で「一つに戻す」事を望んでいたんじゃないだろうか。 実際に、この戦争で五影達が協力して力を一つに合わせたという事は、火・雷・水・土・風・・5つの性質変化が一つになるという意味でもあります。今、忍達はすべてが「祖」に戻るための、一つになって本来の姿に戻るための作業をしているんじゃないかと思うんですよね。
 
トビは己の目的について『一つになる』とか『もうすぐ全てが本来の形に戻るのだ・・・』と語っていたわけですが、なんだかなぁ・・・尾獣(チャクラ)が一つになって「本来の形」に戻り、そして忍術も一つになって「本来の形」に戻るという意味にとれるんですよね。 それって、「いずれ一つになる時が来よう」と語っていた六道仙人の言葉とも重なって聞こえるんです。 というか、六道仙人の「願い」というのかな・・・。
でも、それは再び合体して1つに戻るという意味とは限らず、違うモノ同士が協力し補い合って1つになる、という意味での…ナルトが風でサスケの火を助ける、みたいな事でもあるんだと思います。
 
以前までは、トビは「マダラのシナリオ」とは別の「トビ自身の第三シナリオ」を動かしていると考えていたんです。己が《忍の敵》になることで、バラバラだった忍達を1つにまとめさせたり、尾獣も忍術も1つに戻すつもりなのかと思ってたんですよね。 だけど最近のトビを見ていると、「誰か」に仕事を委託された存在のようにも感じるんです。 「約束」の仕事を忠実に実行しようとしている、まさに「トビはいい子」的存在なのではないかとね・・。
トビの背後には何者かの存在を感じますが、今の段階ではそれが「何」なのかはわかりません; だけど結局は、六道仙人の見えざる手によってそっと立てられた「道標」によって世界は動いていっているような気もします。
 
運命に選ばれた者達の出会いを設定したり、「戦争」という事態に向けさせたのも、結局は六道仙人の道標だったんじゃないかと・・・。やり方は少々荒っぽいようにも見えますが、これが仙人が忍達に与えた「ラストチャンス」なのかなとも思います。今まで同じことを繰り返し繰り返し、結局何も学んでこなかった忍達に対してのイザナミというか。
 
止めたり、解除したり、助け合ったり。 術(力)の使い方にしても、遠回りしながら忍達はようやく「一つにする」ことを学んでいってるの「かも」しれません。
 
《何であれ 一つとして一つで完璧なんてものは無いのかもしれない だから補うモノが引き寄せられるように生まれ… 側で対を成して 初めて少しでも良い方向へ近づけるのだと思う イザナギイザナミの術のように…》
 
それを、六道仙人は「何処かで」見ているような気もします。 
自分が立てた道標をぶっ壊して進んでくれる者が現れることも、どこかで期待しながら・・。
 
 
 
☆長駄文読んでくださって、感謝。