ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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「思い込み」という、最強幻術?について

「思い込み」という、最強幻術?について

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「弟が死んで残ったものはオレの両眼の瞳力しかない」
「引き継がれるものがあるとすれば・・・ 憎しみだけだ」

・・・こんな言い方するから、「憎しみをばら撒いている」なんて誤解されるんですよ、マダラさん!

でも、最近の「マダラ子供時代」を見て、マダラのイメージが前と変わったという方もあるんじゃないでしょうか。
 
そして623話、マダラが柱間に言った、

「・・・腑を見なくても分かるんだけどよ・・・ お前・・・」 
「髪型といい服といい ダッセーな」。

コレをまたちょっと考えていたんですが・・・もし、マダラが柱間の事を《見た目だけで判断》していたら、どうだっただろう? 
 
髪型も服装も趣味が合わないし、腹立つ余計なひと言を言ってくる奴だし、水切りは自分より上手いし(軽く自慢してくるし)、性格も趣味も合わない『イヤなヤツ』と思ったかもしれない。 でもマダラは「見た目だけで判断」せずに、柱間の「腑(はらわた)」を見て《コイツはオレと同じことを考えてやがる》と思ったんですよね。だから、柱間になら「自分の腑」も見せられるし、柱間の話を聞いてやれると思ったんだろうか。 マダラはこの年齢にして、既に「本質を見る眼」を持っていたということかな。
 
そういえば以前、サスケが「オレの眼は幻術を見抜く!」なんて叫んでは、イタチに「フッ・・強気な物言いだな」なんて言われてましたよね。 イタチが重要視していたのは「(忍術の)幻術を見抜けるか」ではなく、「思い込みを排除して真実を見抜けるか」だと思うんです。 そして今のサスケは、自ら「思い込み」を解こうとして火影達に話を聞いているんじゃないだろうか・・・まずは「相手を知ること」から始めて。
で、それって、すごく大切な事なんじゃないかな・・・。
 
さて、ここで「またかぃ!」とお叱りを受けそうですが、懲りずにまたまた掲げます、イタチの名言…

『人は誰もが己の知識や認識に頼り縛られ生きている 
それを現実という名で呼んでな』
『しかし知識や認識とは曖昧なモノだ その現実は幻かもしれない』

『人は皆 思い込みの中で生きている そうは考えられないか?』

この言葉はすごくすごく大切だと思うんです・・・なぜなら思い込みというのは《己にかける究極の幻術》であって、印で解ける「忍術」じゃない分、余計に厄介なモノだと思うからです。 一度陥るとなかなか「解」できない・・・かなりの厄介もんです。
これだけ忍術が高度になったり複雑化しても、結局 最強の幻術は(忍術ではない) “思い込み”だったり…最強の防御あるいは最強の攻撃術も、これまた(忍術ではない)“愛”だったりするんじゃないだろうか…
 
人間って、思い込みがあると、つい騙されたりもします。その分かりやすい例として、過去に「カカシ外伝」を紹介したことがありますが(※参考までに:「カカシ外伝は、なぜ回想ではなく「外伝」として描かれたのか?という話」
外伝では『思い込みを利用したテクニック』が駆使され、カカシだけじゃなく読者までが《オビトは死んだ》と思い込まされるのです。主人公達だけじゃなく、読者までが「思い込み」にはめられる例・・そのひとつがカカシ外伝であり、そして《マダラとオビト達うちは一族に対する認識(誤解)》も、その1つなんじゃないかとも思っております(あくまで私見です)。
 
見た目や思い込みだけで 人を判断しない方がいいですよ」
 
・・・これもまたイタチの言葉ですが、ナルト達はマダラとオビトをまだよく知らないのに《悪党》の一言で片づけちゃってる。 そして読者も、主人公サイドでモノを見てますから《マダラとオビトは悪党だ》と思い込まされてしまう・・・。
 
マダラの場合、とにかく最初の頃は徹底して「禍々しい不気味な存在」として描かれているんですよね。
マダラのことをよく思っていない九尾やオオノキ、そして綱手を通して「マダラ」が語られるから、読者もマダラに対して災厄か破壊者のようなイメージをすっかり持ってしまう…
だけどそのイメージは、「マダラを敵とする人達」の主観によるものだから、必ずしもそれが「全て」ではないだろうし、真実を表しているとは限らないと思うんです。でも最初に「禍々しい」イメージを与えられてるから、マダラ=禍々しい存在という思い込みがしっかりと生まれてしまう。
 
 
《そしてその次に、「マダラをもっとよく知る人物」・・・つまりオビトによる「うちはマダラ」が回想で語られると、今までとは違った別の一面が見えてくる・・・》
 
オビトの回想に登場する「マダラ」は、偏屈そうなジジぃではあるけど、真顔で「平和だけの世界 勝者だけの世界 愛だけの世界」なんて熱く語る人物で、世界破壊、憎しみをばらまくなんてイメージとは程遠い・・・。マダラの思想がいい悪いという話は「別」としても、《マダラは愛情深くて真剣に平和を造りたいと思っている人物だった》と判明するのです。私自身も当初マダラが真面目に愛を語るなんて「意外」だと思ったんですが、別に意外な訳じゃない・・・・「知らなかった」だけなんですよね。
 
 
《そして、さらに今・・・今度は「マダラを最もよく知る人物」つまり、柱間による「マダラ」が語られている最中》。 
 
今回語られた少年時代のマダラは、「腑」を見せた本来の姿・・・今までとは違ったマダラの一面が見えてきてますよね。 優しくて、熱くて、真っ直ぐで、ちょっと繊細な少年・・・

そうやって少しずつマダラを知ることで、マダラに対する「思い込み」幻術は解されていってるのではないかと思うんです。 そして、いかに「最初に与えられた思い込み」が影響力を持ってしまうモノなのか・・・それを主人公たちも読者も「実感」できるのではないか、なんて考えています。イタチのあの言葉《人は皆 思い込みの中で生きている そうは考えられないか》を実感できるんじゃないだろうか(あくまで私見ですぞ)。
 
でも、思い込みをなくすことで、人やモノの見方もずいぶん変わってくると思うんです。記事冒頭のセリフ(引き継がれるものは~憎しみだけ)にしたって、マダラに対する悪い思い込みを取っ払えば、深い悲しみを抱えた辛い言葉にだって解釈出来ちゃうと思うんです。そして61巻マダラの「か弱い女」発言だって、男は女性を守る存在(女性に戦わせちゃいけない)という意味かと、いい方向に受け取れたかもしれない・・・
 
でも、最後のほうになって ようやくオオノキも 『ちょっとだけ』気付き始めてましたよね、
 
「これがうちはマダラ・・・ ならなぜあの時ワシらを前に手を抜いた!?」と。 
 
《なぜ》とオオノキが思い始めた事・・・つまり「理由を知りたい」と思った事、それが重要だったんじゃないだろうか。もっとも、マダラさんは「砂利と本気でケンカする大人がいるか?そんな事より…」なんてすっ呆けてましたがね・・・ 
 
思い込み幻術を「解!」できる唯一の手段・・・それは「知りたい」願望なのかもしれません。
 
 
 

☆長駄文、読んでくださって感謝。
 
 
 
 
 
 
(ナルト好きブログ! 2013/3/14)