ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

NARUTO-ナルト-64巻を読んで思った事を少々

NARUTO-ナルト-64巻を読んで思った事を少々

64巻の感想と言いながら、初っ端から関係ないこと言いますが(ゴラっ)・・・今日アニメの疾風伝の新しいOPを観まして、(まだ放送されてない地域の方はすみません!)曲も良かったけど、つ、ついに○ダラさんが絵に出てきましたね(○にする意味があるのかどうか・・)今から「ご登場」が非常に楽しみです。
思わず、言わずにいられなかった・・。
 
で・・・肝心の64巻のほうですが。
 
表紙の十尾、鳥籠の扉を開けて「自分で外に出ようとする」忍達、そして不死鳥のように見守るネジ、そして「手を繋ぐナルトとヒナタ」・・・九喇嘛(尾獣)のチャクラをもらい、尾獣とも「共闘」しようとする忍達・・・表紙に全てが凝縮されてるような感じで、それだけに凄く重たく感じました。 
 
そして、何でこんなに「重たく」感じるか・・(もっとも重たく感じたのは私だけかもしれないですが)、
それは忍達が今まで、重い「呪い」の籠の中に閉じ込められてたからじゃないだろうか、と・・・。
今彼らが立ち向かっているのは敵というより、今までの自分たちが置かれていた「状況」なんじゃないだろうか、と思うんです。 忍達は自覚していたか、あるいは無自覚だったか分かりませんが、「知らず知らずのうちに」狭い籠の中に居たんじゃないだろうか。 そして狭い籠の中で、仲間どうしで争い合っていがみ合っていたんじゃないだろうか。 でもやっと今、本当に向き合うべきモノを見つけたのかもしれません。 あの重たく暗い風景は、忍達がぶっ壊そうとしている『今までの忍世界』そのものなんじゃないだろうか・・・。
 
ネジの死を通して、ナルトは『オレ達は忍び耐える者』という答えを出すわけですが、最近のジャンプの話を絡めますと、柱間のかつての決意と同じですね、「忍び耐える」・・・
 
616話の雑考で、ナルトは「忍び耐える」、自来也「忍び堪える」・・・言ってる意味が違うという事を書いたんですが、内心では(コミックスでナルトの台詞が「忍び堪える」に変えられたらどうしよう・・)とドキドキしておりました(苦笑) 
詳細はここでは略しますが、「堪える」は苦しみを我慢するという意味が強いのに対し、「耐える」のほうは糸を依って「ずっと、つなげていく」という意味があり、ナルトがネジの意志を「つなげていく」という意味を含めて「忍び耐える」と言ったのに納得させられたんです。 
 
柱間も、時間をかけて「つなげていく」ことを考えていたのなら・・・今のナルトは、まさに柱間と同じ意志を持っているんじゃないかと思えてきます。 
 
マダラは・・・どんな思いでナルトを見ているんだろう。
 
で、64巻を通して読むと分かりやすいんですが、面白いのがマダラの「表情の変化」なんです。
「さて」と十尾復活で腰をあげたマダラ、十尾の上から忍達を見ながら、そしてオビトとの会話を通して、段々表情が柔らかくなっていきます。 しまいには、オビトを見て優しく微笑んで「力を貸してやるか」なんて思ったり、忍連合を見てうっとりと(?)穏やかで嬉しそうな顔にまでなっている・・・
 
今ちょうど、ジャンプでは柱間によるマダラの話が展開中で、マダラという人物がけして「憎しみに満ちた男ではない」ということが分かってきたせいもあって、64巻の「マダラの表情の変化」は、彼の「本心」を知る手掛かりとして観察するにはとても興味深いと思っています。 今の忍達を見て嬉しそうだということは、本当は彼は、何を望んでいたのか・・・忍達は、マダラが望んでいたような答えを、出しつつあるのか。
 
そして64巻最後に登場した大蛇丸」、彼もすっかり穏やかな表情になってますが、彼もまた「今の忍達(サスケ達)」に希望を見出し、喜んでいるように思えるんです。
 
マダラと大蛇丸・・・かつては「輪廻天生」や「不屍転生」で復活にこだわり、時を超えても自分で世界を変えようとしてた人達が、今の忍達に希望を見出している・・・ 
忍連合やオビト、サスケはまだ暗闇の中で必死にぶつかり合ってますが、それを一歩退いて「客観的に」眺めている大蛇丸やマダラは 既に「光」を確実に見出しているような気がします。(そして・・・九喇嘛も、ですが)。
 
