ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO考察 ウルシとは(カブトの友・ウルシの名前の由来と言葉)

「何が何やら・・・」 “末端の忍”の言葉

名言とか好きな言葉とは違うけど、ちょっと気になっていた言葉の中から1つ。
 
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「オレ達末端の忍には何が何やら・・・ 
詳しいことはいつも分かんねーしな・・・」

(61巻587話「9時になったら」から、ウルシの言葉)。
 

ウルシって誰やねん・・という方のために:
《ウルシとは、カブト孤児院時代に兄のように面倒を見てくれた少年で、彼がカブトの頭に「兜」を乗っけたのが「カブト」の名の由来。 今は木ノ葉の「末端の忍」として参戦中だけど、カブトが孤児院に帰ってくるのを今もずっと待っている・・・まさか「カブト」が敵になっているとは思っていない》
 


ちなみに、「ウルシ」の名前の由来となったものを見つけましたので、ここに抜粋しておきます。(これは感想の方でも載せておきました)

以下、『以呂波字類抄』 奈良県のホームページから一部抜粋。
 
《倭武皇子(やまとたけるのみこ)が狩猟をしていた時、大猪に矢を射たが、止めを刺すことができなかった。部下の1人がそれならばと、漆(ウルシ)の木を折ってその汁を矢先に塗り込めて再び射ると、見事に大猪を仕留めることができた。これが、日本の「漆塗り」の始まりである。》
 

・・・・なぜこれがカブトの友ウルシの名前の由来かと言いますと、ウルシというキャラクターは「カブトとイタチ・サスケ兄弟の戦闘」の話の中に出てきますよね(カブトの回想にて)。そしてこの戦闘で、イタチとサスケが過去の「大猪狩り任務」をやはり回想してますよね、サスケが矢を外してしまった…だけど、もう今度は矢を外さないよね、という兄弟共闘の話が。 これ、上記の『以呂波字類抄』の話に少し似ています。大猪を射止めるには『ウルシ』が必要だった…というね。

『ウルシ』という、カブトを受け入れてくれるであろう存在が居てくれたこと・・・5巻から「カブトの物語」を見てきた一読者として、これは何よりの救いでした。 ウルシが最後に心の中で呟いた、今度こそ帰ってくるといいな・・・ カブト》には爆涙で、ウルシに感謝するやら、キッシーの優しさに感動するやら・・・

ウルシは、もちろんカブトにとっては大きな存在ですが、物語の中に於いては脇役中の脇役・・・物語の中枢に関わるような人物じゃあない(たぶん、ですけど)。 
なのに、何故ウルシの言葉が気になるかというと「忍」の大多数はウルシみたいな“末端の忍”達だからです。 なのに、今まで“末端の大多数の忍達”の言葉や本音は、あまり登場していなかった気がする・・・ 

《忍とは・・・ 里とは.・・・》

歴代火影ではなく、彼ら末端の「大多数の忍達」に問いかけたら、彼らは何て答えるんだろう・・・? 
当然人によって答えは違うだろうけど、多くは「忍とは食べていくための仕事」とか、すごく現実的な答えが返ってきそうな気もします。
ウルシも、同僚の木ノ葉の忍に「さっさとこの戦争を終わらしてゆっくりと寝たいと思ってな」なんて言っていたし、彼等みたいな『何が何やら分からないけど、ただ命令で動いてるだけの忍達』は、早く仕事(=忍としての任務)を済ませ、大切な人たちが待つ家に帰りたい・・・とにかくそれが一番なんじゃないだろうか。 なにしろ、詳しいことなんて分からないのだから・・・

《何が何やら・・・》 
《詳しい事はいつも分かんねーしな・・・》
 
ナルトやカカシ達、物語の中心になってる『ごく一部の忍達』は最新の情報を入手し、敵のボス級と直接戦ってきたわけだけれど、大多数の忍達はどこまで情報を知らされているのか疑問でした・・・何のためにどういう敵と戦っているのか、そして戦況はどうなっているのか等々。
 
