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カカシ外伝が「外伝」として描かれた理由 《「オビトは死んでいる」という思い込み》

カカシ外伝雑考; 「オビトは死んでいる」という思い込みについて

 

(※後日追記。以下の記事はジャンプ連載中、596話=仮面男の正体・オビトが判明する前に書いたものです)

 

人間ってのは、様々な《思い込み》のなかで生きております。 
 
例えば、私の場合は最近までイタチのことを「完璧な忍」と思い込んでおったのですが、穢土転イタチの「結構勘違いしている姿」やら「オレを完璧だったと言ってくれるな」発言やらで、その思い込みは見事に崩されることになりました(笑
 
《人は皆 思い込みの中で生きている そうは考えられないか》というイタチの名言(385話)は、今もずーっと私の心の中に響いています。 
 
人間ってのは、一度思い込むとなかなか脱せられるもんじゃない・・。カブトも《自分が何者か知りたければ あらゆるモノと情報を集めればいい》という思い込みから脱せないでいましたが、今「思い込み」の問題に直面しているのはカカシだと思ってます。
 
カカシが直面している思い込み・・・、それは《オビトは死んでいる》という思い込みです。
 
も、もちろん・・・今の段階では、トビとオビトの関係はハッキリしてないし、オビト本人が生きているか断言はできません、それもわかっております。一応このブログでは当初から《オビトは生きているかもしれない》という希望的な解釈をとっておりまして、オビト死亡確定するまでは《生きているかもしれない》前提で読んでいこうと思ってます。 でも考え方は皆さんそれぞれ。これも「一つの考え方」として参考程度に受け取っていただければ。
 
で、なぜオビトは生きているかもしれない・・と考えるのか。 それは《作者はまだ一言も オビトは死んだと書いてないし、描いてないから》なんです。 カカシ外伝でも、あえてオビトが死んだかどうかはハッキリしないように描かれている。・・ってことは「生きている可能性があるんじゃないか」と思ってしまう訳です。こういう曖昧にされた描写の時は、まずは疑ってみることにしています(笑
 
さて、カカシ外伝(27巻240~244話)を読んでいただくと分かる、『思い込みと事実の差』があります。
 
244話で、岩の下敷きになって動けないオビトの上に、さらに岩の忍達が「土遁・烈土転掌」で追い打ちをかけて土砂崩れを起こし、オビトは完全に埋もれてしまう・・それもカカシの目の前で。だからカカシは(常識的に)オビトは助かるわけがない、と思ったハズです。で・・・読者も「もう駄目だ」と思いますよね。・・・これが「思い込み」です。
だけど、実際にはオビトの「最期の瞬間」は描かれていないし、誰かがオビトの最期を確認した様子も描かれていない。・・・これが「事実」です。
 
「カカシによる主観的な思い込み」と「作者による客観的な事実」、この2つの間には《ズレ》があるんです。
そして・・・この《ズレ》の間にこそ、トリックがあると思ってます。つまり、このズレの間には《もしかしたら、オビトは生き残ったのかもしれないという可能性》が存在するってことです。 その可能性をあり得ないと斬り捨てるか・・・あるいは万が一あり得ると考えるか。
 
で、「万が一」の場合ですが、実際にオビトが生き延びた可能性はあるのだろうか。
たとえば第三者がオビトを助けた可能性も否定できないし(たとえばゼツ)、もっとあり得る可能性としては オビト自身があの瞬間に万華鏡を一気に開眼して「神威」で時空間に逃げた(今のトビみたいに)という事もあると思うんですよね。
 
そしてもう1つのトリックは、244話の最後。この文章です。
 
《一人は慰霊碑に名を刻み・・・》
 
作者がこの文章で伝えている真実はただ1つ、「木ノ葉の人々は オビトは戦死したと思いこみ、慰霊碑に名を刻んだ」ということだけです。 作者はオビトが本当に死んだかどうかまでは言及していないし、しかも「慰霊碑」はお墓じゃあない・・・つまりオビトの遺体は回収されていない可能性があると解釈できるんです。
だけどこの文章を読んだら、カカシだけじゃなくって、読者も「オビトは死んだ」と思い込まされてしまうんです。これも岸本先生の上手い言葉のトリックだなぁと思うんです。 
 
そして、これらの巧みなトリックは 物語が《外伝》という形式であるからこそ可能になっているんです。 
つまり、カカシの「回想形式」じゃ描けなかった・・ってことです。
 
これも過去記事の内容と重なりますが(「カカシ外伝はなぜ回想ではなく外伝として描かれたか」)、もしカカシが回想する形式を取ったら全てはカカシの記憶・カカシの主観という一方的な捉え方によって語られる事になります。 だけど「外伝」という独立した物語にすることで、「カカシはどうやって思いこんだのか」という描写だけではなく、「本当はどうだったのか」という客観的な描写も同時に描く事が出来る。 カカシの思い込みと事実の「ズレ」をちゃんと示すことができるんです。 だからこそ、伏線ともなり得る・・。
 
そして、最大の「トリック」は、カカシ外伝という・・・「外伝」って名前を付けられている事です。
 
外伝と言うと、普通は本伝以外のオマケとも取れちゃうんですよね。それこそ、この前の劇場版公開記念の「銭湯編読み切り」と同じように思えちゃうんです。だけど、カカシ外伝はそうじゃない。
カカシ外伝はコミックスにもそのまま入っているし、ナンといってもちゃんと本編の通し番号の中に入ってるってことが重要です(240~244話)。 これは紛れもなく「本編」であることの証拠なんです(これも、しょっちゅう言っててすみません)。
 
岸本先生は今年の映画を作られるにあたって『三幕構成』にこだわったとDVDで仰ってましたが、おそらくNARUTOという作品も「三幕構成」なんだろうと思うんです。第一部、カカシ外伝、第二部の三幕構成なんじゃないかと。 
 
短いとはいえ三幕構成の一部を担っているぐらいですから、カカシ外伝は相当重要な物語だってことなんです。実際に、重要な伏線ばっかり詰め込まれてますからね~・・オビトの事だけじゃなくミナトの事、飛雷神のこと、戦争の事、眼の移植の事、忍システムをぶっ壊す話等々。
 
カカシ外伝ってのは カカシが《思いこんだ》物語でもあると同時に、読者にも《思い込み》を与える物語だと思っています。オビトは死んだという思い込み、そして・・・これは「外伝であって、本編に直接関係ない物語」という思い込み。 作者は、読者まで巻き込んだ《思い込み》という大幻術をカカシ外伝でかけてきているのです。・・・ったく、岸本先生は相当すごい幻術使いだなぁ。
 
実際に、オビトがどういう状態なのかは・・まだ分かりません。だけど、外伝を読む限りは「死んだ」とまでは断定はできない・・ってことです。 カカシは、トビの右眼がオビトの眼であることに薄々気づいていると思いますが(596話時点で)、オビトが生きているとは思えないでいるハズ・・・ それはカカシにはオビトは死んだという「思い込み」があるからです。
『思い込み』。 これって・・・最強の幻術かもしれません。
 
 
 
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☆長駄文読んでくださって、感謝。