もっとも、64巻でナルト達が出した「答え」が最終的な答えかどうか・・・まだ「先」があるんじゃないかとも思ってます。というか・・・やっぱり「生きる」にもっとこだわって欲しいんです。ネジにも『生きて』自分で日向を変えてほしかった・・・ 
以前からブツブツ言っておりますが、「戦場では仲間が死ぬ」 「今は戦争だ・・」という言葉は戦争による死を肯定してしまう、諦めの言葉にも聞こえてしまうんです。
 
ネジの命を象徴するような鳥が飛びたち、そして墜とされ・・・そのかわりにネジの意志を象徴する忍連合がつくった「皆の意志の鳥」がついに忍達を「籠」から解放します。 ネジの意志はつながれたわけで、これが本当の意味で「仲間を大切にする」という事なんだろうと思うんですが、まだそれでも何かモヤモヤが残るんです・・。なぜか、残る。
 
そして、これ言うとナンなんですが・・・あえて言いますと、ネジは最終的には生き返るのではないかと思ってしまうんです。 ナルトの同期は欠けないだろうという「思い込み」もあるんですが、オビトが輪廻眼を装着して参戦したのは、最後に戦死者オール輪廻天生をするつもりなんだろうと思えてしまう・・というのもあります。 戦争としては異例の「2日間超短期決戦」になりそうなのも、「輪廻天生の期限内」だからだろうとも思えるし・・・ もちろんこれは「想像の範疇」でして、根拠と言えるほどのものはありません。
 
ただし今回読み返しても、やはり「小南とシカク達は生きている」と描かれているように私には思えてしかたない!もんですから・・ネジも「生きる」だろうと、そんな期待をしてしまうのです(理由は雑考にも書いてますが、今度まとめます) そういう展開は好きじゃない、というご意見は何度も頂いたので・・・承知のうえで申しております、すみません。
 
さて・・・
 
64巻の中から気になっている事、重要だと思ってる事を具体的にいくつかと思いますが、その前にまずは恒例の「ジャンプ掲載時との違い探し」から・・・(ざっと見て気がついた分ですので、まだまだあるかもしれませんが)。
 
絵の違いとしては、色が塗られている部分が増えたり、ジャンプではかなり描き忘れられていた、カカシの『エックス斬りされたベストの傷』が2カ所ほど加えられてましたが、でも、まだ描き忘れ部分が残ってるなぁ・・(細かいことはいいとして)
 
大きな違いは、「614話お前に」のナルトの台詞とネジの台詞が変えられてました。
 
117頁のナルトが「す・・すげェ・・」と言ってるコマ、ジャンプでは「やっぱ日向は強えーし・・・ネジはほんとの天才だってばよ…!」と(ネジには聞こえないかんじに)言ってるんですが、コミックスではコレ削除されてますね。
 
そのかわり、123頁に「天才ばかりにたよってられねェ!こっからオレも・・」と、次にネジの「フン・・」が加えられてる。 ここでナルトとネジの間で「天才」という会話が「直接」交わされたことで、その直後のネジの最期の言葉『お前に・・ 天才だと・・言われたからだ』が効いてくるのかもしれません。。
 
あと小さい違いと言えば、ネジが挿し木に刺された時の血飛沫が増えてる事と「バシュ」という音が加えられてる事、それとちょっと気になったのがオビトの表情が変えられてるところ・・・
 
141頁の上、ヒナタの「それこそ本当に仲間を殺すことになる・・!もう仲間じゃなくなってしまう そう思うの」を聞いたオビトの表情が、じっと聞き入るような「・・・・」になってるんですが、ジャンプの時は眉間にちょっとシワを寄せて切ない表情になってたんです。 だから、オビトはちょっと困ったような哀しいような様子に見えたんですが、コミックスではヒナタの言葉に感心してるようにも見える・・。 
 
あの切ない表情もすごく良かったんですが、変更されたってことは・・あの時のオビトは切なかったわけじゃないのかも。 どっちかというとヒナタの言葉にドキッとさせられてる感じにみえます。
 
まだざっと見ただけなので、その他にもあるかもしれません・・・気付いた方は教えてくださいな。
 
その他 過去の毎週の感想と一部内容重複すると思いますが、コミックス派の方もあると思うので いくつか64巻で気になっている部分をいくつか絞ってまとめてみようと思ってます(多少、最近のジャンプの内容と絡ませながら)。 マダラの事、ナルトとオビトの事、十尾や九喇嘛の事、神威の事、シカク達が助かってる「理由」、手を「繋ぐ」ことなどなど・・項目別に。
 
 
表紙のヒナタ・・・大人っぽくなったなぁ・・・
 
 
 
☆駄文読んでくださって感謝。
☆64巻感想、これから続けます・・・
 
 
(ナルト好きブログ! 2013/04/04)