で・・・・案の定、彼らはよく分かってなかった。
 

彼らは《何が何やら》状態であり、そしてこの戦争だけじゃあない・・・《いつも分かんねーし》とも言ってるわけで、普段の任務でも何が何やら状態だったらしい。 

特に木ノ葉なんて、『里が九尾を所持してきたこと』を火影と上層部しか知らなかったような『秘密主義の里』だし、一般の忍は『道具』として詳しい事も知らされず、ただ命令に従うだけだったんだろうとは思います。 なんといっても《情報は命より重いことがある》のが忍世界だから、情報や機密を守るためにもそれは仕方ない事だとは思うんです。

でも、知らないということは、知らないうちに「とんでもない戦い、とんでもない任務」をさせられてる可能性もある。ウルシだってまさか『敵のボスの一人がカブト』とは思わず、戦わされていたわけだし(そういえばカブトはマザー(ノノウ)とも戦いましたよね)

そして、間接的とはいえ「弟・カブトと戦っていたウルシ」は、いったい何を考えて戦っていたのかと言えば・・・、《さっさとこの戦争を終わらしてゆっくりと寝たい》ということであり、そして《戦争が終わって五大国がこのまま仲間でいるなら・・・ずっと任務で会えてない弟も帰ってきてるかもしれない》ということ。
早く戦争を終わらせれば、カブトが家に帰ってこられるかもしれない・・・だから早く戦いを終わらせて家に帰りたい、それがウルシの望みだったんですよね。 
早く戦争を終わらせて家族や大切な人が待つ家に帰りたい・・それはウルシだけじゃなく、殆どの忍が望んでいる事なんじゃないだろうか。

で、カブトは何を望んでいたのか?と言えば、自分の力を認めさせるためだとか、色々と目的や意義をこじつけてはいたけれど、結局最後には《こんなとこに閉じ込められなきゃ 今頃戦争に勝ってとっくに寝てる時間だったのに》なんて言っていたわけで・・・つまり本当の「家」である仲間が待つ孤児院に帰ってゆっくり寝たい、それが望みだったんじゃないかと思うんです。 
孤児院時代から続けている《9時に寝るルール》を守り続けることで、カブトの「心」は毎晩、故郷である孤児院に帰る事ができる・・・そして安らげる場所でゆっくり幸せに寝たい。 ホントはそんなちっちゃな、だけど大きな「満たされた幸せ」をカブトは求めていたんじゃないだろうか・・。
 
つまり、ウルシはカブトの為に戦い、カブトはウルシ達を想って戦っていた・・・
 
なのに、お互い知らないうちに「敵同士」として戦っている・・・実におかしなことになっちゃってるんだけど、敵の事も、敵の考えも何も知らないまま《何が何やら》で戦っている・・・それが今までの「忍」の実態だったんじゃないだろうか。

そして《何が何やら》状態だったのは、末端の忍達だけじゃあないとも思うんです。最新の情報を得て詳しいことを知っているエリート達だって、分かっている事が多い分 疑問も増えて、矛盾にも気づいてしまう・・・
 
例の526話「ゲンマとライドウの会話」みたいに、エリート達は戦いや名誉の意味に疑問をもち、その「基準」も相当曖昧なモノだってことに気付いてる。  だから、名誉や不名誉の基準を誰かに「勲章や掟(ルール)」として決めてもらい、それに従うことになる・・・そして、それを《知らず知らずのうちに悩んでいる》・・・それがカカシやライドウ、ゲンマ達じゃないかと思うんです。 
末端の忍とエリートでは、分からないモノや悩むものの種類は違ったとしても、結局は「何が何やら」状態なのに変わりはない・・・「仕事だから」と割り切ったり、「定められた名誉や掟だから」と割り切って己を納得させてきただけなんじゃないのかなぁ・・。 

ウルシの《何が何やら》・・という言葉。
 
「末端の忍」だからこそ素直に言えちゃった、「忍の実態」を的確に表した言葉だったんじゃないだろうか・・・。
 
 
 
 

☆長駄文、読んでくださって有難うございます(感謝
 
 
 
 
 

(ナルト好きブログ!2013/03/01)