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NARUTOの中の誇り高き失敗者たち (627話感想に追加して)

誇り高き失敗者たち (627話雑考追加)

最近はすっかり“鷹”のお母さんみたいになってる大蛇丸だけど、少し前までは「忍者とは術を扱う者を指す」とか言って忍術の真理を極め、六道仙人に近づこうとして足掻いていたんですよね。 だけど、己の失敗に気付いてそれを認め、肩の力が抜けたのか…どういうわけか最近の大蛇丸は「清々しい顔」をしている…。 
 
己の「失敗」に気付き認めた人といえば 穢土転されたイタチもそうでしたが、彼の場合は何でも一人で抱え込んだことを「失敗した」と言い、そしてサスケを「道標」で強制的に導いてきた事を間違いだったと認めたわけで…イタチが到達したその心境は、かつての六道仙人が最後に辿り着いた心境と「ほぼ同じ」と言っていいかと思っています。 でも、己の「失敗」を認め、受け入れたイタチの表情も…何だか清々しかった。 
 
「かつて六道仙人は、どうやって世界に平和をもたらしたのか」…その具体的な方法は「十尾を己に取り込んだ」以外は不明なままですが、六道仙人は自分がしたことは「失敗」と認識していたようですね。 そして「尾獣」に対しても十尾と「ちゃんと向き合う事をせず」、己に取り込んで抑え込んだことを六道仙人は「失敗」とし、いつか「私の中に居た時と違い正しく導かれる」事を望んでいたわけで…後世の忍が《尾獣(十尾)とちゃんと向き合ってくれること》を願っていたのだろうと思っています。それもイタチが サスケと「ちゃんと“向き合い” 同じ目線に立って語り合っていれば」と言っていたのと似ている… 
 
627話では完全スルーされちゃった「うちはの石碑」、あれも六道仙人が残した『道標』の一つだろうと思いますが、必ずしも「そこに書かれている通り」にすればいいとは限らないんじゃないか・・とも思えてきました(627話雑考にも書きましたが・・)。 六道仙人だって正解は分からなかったのだし、後世の忍に《自分には出来なかった事を見つけて欲しかった》のだと思うんです、そしてこれもイタチの「オレを見てオレになかったものを探してほしい」という言葉と重なります。
 
つまり、先人達のしてきた事を「見て」知って、そして先人には「なかったモノを探す」事、それが大切なのだとしたら…「穢土転生」で過去の忍達を知ることも 大いに意味があることだったんじゃないかと思うんです。 もちろん「穢土転生」以外にも「先人たちが残した思い」を知る手段はあるわけで、それが「道標」だったり、掟やルールでもあるんじゃないだろうか。
 
「掟やルール」ってのは、里にとって「都合がいいこと」ばかりとは限らず、「先人の考えや意志」であったり「先人の知恵」でもあり…忍のために立てられた「道標」や「指標」でもあると思うんです。
例えば扉間は「余計な戦いを避けるためには、これからの忍は感情を抑えるルールを作ればいい」と言っていましたが(って子供時代に・・ですよね、大した人だ・・)、それがのちに「忍は涙を見せるべからず」という掟(忍の心得25項)になったのではないかと思うんですよね。 で・・・その掟からは、「余計な戦いは無しにしたい」という扉間の想いとか、「そのためには感情を抑えればいい」という扉間の知恵を知ることができる。 
先人の想いを知ること…それも勿論大切だと思うけど、だからと言ってその掟を「ひたすら遵守」すればいいってワケでも無いと思うんです。 そこから学び、そのうえで 時には「外していく」こと、変えていく事だって大切なの「かも」しれない…それこそ「先人の想いを大切につないでいく」ってことなんだろうか、と・・。
 
ナルト達が晴れて「下忍」になった記念すべき日(第2巻)… カカシがナルト達に「下忍合格」を言い渡したのも、サスケとサクラがカカシに言われた“ルール”を破って、ナルトにお弁当を分けちゃうという「チームワーク」を見せたからでしたよね、(そして、カカシはこう言っていた…)
 
『お前らが初めてだ』
『今までの奴らは素直にオレの言うことをきくだけの ボンクラどもばかりだったからな』 (第8話で)
 
カカシがこんな事を言ったのは、(この後、ナルト達に伝えた)オビトの例の『忍者の世界でルールや掟を破った奴はクズ呼ばわりされる』 『……けどな!』 『仲間を大切にしない奴はそれ以上のクズだ』という言葉をカカシが大切にしていたから・・ってのもありますが、ミナトがカカシやオビトに教えていた「確かにルールや掟は大切だが…それだけが全てじゃないよ  教えたろう…状況に応じて臨機応変に対処しなきゃならない時もある」という考え方もあったと思います。 状況に応じて「枠」は外していいのだと・・(「枠」の大きさは様々ですが)。
 
