ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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水月がこだわる「一番」

水月がこだわる「一番」

柱間が語る、マダラと柱間の物語・・・そして彼らの「兄弟への想い」の物語。
サスケは彼等の「兄弟の物語」を、どんな思いで聞いているんでしょうね。 そして・・・
同じように「兄さん」がいた水月も、どんな気持ちで柱間の話を聞いているんだろう・・・?
 
水月と言えば、今じゃすっかり大蛇丸に懐いちゃって、扉間と柱間がチャクラを荒立てた時なんかオロちゃんの腕にしがみ付いてましたっけ。 でも、腕を掴まれても大蛇丸は嫌な顔をしていなかったし、なんだか《可愛い弟子を守るカッコいい師匠》みたいで・・・かつて『残虐非道な悪の華』だった大蛇丸も、今や賢明な優しい師匠。・・・・もう何が何やら(笑)  でもここから先、まだまだこういった「真実の姿」が、他にも次々と見えてくるんじゃないかと楽しみにしております。 話が逸れちゃいましたが・・
 
この戦争で、水月は穢土転生された満月兄ちゃんとは会えませんでしたねぇ。 私は、もうてっきり再会するとばかり思ってたんです。 だから、この兄弟が再会する前に穢土転生ズが昇天しちゃった時は、心の中でちょっとだけ《イタチさん、まだ早過ぎるってばよ》なんて思ったりで。
兄弟の再会は残念ながら無かったわけですが、満月が穢土転されたおかげで 彼が集めていた『忍刀4本』が発見されて、これでビーの鮫肌、カカシが預かった首斬り包丁、長十郎のヒラメカレイと合わせて7本全部、揃ったことになります。
 
で・・・兄さんの満月ですが《全ての忍刀を扱えた》というのだから、かなり優秀な忍ですよね。 
霧隠れの忍刀ってのは、刀そのものが生き物のように意志を持ち、所有者を選ぶ(認める)ところがありますから、“全ての忍刀に認められた満月”ってのは“全尾獣に認められたナルト”みたいな存在じゃないかと・・・ つまり、水月の兄・満月は歴代全ての忍刀七人衆の中でも、「一番の忍」ってことになると思うんです。
 
水月の夢も「七人衆になる事」だったみたいですが、なんといっても満月兄さんは七人衆の中でも「一番」の忍・・・兄さんの存在があまりにも偉大過ぎちゃって、霧隠れ時代の水月はあくまで「満月の弟」でしかなかったのかもしれません。 小さい頃から「手足をぶった切ってから止めを刺す」なんて派手な事をやらかして目立とうとしても、所詮は『満月の弟』でしかない・・・
久々に再会した鬼鮫への自己紹介でも「忘れたか 鬼灯満月の弟 鬼灯水月だよ」なんて、「満月の弟」と言わないと分かってもらえなかったし、満月の死後いつまでも水月は、兄さんの次・・・「二番目ポジション」を抜けられないままだったと思うんです。
 
そんな水月のモットー(好きな言葉)は下剋上なんですよね(データブックによればですが)。 
で実際にも、61巻で(ボク達の)下剋上は成功したんだし」なんて発言をしているし、38巻では、自分だって大蛇丸を狙っていた(下剋上がしたかった)とか言っている。 
そして、「大蛇丸を倒したからって君(サスケ)ってわけじゃない」なんて言ってたのも、「一番ポジション」へのこわだりが強かったせいだと思うんです。 とにかく水月は「下剋上」つまり自分が一番になることを目標としてきた・・・
 
鬼鮫に何度も挑戦してたのも、早く刀を全部集めて『兄さんを超えて一番になるため』ためだったんじゃないだろうか。 そして55巻でも、「忍刀七人衆の復活とそのリーダーになる事がボクの夢」だなんて言ってましたが、水月はここでも「リーダー」・・やっぱり「一番」にこだわっているんです。 一番にならないと兄を超えられない、誰にも存在を認めてもらえないと考えてたんじゃないのかな。
 
そもそも水月がサスケにくっついて来てた目的ですが、彼曰く《忍刀集めの為》ということだったけど、それとは別にサスケが《兄・イタチを倒す》目的を持っていたことに興味津々だったんじゃないかとも思うんです。 
でも、サスケがイタチを倒して《下剋上》を果たしたあとに知ったのは、サスケはイタチに生かされたということ・・・結局サスケは兄を超えることは出来ず、イタチあってのサスケでしかなかったということ。
だけど、イタチにとってサスケは「里より重い存在」・・・「一番」の存在でもあったんですよね。
 
