ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

サスケの「孤立」以上に不安な、ナルトの「孤立」について

サスケの「孤立」以上に不安な、ナルトの「孤立」について

 
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「オレもお前のところに行くとしよう・・・」
「お前を切りに!!」
 
・・・前にもサスケ、「切る」って言ってましたっけ(60巻、574話)。 もっとも、これはイタチに再会する「前」。 今は「切る」対象、「切る」意味は違ってきてるでしょうが・・
 
7月23日・・今日は、サスケの誕生日(もう少しで日付が変わってしまうけど)。
 
前にも書いちゃいましたけど、2013年7月23日今日は満月なんですよね。 あの「うちは一族抹殺任務」も、だいたいこの季節の「満月」の日(データブック他、もろもろの記述をあてにするならば)。 初夏の、サスケ8歳の誕生日の、ちょっと前の出来事・・・ 出来るなら今夜は満月を見たいと思ってたんですが、あいにくこちらは曇天・・というか夕方は雷雨だったりで、あいにくのお天気でした。 
 
雷と言えば、サスケが「人間が作り出した雷遁」ではなく、自然エネルギーである雷を「手懐けてしまった」事(麒麟)・・十尾を前にして、改めてサスケが選ばれた存在だと感じるわけですが・・ 一方で、自然の力である雷を「切って」しまったというカカシの「雷切」…これもまた、ただの雷遁を相殺するのとはレベルが違う訳で、こちらも気になるところ。 
 
・・(と、いきなり話が逸れましたが)今日はサスケの誕生日だったわけですが・・・今週(639話)のサスケは、心の中で《写真のナルトを切ってたりして》、また読者をドキッとさせるような描写がありましたけど・・・
「過去を切る」…「切る」には閉じていたモノを開いて「正す」という意味もありますが(政界を切る、とかに使う)、サスケは「過去の遺物」は引きずり出して始末し、正す・・という思いもあるんだろうか。
 
でも、「サスケ」については・・・何度も読者を不安にさせるような描写がありましたよね。 この前もサクラが心配そうな「作り笑顔」をしてたり、サイの「サスケへの不信」発言があったり・・・でもこれらは「読者は知ってる」けど、大半の忍達は気付いていない。 今回の「心の中でナルトの写真を切ってる」描写だって、読者にしか見えてないわけだし、当然周囲は「知らない」・・・ 
 
つまり・・・忍達は、読者ほどは「サスケに対して不安」になったりしてないんじゃないだろうか。
 
もちろん、サスケは抜け忍で国際手配もされた「犯罪者」だし、同期達だって突然戻ってきたサスケに「不信感」を剥き出しにしてましたよね。 でもナルトと一緒に戦っているサスケの姿を見て、同期達も「少~しずつ」だけどサスケに対する「不信」は消えてきてるんじゃないだろうか。 
そしてサスケをよく知らない「他の忍達」にいたっては、十尾への加具土命攻撃を「本当に当たったぞォ!」 「いいぞォ!」と応援していたし、サスケに対してどっちかというと「好感」を抱き始めてるように思えるんです。実際にサスケはちゃんと「仕事してる」のだから。
 
で・・・今回の639話も、読者的には「不安」になるような話だったわけですが、忍連合の忍達のサスケに対する「印象」はその「逆」だったと思うんです。 逆に639話のサスケの言動は《サスケのイメージアップ》に繋がるモノばかり。 
 
「盾になってナルトを守ったり」、あるいは「冷静に状況を判断してナルトにアドバイスしたり」。
 
ミナトはサスケを「優秀な子」と受けとっていたし、ナルトは《サスケはやっぱり昔のサスケのまま》と思ったかもしれない。 読者には、サスケについて「不安」にさせられるような描写が度々与えられてるけど・・忍連合達には、サスケのことが「信頼できるような」描写が続いている・・少しずつ、周囲の「サスケへの信頼」は高まってきてるように思えるんです。
 
「読者」と、「ナルトを含んだ忍連合の忍達」の間にも、次第に「サスケに対する印象」に“ズレ”が生じ始めているような気がする・・・その一方で、逆に気になるのが「ナルト」なんです。
 
ナルトは忍連合に(九喇嘛の)チャクラを配って守り続け、そして忍達も「ナルトに」感謝して、今度は疲れ切ったナルトの「盾」になって守ってくれたりして・・ ナルトは「皆ァ・・」と嬉しそうにしてたんですよね。 互いに「守り合って」、皆と「心が一緒」だって・・ナルトは嬉しそうに実感してた。
 
