ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO61~62巻を読み返して思った事を少々 《イタチが遺していったもの》

NARUTO61~62巻を読み返して思った事を少々 《イタチが遺していったもの》

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今年はなんだか「うちはイヤー」という感じの流れですね。そして61~2巻で圧倒的な存在感を見せた「うちはイタチ」だけど、結局私は「うちはイタチ」という人物はよく分からないまま・・・。
 
NARUTOを読み始めてからというもの、イタチって人物は私にとっては常に“謎”なんです。 16巻25巻は何度読み返したか分からないけど、読み返す度・・そして話が進行するに従いイタチの言葉の意味も何だか違って感じられる。イタチってのは、本当に不思議な人だ・・。
 
皆様から頂く貴重なご意見も、おそらく「イタチに関して」が一番多いような気がするんです。それだけ「イタチ」って人は我々にいろんな問題を投げかけ、考えるきっかけを与えてくれるってこと。
イタチの言葉ってストレートじゃないし難解だから、読み手によって あるいはその時々によって解釈も多様に分かれる・・・だから、最終的な「結論」に至ることがない。 そうやって、イタチは我々に常に刺激を与えてくれる・・・。 
 
たとえ物語中の出番が終わっても、イタチは話の進行と共に、いつまでも読者の心に在り続ける・・・
彼が遺した、数々の言葉と共に。
 
そしてNARUTOという物語における「イタチ」とは、作者のメッセージを伝える代弁者だと考えてます。
だからイタチの言葉を反芻しつつ読んでいけば、たとえ作者が読者に如何なる大幻術をかけてこようが(笑)霧の中で彷徨う事は無い!(ような気がする)。
 
しかし、それにしても穢土転イタチは 短い“穢土”での滞在時間中、実に沢山の言葉の道標を遺していってくれた・・。 
 
己を許し己の失敗を認めること・・ そして、
 
《何であれ一つとして一つで完璧なんてものは無いのかもしれない・・だからこそ補うモノが引き寄せられるように生まれ・・側で対を成して初めて少しでも良い方向へ近づけるのだと思う》・・などなど(この言葉、すっかり気に入ってます)
 
だけど、イタチが遺してった沢山のメッセージの中でも最大のメッセージはやはり“愛”なんだろうな・・と思うんです。
 
彼の溢れんばかりの弟への愛情は、一人っ子の私には「眩しい」なんてもんじゃない・・・もう、クラクラする(笑)。人ってこんなに誰かを愛せるものなのか?と思えるぐらいの深い愛情。 
これだけの愛情を持った人だからこそ、さらに大きな存在である里、さらに「もともと違う立場に居た人間(鬼鮫、カブトなど)」にさえ愛情を与えることができたんだろうな・・。
 
NARUTOの物語には、様々な形の愛が存在する・・・
 
自来也とナルトの師弟愛、ミナトとクシナ・ナルトの親子愛、イタチとサスケの兄弟愛、オビトのリンへの恋愛・・
どの愛も、眩しすぎるぐらいの深い愛情ばっかりです。
真剣に平和について考える人達ってのは、最も身近な誰かを真剣に愛してる。愛することを知っている。
・・・きっと、あのマダラさんも。
 
それだけ深い愛情の器を持ったイタチだから、その愛が向けられる先はは弟だけじゃない・・
死してなお、己を苦しめた里を想い・・・その愛は敵であるカブトにさえ向けられる。
 
「こいつは昔のオレに似ていた」
「こいつのことも分かるんだ… この忍の世に翻弄された者同士」
「確かにこいつのやっていることは間違っている だが… こいつだけを責めるのも間違いだ」
 
「カブトにはオレと違い死ぬ前に気付いてほしい・・」
 
イタチはカブトにけっして“共感”はしていない・・・だけど、理解した。しようとした。
・・・それは、カブトの事を「知ろうとした」から。 自分と似ていると思い、そう思うのは何故なのか・・カブトの事を知ろうとし、理解することができた。
そしてイタチは、カブトを制裁したり強制することは無かった・・・彼がカブトにした事は「イザナミ」、つまり “仲間を救うために開発され使われてきた術”。 イタチは、敵であるはずのカブトを 『同じ忍世界に翻弄された仲間の一人』として助けようとした。 
イタチがしたように、相手の事を知ろうとする気持ち、理解する心・・・それがこれから一番大切になっていくんじゃないだろうか。
 
