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NARUTO-ナルト- 63巻 感想 (雑考)

NARUTO-ナルト-63巻 感想(雑考)

今年の戦争編は重た~い話が多かったけど、九喇嘛とナルト、イタチとサスケ、カブトとウルシのように心が温まる話も多かった。 今は重たい「マダラとオビトの話」も、きっといつかは“暁”の光が見えるとは思ってますが・・・まだまだ先かなぁ。
 
さて、63巻・・・とにかく『表紙』が、かっこよすぎ!
 
かなり贔屓も入ってますが(笑)、最高にこの表紙は好きです。
ナルトがやってる指さしポーズ、これってオビトが火影を夢見てた子供時代からお得意だった「オレはうちはオビトだぞ!」のポーズですな。今じゃ「好きに呼べばいい」だとか「言ったハズだ!」のポーズになっちゃってるけど・・・
 
63巻のメインは、なんといっても「トビの正体バレ」なわけですが、面を取られる前に《オビト》という答えが徐々に炙り出されて過程、そして1つ1つオビトに近づいていく「緊迫感」の高まりは何度読んでもゾクゾクします。 コミックス派の方は、詳細は「ジャンプ・ナルト感想」の595~607話あたりに書いてますので お時間があれば一読いただければ有難いです。 今回はコミックスを読んで改めて感じた事を数か所だけ取り上げたいと思っております。
 
《まずは599話の「サイレント描写」についてですが》。
 
オビトだと判明する直前、岩のゴゴゴ・・光景やらカカシの神威分析などで緊張感がグングン高まっていくわけですが、何といっても最高潮に達するのは《カカシと仮面男の万華鏡写輪眼の模様が一致する瞬間(598話)・・・ そしてナルトの「てめーは 誰だァアアア!!」で最大音量まで興奮が高まったところで・・・
 
一転して599話、「無音」の世界に入る。
 
・・・これがもう、とにかくスゴイとしか表現できません。
タイトルの「うちはオビト」と共に始まる、サイレント映画のような「うちはオビト物語」。
 
NARUTOにおける映画的な「効果音」については度々雑考で取り上げておりますが、特筆すべきは無音の景色描写や「無音状態の擬音語」・・・これは以前某NHKの番組でも取り上げられているほどですが(過去記事無音状態の美しさ」)、無音の極めつけが・・・この《サイレント》描写かと。
 
私は古~いサイレント映画が大好きなんですが、会話や音楽が無い分ストレートに主人公の心情がしみ込んでくる・・・ で、自分が主人公になった気分で「台詞」を頭ン中で考えながら観てしまうんです。
595話のサイレント部分、これも台詞やら効果音の強制が一切ないから 読者それぞれの想像力に委ねられ、何を読み取るのかは読者次第(それこそ洞察眼の無い自分の読み取りは怪しいモンがありますがね)。
 
599話で明かされた事実、それは仮面男が「うちはオビト」だったという『外っ面』の事実と・・もう1つは「仮面男の少年時代は、こういう人物だった」という『内っ面』の事実。この2種類の事実が「仮面男の真実」として呈示されたと私は受け取ってます。 で、このサイレント部分の『内っ面の事実』のほうが重要なんじゃないかと思うんですよ、イタチが言うように《人を見た目や思い込みだけで判断しない方がいい》んじゃないかと(特にうちは一族の場合は・・)。
 
サイレント部分で明かされた、オビトの「遅刻の理由」・・・・つまり困ってる人を見捨てられず、本当に助けていたという事実。 
 
でもその「理由」をカカシには信じてもらえなくって「嘘」と言われるし、おまけに貰った飴玉のせいで蹴とばされて傷を負うし。 そして努力しても、何かと報われない・・・ 
オビトの人助けや努力の見返りは、不名誉と「傷」と誤解ばっかり・・・・オビトは淋しそうだけど、だけど頑張っちゃう。これがサイレント部分が読者に伝える「仮面男の真実の答え」でもあると思うんです。
 
オビトが現在やらかしてる「絶望を知れ」なんて行動を見ていると「彼は変わってしまった」としか思えないんだけど“正体明かしである599話”で作者がわざわざ伝えてくれた「真実」・・・これは忘れちゃあならない《オビトの本質》じゃないかと思うのです。もちろん、あくまで「個人の感想」ってことですが。
 
