ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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「十尾と名前」・オビトと十尾(グルグル?)の関係 (十尾雑考その2)

十尾雑考その2 「十尾と名前」 

 
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この顔見ると、いたずらっ子みたいというか、憎めないんですよね・・無邪気な顔してみたり、不思議そうな顔をしたり、焦ったり、怒ったり。 痛そうに悲鳴を上げてるところなんて、もう、何だかかわいそうになっちゃって。 忍達を応援したいんだが、何だかわからなくなってくる。
 
十尾の分裂体って、叩くほど増えるし大きくなるし。 本体も、忍達が《忍連合の術》で総攻撃する度に「進化」するし。 これでまた強行突破して本体を総攻撃しちゃったら、今度こそ「最終変化」しちゃうのでは・・・?なんて心配になってくるんですがね・・。
 
六道仙人も十尾を正しく導こうと試みたようですが、結局己に取り込んで抑え込む事しか出来ず「正しく導けなかった」と言っていましたが・・・十尾が自然の源のような存在なら、抑え込むってのが正しい「答え」ではなさそうです。 時に荒れ狂い、時に優しく恩恵をもたらす・・十尾が自然そのものならば、二面性があって当然じゃないかと思いますから。 
ただ、そのスケールが大きすぎちゃって、十尾自身、己の力を持て余し、深すぎる愛情や憎しみをコントロール出来ずに暴走していたんじゃないだろうか。なんだか・・千手とうちはみたいに。
 
千手一族の溢れる力と生命力・・そして、うちは一族の感情の豊かさ・・それらは本来、十尾の「溢れる力と生命力、豊かな感情」由来のモノではないかと思うんです。 
扉間は、愛情が強すぎる『うちは一族』を正しく導こうと試みたと言ってましたけど、結局は「強制的に導く」のは上手くいかないモノなんですよね。 ましてや十尾は「自然」という計り知れないスケールの大きな力、そしてその恩恵(愛情)も量りしれない・・強制的に導くとか、その場しのぎの解決策じゃあ難しいんじゃないだろうか。

まるで力を持て余した大きな子供・・それはマダラさん・・じゃなくって十尾。
 
今の十尾は、かつての九喇嘛(人柱力から剥がされた状態の九喇嘛)みたいに、「グォオオ~」しか叫ばず、人間語は話さないけれど(赤丸もそうだけど)、その「心」を推測するヒントは、今までの「トビ」の台詞の中にも在るんじゃないかと思っています。

私としては、今まではオビトの中に十尾(の心)が共存していて、オビトと十尾も「シフトチェンジ」していたんだろうと推測しておるわけですが(ナルトと九喇嘛、ビーと八つっあんが「シフトチェンジ」して会話するのと同じで)・・なので「トビ」の台詞の中には、いくつかは「オビトでは無くて十尾の言葉じゃないか」と思われるモノを感じます(推測ではありますが)・・たとえば、デイダラとの会話をしている時の、あのお茶目モードのトビもそうです。
 
前回の雑考(その1)の時、「いつまで十尾はオビトと共存状態だったのか不明」としていたんですが、「最近まで」繋がっていたんじゃないかと想像しています。 
それは・・「唯一繋がっていたオレと十尾を切るからだ…抑えがきかんぞ もうそろそろ人柱力になった方がいいんだろうがな・・」とオビトが言ってたことからの推測なのですが(628話)、616話最後の忍達総攻撃で「つながりが完全に斬られるまで」は、十尾はオビトと「繋がっていた」と思うんです。
(その結果、今のオビトは「5分間限定のすり抜け」が出来なくなったんじゃないかと思ってるのですが・・繋がりを断たれて以降、オビトはすり抜けを使ってない)・・・ 
少なくとも十尾復活開始までは、十尾の精神はオビト「内」に共存していたんじゃないかと思うんです。
 
そして「十尾の言葉」と思えるセリフですが、これもその1つ・・
 
「クク・・なんならかつての名トビでもいいぞ 戦争の始まった今 名前などどうでもいい・・マダラ・・トビ・・好きに呼べ」
 
「・・・お前・・・いったい誰なんだってばよ!?」
 
「オレは誰でもない」 「誰でもいたくないのさ・・・ただ月の眼計画を成せれば・・それでいい」
「絶望しかないこの世界に存在する価値はない」
 
(564話「誰でもない男」から、「トビ」とナルトの会話)
 
この言葉は十尾の言葉だったんじゃないだろうか・・・。
十尾は色々と名前がありますが、本当の名前があるのかないのかも分からない。
 
天目一箇神、ダタラ・・デイダラボッチ・・色々と名がある》
 
いろいろと呼び名はあるけれど、どれとして「存在を認められるための名前」ではなかったと思うんですよね。
なぜなら十尾は、人間には受けれられない存在だったのだろうし、その存在は「天災」でしかなく・・「忌むべきモノ」でしかなかったのかもしれません(災い、ですから)。 
まるで、コードネームで呼ばれ続け「名前は無い」“根”や暗部の忍みたいに、いろいろと名前は付けられるけど、どれとして「存在を認めるための名前」ではなかったんじゃないだろうか・・・
己の存在の「無さ」、認められる名前も無い・・その虚しさを感じていたのは忍だけではなく、十尾もそうだったんじゃないだろうか。 
 