今年は、カブトの回想にオビトの回想・・・とにかく回想が続きます。 しかも、敵側の回想ばっかり。
 
カブトの回想もオビトの回想の時間も、おそらく現実世界では「一瞬」のはずなんだけど、我々読者は長~い時間をかけ、彼らの回想を味わうことになる(まるで月読w)。 長いなぁ~とも思うけど、これらは彼らを知る、ということ・・・そして「理解」するために不可欠なもの。 特に「敵側」の回想だからこそ重要だと思うんです。そして彼らを理解しないと、きっとNARUTO世界全体も見えてこない。
 
回想を見て、カブトやオビトに共感できなくってもいいと思うんです。 
だけど、知ろうとすること・・・理解しようとすることに意味があるんじゃないだろうか? 
 
普通は嫌いな奴とか苦手な奴のことは“分かりたくもねーよ”で終わらせちゃって、最初から理解しようともしないし、知ろうともしない。 それが誤解を生んで、いつまでも対立は解決しない。だから・・・カブトとかオビトの回想を見る事は、すごく大事なんじゃないかと思うんです。
 
「真実の姿」ってものは、自分側から見た景色だけで判断するのは難しいモンです。 
たとえば、今の『オビトの回想』だけじゃ、結局カカシは何故リンを死なせたのか?リンはなぜ死ななければならなかったのか?分からないですよね。 
オビト側から見た真実は、「敵に囲まれた状況で、カカシはリンを殺してしまった」ということだけ。 
だけど読者はカカシがそんな奴じゃないと思うから、きっと何か訳があると思って「カカシの回想も知りたい」と思う。 
 
つまり読者達は・・・《真実は、両側から見ないと分からない》ってことを、まさに今「体感中」なのです。
 
イタチに倣って、カブトがなぜこんな行動に至ったのか その背景に何があるのか・・理解しようとする必要があるんじゃないだろうか。
 
「イタチとは…?」
「一族とは…?」
「里とは…?」
「そして…」
 
「全てを知り自分で考え答えを出し 己の意志と眼で成すべきことを見据えたい」
(62巻593話のサスケの言葉)
 
サスケも、全てを「知りたい」という思いで動き出した…それは「理解」に向けての第一歩。
 
サスケが誰に会いたいのか・・私はその中には歴代火影が含まれるんじゃないかと思ってます。 『最終的に』サスケが誰に会いたいのかは分からないけど、その為には大蛇丸の術』が必要みたいだし、その為にはまず屍鬼封尽」された大蛇丸の「腕」を取り戻す必要がある・・。
 
どんな術であろうと、術式を知っていれば「解」をすることも可能らしい・・ってことは、62巻でマダラが穢土転生の印を知っていたために「解」して逆らったり、サスケがアンコの封邪法印を解(「解邪法印」)した事からも推測できます。
大蛇丸は三代目が屍鬼封尽」の印を組むのを見てますから、おそらく「印」を覚えている… だからサスケ達なら、屍鬼封尽を「解」することも可能なんじゃないかと思う訳です。
 
大体、水月がやたらと「奴(大蛇丸)が復活しても両腕は使えない」とか、「奴の両腕が屍鬼封尽で使いものにならない」なんて繰り返してるのは怪しすぎで(笑)、もうこれは、サスケ達は屍鬼封尽の解・・つまり「屍鬼解尽」をするのは確実じゃないかと思っちゃうんです。
 
大蛇丸の腕を死神の腹から出せば、当然一緒に封じた歴代火影の魂もついてくる…
 
サスケが柱間と会って話をして千手側の事情を理解し、ナルトがマダラと会って話をしてうちは側の事情を理解する・・・お互い「敵側」の事を知ることで、少しは理解できるようになるんじゃないだろうか?たとえ共感までは出来なかったとしても。 でも、それは・・・もはや身内に対してだけじゃない・・「敵」に対しての愛も問われてくる。
 
そして、ナルトもサスケも、互いに理解したうえで再会すれば…
そうすれば、きっと「答え」は見つかるような気がする・・・

「今のアナタ… 悪くないわね」 なんて大蛇丸はサスケに言ってたけど、61巻でもカブトに言ってましたよね・・「知りたいことがどんどん増えるわね・・・それはいいことよ」って。
 
そんなサスケの姿を、天国のイタチも微笑みながら見てるんじゃないかな・・・
 
《本当に、頼もしくなったな・・サスケ》って。
 
 
 
 
 
☆長駄文、読んでくださって感謝。