兄にとって、弟は「一番」の存在・・・だけど自分を認められない弟は、それを素直には受け入れられない。
弟から見れば兄こそ超えられない「一番の座」であって、自分は二番目としての中途半端な立ち位置と中途半端な存在意義しかない・・ 水月はサスケと自分を重ねていたんじゃないだろうか。
 
でも水月は、サスケのことを「君は(大蛇丸の)お気に入りで・・と言ってみたり、「サスケ 君はさ・・言ってみれば大蛇丸一番お気に入りの弟子だったわけだろ」なんて言って、サスケが大蛇丸“一番”だった事をやたらと意識してるんです。 
大蛇丸にとってもサスケは「一番」・・・・サスケが「兄」以外の他人である大蛇丸からも「一番」と認められていたことが、水月にはちょっと羨ましかったんじゃないかと思うんです。
 
水月にとって「二番」は意味が無い・・・存在する価値も無い。 二番目とは、ただ一番目にくっついているだけの存在でしかない・・・ だから、どうしても「リーダー」とか「一番」にこだわりがある。 
誰かに一番だと言ってもらいたい・・・
 
618話でもこんなこと言ってましたよね、
 
「あのさ ボクらアンタの部下でトップメンバーだったわけでしょ んで今・・・それがこの木ノ葉の中にいる・・・ 里の強者共は戦争でいないとなると これってアンタにとってチャンスじゃないの?」
 
サスケを超えて「一番」にはなれなくっても、「サスケを含めたオレ達が一番」であれば、それでもいいと思ってたんだろうか。 だから《ボクらアンタの部下でトップメンバー》なんて言い方をしている・・・またまたトップ、一番にこだわってるんです。 もし、大蛇丸の口から「そうね」と肯定の言葉が出れば、自分も《トップ=一番》と大蛇丸に認められることになる・・・
 
でも、そんな水月の気持ちを察してなのか、大蛇丸が言ったのは、
 
「アナタ達はもう蛇じゃない」。
 
・・・コレ水月が期待してた言葉とは全然違ったのかもしれないけど、「水月自身」を認めてくれる一言でした。 誰かに利用されているだけの存在ではない、一番目とか二番目とか関係ない、「鬼灯水月」なのだと。
 
しかし、この言葉を聞いた直後の水月の「反応」は描かれてないんですよね~・・・どんな顔をしたのか、どんな態度を見せたのか描かれてない。 このときの「意図的に描かれなかった水月のリアクション」、作者に“想像してごらん”と言われてる感じがする・・・。
 
で、この時の水月が《かなり嬉しかった》ということは・・・・そのあと態度が一変してる事からも、よく分かります。 今までは、何をするにもメンドくさそうに文句ばっかり言ってた水月、「OKっすよ、大蛇丸様ァ!!」とすすんでお仕事をしてたり(笑)  大蛇丸を慕って、くっついてますから(わかりやすい)。
 
もう、水月は「大蛇丸に利用されていたサスケの次の二番目の存在」でもなく、「サスケにくっついてだけの二番目の存在」でもない。 ・・・そして、「満月の弟というだけの、二番目の存在」でもない。
自分の意志で生きている「鬼灯水月」であり、自分は自分という唯一つの存在・・・誰かの「次の存在」とかではない、と やっと自分を認める事ができたんじゃないだろうか。
そして、今までみたいに「自分は一番か、二番目なのか」に拘っていた時には分からなかった「喜び」を感じているように見える・・・
 
今思えば「前までの水月」が、穢土転満月に再会しなかったのも・・・それはそれで良かったのかもしれません。そして・・・「今の」水月なら、『満月兄さんが遺した忍刀』と出会った時にも、兄さんの想いや遺した意志を「今までとは違った気持ち」で受け取れるんじゃないだろうか。
 
 
 
柱間とマダラの、《弟を想う兄たち》の物語を聞きながら・・・ 
水月は今、
何を考えているんだろう・・・?
 
 
 
 
 
 
☆駄文読んでくださって、感謝。
 
 
 
 
(ナルト好きブログ!2013/03/08)