もっとも「本当のオビトの姿」にミナトとリンは気付いていたと思うんです。 ミナトはオビトの遅刻の理由を信じていたみたいだし、リンはオビトがどんなに遅刻しても必ず笑顔で迎えていた(これ、なかなか出来るこっちゃない)。 だけどカカシは、周囲に迷惑をかけるオビトを叱って「人助けをしていた」という理由を信じようとはしなかったんですよねぇ・・・ 
 
63巻603話で登場するリンの言葉、「強がって傷を隠してもダメ」 「ちゃんと見てんだから」。
 
これはオビトの性格を正確に見抜いてのことだと思うんです、オビトは本当の自分を仲間にさえ見せようとしない、自分の「傷」は隠して一人強がる・・。だから、天国のリンは今でもオビトのことを「ちゃんと見てる」んじゃないかと思うんですよ、また一人で傷を隠して頑張ろうとしてるって。
 
でも、今はもうミナトもリンもいないんだから、今度こそカカシがオビトの本心を見抜いて欲しいんです。
 
それが、カカシが本当に「やるべきこと」なんじゃないかな。
 
 
そして、オビトが得た新しい力『神威』・・・ 
 
 
これはまさに神レベルの術だけど、同時に己が霊体になるような術・・・ あの日からオビトは自分自身の「生」を諦めてるように見えるんです。 あんまし言いたかないんだけど、Obitoってのはスペイン語では「死」を意味する言葉だったりするし。。
 
そして、そのキッカケは602話最後でオビトが「グルグルを着た時」だったと思ってます。
 
この部分、コミックスでは訂正されてまして・・ 「グルグルを着たオビトの眼」に斜線が加えられ暗くなっており、そして「グルグルの内部に入ったオビトの背中」・・・これも斜線が加えられて「闇の中に取り込まれた」ことが強調されてます。
つまり、グルグルの中は闇・・・この時点でグルグルは「闇」に在ったと言えると思うんです。 《十尾の心は、少なくともあの時は未だ闇に支配されていた》・・・(これはグルグルは十尾だという推測での考えなんですが) 
 
そして605話「地獄」・・・(このタイトルはイタチにとっての地獄である400話「地獄の中で」を連想します)、
 
605話最後の一コマ、これが時々「オビトが小さな十尾に見える」と申し上げてる絵なんです↓
 
 
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《・・そうか・・ オレは・・ 地獄に居る》

それと、グルグルに纏われて木遁で暴走しているオビト、606話で「君が居る世界を創ろう」と言ってるオビトの絵・・・これらも小さな十尾に見えちゃうんです。
 
オビトと十尾が「共鳴した」瞬間かと・・・
 
で、なぜ十尾の心が闇に在るかといえば、人間共の愚行のせいだと思うんですよね。 本来十尾は光と生の象徴でもあると思うんですが、人間の闇と死に暗く染められてしまったんじゃないだろうか・・・
 
 
そして、602話「生きている」。
 
タイトルの『生きている』という言葉、これ・・・忍達に一番実感してほしいと思ってる言葉なんです。
 
戦争という多くの受け入れ難い死・・・いつも死と隣り合わせな忍の任務。自己犠牲という名で消えていく多くの命。 託し託されていく「火の意志」が尊いのは分かるけど、「生きる」事にもっと執着してほしいと思ってしまうんです。 だって、たった一つしかない命、両親から与えられた命。 掛替えのない命でもあるんだから。
 
忍をテーマにした漫画なら、どうしても生と死の問題は付きまといます。 死に様、死に際の美学、死によって解かれる呪印、大蛇丸とカブトが行った穢土転生の術・・・ チヨ婆による転生の術、長門の輪廻天生。死と再生は、NARUTOの中でも重要なテーマとして度々登場してきました。
でも、両親に会いたかったはずの大蛇丸は肝心な自分の両親は穢土転生しなかったし、そして自らも不老不死にこだわり、浅ましいほど生に執着した・・・ 
大蛇丸みたいに「生」にこだわる忍ってのも、あっていいんじゃないだろうかと最近思うようになりました。たとえ「反吐が出る」とか「みっともない」と言われようとね。 もっともっと、忍達は「生きている」事を実感していいんじゃないだろうか。そうじゃないと「己」を認める事も出来ないし、現実も受け入れることは出来ないような気がする。
 