だけど・・本当は、ナルトと忍連合の「心」は一緒じゃない。 
 
ナルトは「九喇嘛と一緒に」皆を守ったと思ってる。 九喇嘛も忍達の為にチャクラを練り、そしてナルトが忍達に渡して・・それでみんなを守ってた。 だから、ナルトは「九喇嘛と一緒に皆を守った」と思ってる。
前からブツブツ言ってる事ですが・・でも忍達はあくまで「ナルトチャクラ」に守ってもらったと思ってる・・・「ナルトだけ」に感謝してるけど、九喇嘛には全然感謝していない(存在を認識さえしてないですよね)。 
で、疲れ切ったナルトの「盾」になって守った時だって、「ナルト」を守ったのであって・・・忍達は「九喇嘛を守った」つもりはない。
 
この戦場で、「九喇嘛(尾獣)と一緒に闘い、守りあってる」と実感してるのは、ナルトだけ・・・
 
既に「ナルトと忍連合」の間で、心に大きな「ズレ」が出来ちゃってるんです。この事実にまだ「ナルトは気付いてない」んじゃないだろうか・・・?  この「ズレ」にナルトがまだ気づいてない事が、心配になるんです。だから、サスケが尾獣にお構いなしな行動をとる事にナルトは焦ってましたけど・・サスケの行動は他の忍から見ても「当たり前」。 ナルトのほうが、他から見れば「ずれちゃってる」・・
 
そして638話で、ナルトは「なぜ、オビトが十尾の人柱力になったと分かったか」サスケに説明してましたよね「オレは尾獣達と仲良くなった!そん時あいつらからチャクラもらってっからハッキリわかる!! 尾獣達のチャクラが次々とオビトの中へ入ってったのを感じられたし・・(略)」と。 
サスケは「そうか・・・」と説明に納得してましたが、あの時、サスケはこの部分が気になってたんじゃないだろうか・・・《オレは尾獣達と仲良くなった!そん時あいつらからチャクラもらってっから》の部分が。 
 
ナルトが「尾獣達と仲良くなってる」とか、それで「チャクラを貰ってる」とか・・ナルトなら「やりかねない」と思ったかもしれませんが、それはサスケにとって「厄介な事態」にも思えたのか、それとも「新たな考え」に至らせたのか。 目の前の十オビ以上に、サスケは「ナルト」が気になり始めたんじゃないだろうか・・。
 
尾獣に対しての考え方は、「焼き尽くす」という、この前のサスケの行動のほうが、忍達には受けれられ・・・ナルトの「尾獣は守る」という考えの方が、受け入れられないような気がするんですよね。 本来、この戦争は「八尾と九尾を守るため」の戦争だったけど、それは「敵に八尾と九尾が渡ったら、戦争に負けるから」という理由… 忍連合にとって「尾獣を守るための戦争」ではないんですよね。まだまだ、尾獣は「戦いの為の道具」でしかない。
 
多くの仲間に囲まれ「皆と一緒」のハズのナルトのほうが、実は忍連合で「孤立」している・・・
 
サスケの「不穏な」描写のせいで、読者としては ついサスケのほうが「心配」になってしまうけど・・実はナルトを取り巻く状況のほうが「心配」に思えるんです。 気づいたら、ナルトは「孤立」なんてことになるのではないかと・・この先、どういう問題となってこれが表面化してくるのか・・・ちょっと不安に思ってます。
 
 
(ただ、ナルトを須佐能乎の盾で守ったサスケの行動は、「今のナルト」を守るという意味かとも思うのですが・・その上で「過去(かつて)のナルトは切る」・・・それが「今のナルト=尾獣達と仲良くなって、チャクラを貰っているナルト」は守るという意味でもあるのか、それとも・・尾獣そのものをまだ「否定」するのか。サスケが尾獣をどう捉えているのか・・・そのあたりのサスケの「腑」も覗いてみたいと思わされるのです)。 
 
 
☆サスケの誕生日ということでサスケの事を書きはじめながら・・ナルトの事になってしまった。
(サスケ、誕生日おめでとう・・・かなり遅いけど)。 
 
駄文、読んでくださって有難うございます。