だけど、六道仙人は尾獣達に名前を与え、その存在を「認めてやった」・・・

だから・・『難しい立派な名前』をつけてもらい、人間と仲良くしている尾獣達(=もう1人の自分)の姿は、十尾にとって、うろたえるほど「焦ってしまうモノ」だったんじゃないだろうか。
名前など“どうでもいい”と言った「誰でもない男」が、今まで無いぐらいに焦ったのが、この時・・(60巻573話)。
 
「難しい名前だと? それが何だというのだ?」
「ハァ~~~ン… お前は知らね~~んだな!?」
「!?」
「教えてやんない――よっ!!」
 
「・・・・・・」 (あの顔・・・・) ←“あの顔”って・・これ、ナルトを見て六道仙人を「思い出して」るんですよね。
 
(汗・・・?)
(・・イヤ雨だ・・!オレが・・あんな奴ら相手に汗を流すことなどあるハズがない!!)
(ナルトはただのサスケへの当て馬・・ オレにとっては余興でしかないガキだったハズだ!!)
(あいつの力は把握していた・・・!)
(この違和感は力からくるものではない・・・!)
(なら何だというのだ!?)
(いったい何が・・・!?)
(・・・イヤ・・・そんなことはどうでもいい ナルトが何者かなんてのはどうでもいいことだ・・)
 
ものすごい焦り方ですけど(笑)
 
この「トビの心の声」も、オビトのものじゃなくて「十尾の声」だと私は考えています。 なにせ六道仙人の顔を思い出していたみたいだし、それに・・オビトは「ガキ」という言葉は使わないような・・・。ちなみに、九尾事件でクシナから九喇嘛を引きはがした「仮面」も、「ガキ」という言葉を使っています(これも「十尾」ではないかと・・)。
 
最近の629話でも、全く同じように十尾はナルトの中に「尾獣達と六道仙人」を感じて焦ってましたけど・・・それは名前を付けてもらって、人間に受け入れられている《もう1人の自分》を認めたくない、認められない焦りだったんだろうか。
 
十尾が感じている「孤独」・・・繋がりを断ち、受け入れられる「名前」を持たず、存在を認められていない孤独・・
 
「月の眼計画」…孤独な夢の世界を創ろうとしているのは、本当は十尾なんじゃないだろうか。もしかしたら、十尾の見る夢、それが無限月読なのではないかとさえ思えてきました。 
だから無限の夢を止めるためには、十尾を孤独から救い出してやる必要があるんじゃないだろうか…。
(だって、マダラもオビトも「演技」している感じだし、それに思いっきり「現実」にこだわってますからねぇ・・)。
 
オビトがナルトに、そしてカカシに・・「孤独」について語り、それについての「答え」を出すように「煽って」いましたが、その答えは本来・・十尾に対して示してあげるべき答えなんじゃないかと思うんです。 だから、あれだけスパルタ式に・・オビトはナルト(とカカシ)に「答え」を迫っていたのではないか、と (そうじゃないと本当に「無限月読」発動になってしまうのでは・・などと今の段階では考えていますが、はて)。 
 
十尾が本来「どんな子なのか」・・ 今まで十尾(トビ)が心を開いてきた(と思われる)相手を見ると、十尾自身の「本来の」性格も何となく、分かるような気もするんです。 つまり・・マダラ、オビト、デイダラ・・いずれも純粋で「子供っぽい」、無邪気なところがある人達。 

十尾雑考その1のほうで、オビト(トオビ)も、デイダラ(デイダラボッチ)も、十尾を思わせる名前だという話をしましたが、マダラだけはちょっと違いますな・・(ダタラに似てはいるけど・・);
 
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(ちょっと十尾っぽさがある・・??)
 
 
十尾も本来は、子供っぽい純粋な「子」だと思うんですけどね・・《何色にも染まり易い》豊かな愛情と激しい憎しみを持った、力を持て余した子供・・。
 
マダラとオビトに関しては、もう・・いい加減に彼らの本当の「計画」も判明し、ホントはいい奴だった事と分かって「誤解」が解ける頃だと思ってるんで、私としては全然心配してないんですけど、あとは尾獣と十尾。
「見た目や思い込みだけで 人を判断しない方がいい」ってのは、尾獣、十尾についても言えるんじゃないだろうか・・。 
 
忍達が、尾獣達が・・十尾の「心の穴」を埋めてやれる時は来るのかな・・・。
 
 
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十尾の「名前」って、本当は何なんだろう・・・?
 
 
 
 
 
 
☆長駄文読んでくださって感謝。
 
 
 (ナルト好きブログ! 2013/06/12)