オビトはかつて、何のためらいもなく自分の命をカカシに託してましたが、それでも(皆ともっと一緒にいたかったなぁ)とか「まだ死にたくないよォ~」と叫んでいた・・・あれが本当の本音だったと思うんです。
602話の《オレは生きてる!》、これこそ・・・せっかく「生きていた」オビトに、改めて実感してもらいたい言葉です。
 
《オレとカカシが揃えばより強くなれるってことじゃねーか!》
《リンを今度こそ2人でちゃんと守れるってことじゃねーか!》
 
《オレは生きてる!!》という言葉を。
 
(この言葉を、オビトがカカシと共に再び言える時が来る、と信じたい)。
 
 
そして・・・ラストの607話「どうでもいいんだよ」。 
 
これは色々な意味で衝撃的な話だったんですが、NARUTOの第1巻第1話、冒頭は『九尾事件と四代目の話』で始まります。つまり九尾事件とは物語最大の謎であり最重要な話であって、そう簡単にその全容が明かされるハズはないと思っています。我々読者が知っているのは、53巻クシナの回想と63巻のオビトの回想・・・これだけです。当日のうちは一族の行動も謎だらけだし、核心が明かされるのは、おそらく「これから」。
 
で・・607話を読み直してみて、改めて思ったんですが・・・
当日のオビトの行動は、この回想で描かれている部分が「ほとんど」なんじゃないだろうか。
 
(28巻で「帰郷したナルト」そっくりに、電柱の上に立って里を見渡しているオビト・・・自分の顔が彫られるハズだった四代目火影の所にミナト先生の顔岩がある・・・・) これは「久々の帰郷」を示す光景だと思うんです。 
 
そして次にオビトが向かったのは、木ノ葉の墓地。時は既に夕刻なのか、カカシの背景にある雲には「影」が描かれ、夕日に雲が染まっているように見える・・・ それに続く、里の中での「口寄せの術」の記憶・・・ 
 
その時、オビトが遠くに見つけた懐かしい「ミナト先生」の姿。
 

(ミナト先生・・・)
 
 
この時のオビトの「ミナト先生」の言葉切なくって・・・ これ、久々に会ったミナト先生を見つめるオビトにしか見えないのですよ。 
 
だから、里から離れた場所でその前にクシナを襲い、ミナトと会話してナルトを放り投げてるハズの仮面男がオビトかどうか・・疑問もあるんです(クシナを襲った仮面はずっとフードをかぶったままなので長髪なのか短毛なのかもわからない。「すり抜け」は使うが移動の時空間忍術は使ってない)。

だから鉄の国でオビトが言っていた、「お前(ナルト)に会うのはまだ二度目だが・・・」発言は本当なのかもしれないんです。 オビトがナルトに最初に会ったのは43巻(木ノ葉小隊VSトビ)であって、九尾事件当日にオビトはナルトに会ってないのかもしれない・・ つまり、あの日仮面は二人いたの『かも』しれないってこと・・・

・・・九尾事件についてはまだ謎だらけ、としか言えません。
 
ジャンプ本誌ではオビトが『本計画』を実行中で、カカシVSオビトは中断してるように見えますが・・実は2人の物語、まだ続いております。そしてこれからが本番・・見せ所のハズです。そして、いつか・・オビトが心に被った仮面をカカシが引っぺがす時が来るでしょう。
 
その時こそ、本当の意味で「トビの正体が判明する」と言えるのかもしれません。
 
 
 
 
さて、本年の雑考はこれにて終了します。 
 
今年も拙い雑考にお付き合いいただき、ありがとうございました。
 
ことしは・・
 
皆様と共に、ついに「トビ面割れ」の瞬間を迎えられて・・・本当に良かった!
 
 
 
来年もまた、NARUTOを一緒に読んで参りましょう!
 
 
 
皆様にも、NARUTOの全ての登場人物にとっても、来年が幸せな年になりますように・・・
 
 
 
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