もちろん柱間も「大きな枠を外した」一人であって、一族単位で争っていた戦国時代に「一族の枠」を超えた集落を作ろうなんて言いだして…マダラにも「そんなバカなこと言ってんの …お前ぐらいだぞ」なんて言われてましたよね。 柱間は「里」をつくって「一族の枠」を外してみせたけど、だからと言って柱間の全てが「完璧」だったわけでもない。
 
柱間でさえ「尾獣」とはちゃんと向き合うことは出来ず、人柱力の中に抑え込むしかないと考えて、九喇嘛にも(柱間でさえ)『人間の考えることは皆同じだ』と思われてちゃってたんですよね。 柱間は確実に時代を動かしたけど、それでも友との和解、尾獣との向き合い方においては「失敗」した… 柱間は偉大な改革者でもあり、そして「失敗者」でもあった…
 
64巻のコミックス感想で、穢土転生されたマダラが次第に「いい表情」に変化していってると書きましたが…
 
「あの五里の忍共がここまでの連携をやってみせるとはな…」 (612話…うっとり見上げてる)、
「次々くるな… 今度は奈良のしばりの術」 (616話…穏やかに見つめている)…
 
《一族の枠を取り払おうとした》柱間の意志が、確実に今の忍に受け継がれていることが、マダラは嬉しかったんじゃないだろうか。 そして…
 
「小娘(ヒナタ)がナルトの力を受けてずいぶん強くなったな…」と、尾獣と人間が「共存」していることにもマダラは微笑んでいる…(これも616話)。 
 
マダラは、柱間や自分が失敗したことを後世の忍達が成し遂げていってる事に、満足してたと思うんです、「忍び舞う」彼らの姿に… 過去の忍の意志を「守り続けている」だけではなく、過去の忍の「失敗」を見て新たな道を見つけていっていることに… 「最強の忍」であり「忍の神」とまで言われる柱間でさえ出来なかった「人間と尾獣の枠外し」まで、後世の忍はちゃんとやっている…それがマダラを「笑顔」にさせているんじゃないだろうか。
 
「枠を外す」ということは、時として「過去から受け継がれてきたモノを変えてしまう」ことになるけれど、これは「無にする」ということではないと思うんです。
 
先人たちから受け継がれたモノを知った上でこそ、彼等の「失敗」をふまえてこそ、「外す」事も出来るし、「変える」事も出来る・・・それが「つなぐ(堪えるじゃなくて、耐える)」ということであって、先人の意志を「尊重する」事でもあるのではないかと思うんです。 己の失敗を、後を継ぐ者達が「よりよいと思える方向へ」変えていってくれる事は、彼等「失敗者=先駆者」にとっても嬉しい事なんじゃないかと…だから、大蛇丸もマダラもあんなに清々しい表情になってる(なってきている)んじゃないかと思うんです。 
 
マダラも柱間も、イタチも…そしてあの六道仙人でさえ、完璧ではなく「失敗者」でもあったわけだけど、彼らの失敗は「無」にはなっていない…だから彼等も「誇り高き失敗者」なんじゃないだろうか。
 
627話で、三代目に「どうしてサスケに協力することにしたのじゃ?」と聞かれて大蛇丸はこう答えていた…
 
「カブトの中に入っていて分かった… 私の生き方を真似し 全てを蓄積していたカブトも失敗した」
「今はサスケくんの違う生き方に興味があるだけ…」
「あの子はカブトと違い 私を真似なかったから…」
 
その少し前に、「どうやらワシは火影として失敗ばかりしてしまったようじゃ…」と三代目は自分を責めていたんですよね。 初代の意志を受け継ぎ、二代目の里づくりを引き継ごうとしていたのに「失敗してしまった」と…。でも大蛇丸の「答え」には、己を「失敗者」として責めていた三代目への“優しい心遣い”も感じられるんです。 
 
お互いに「失敗者」だけれど、だけど…自分達とは違う生き方を見せてくれそうな「サスケ」という希望が…アナタにも私にも見つかったじゃないですか…というね。 
 
大蛇丸と三代目師弟を再び「つないだ」のも、同じ「誇り高き失敗者」としての想いだったんじゃないだろうか。
 
水月は、戦場に向かう第三勢力を「最強ゾンビ4体とバケモノ3人(そして1バカ)」と言っていたけど、「誇り高き失敗者たち5人と、彼らの意志を継ぐ4人・・といってもいいのかな)。
 
 
 
 
 
☆長駄文、読んでくださって感謝。
 
 
 
(ナルト好きブログ! 2013/04/20)