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神樹(十尾)と月と、そして「トビ」  646話雑考追加

神樹(十尾)と月と、そして「トビ」   

台風という自然の猛威に翻弄された連休でしたが、皆さんがお住まいの地域は大丈夫でしたでしょうか・・?
 
さて、646話を読見直していたんですが、あの《長ーい首を伸ばすようにして、月へ伸びていく十尾(神樹)の画を見ていたら、何だか・・・とっても切ない気持ちになってきました。 不気味というよりも、絶望というよりも、なんだか・・とても切なく悲しい。 遠い遠い夜空の上にある「月」に向かって、神樹は何を語りかけようとしているんだろうか・・?
 
もうだいぶ前の話ですが、六道仙人の創った「平和」とは《十尾の力を借りた無限月読だったのではないか》と考えてたことがあるんです。 でも、「月って、六道仙人が十尾の体を封印するために作ったものでしょ?」というご指摘を受けて、あぁそうだったじゃん・・・六道仙人が生きていた時代に月は無かったんだっけ(つまり六道仙人が無限月読をしたハズがない)という根本的な間違いに気付いたのですが(苦笑)、そうなんですよね・・・「月」とは六道仙人が十尾の「チャクラを抜いた抜け殻」を封印するために「地爆天星」で作ったモノ(ペイン天道の「六道仙人の作ったと言われる月に比べれば・・・大した事はない」という発言から・・・47巻)。
 
それでも、今も《ホントにホントに、月は六道仙人が作った、ただの十尾の抜け殻を「封印するための入れ物」に過ぎなかったんだろうか?》という疑問はモヤモヤしたまま・・スッキリせずにいます。 
というのは、マダラが魔像(十尾の抜け殻)を月から口寄せしたのは数十年前(30年ぐらい前?)のハズだから、とっくに月は「空き家」でしかないハズなのに、その後も月には特別な「力」が宿っているからです。 
満月の夜、我愛羅の中の守鶴が月の力に呼応して尾獣化したり(11巻)、九尾事件、うちはの事件、これらはすべて満月の日に起きているし、今なお「月」には尾獣や十尾(神樹)を「呼ぶ」力が残っているように思える・・・
月とは、魔像(十尾の抜け殻)が封印されていた「ただの入れ物」ではなく、今も神樹を呼ぶ力を持つ、神樹の故郷のような・・神樹にとって特別なモノなんじゃないだろうか。
 
かな~り前ですが、《月、外道魔像、トビ》は本来1つのものではないか?・・という話題を出したことがあります(※1)。 その記事を書いた当時(2011年)はまだトビの正体も分かってなかったのですが、当時から「トビはオビトなのに(と勝手に思ってた)、でもトビに“十尾”を感じるのは何故なんだろう」とず~っと不思議でしょうがなかったんです。 そして『トビはオビトである』とハッキリした今でも、相変わらず《月、魔像、トビ》の3つは「本来1つのモノ」に見えてしまうんです。 
 
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《月と魔像と、トビ》
 
これは57巻537話の模写ですが、《月、魔像、トビ》・・・この3体が「重ねて」描かれている絵は何度も登場しています(中でも印象的なのは、62巻594話125頁の絵。宇宙を背景に、この3体を見上げるようにした幻想的な絵・・美しすぎて模写できず)。 この「3体」が重なる絵を見ていると、本来1つであるハズのモノ達が「帰りたい」と訴えているように見えてしまうんです。 チャクラ、体、心・・バラバラにされていたものが「母」の元に帰りたいと言っている・・・みたいに。
 
「トビ」とはオビトと十尾(神樹)の心が「同居していた」存在だったのではないか・・と今も考えています。トビが「オレは誰でもない・・・誰でもいたくないのさ」と言ったのは、あれはまさに「十尾=神樹」の気持ちだったんじゃないだろうか、と。
オビトは、「リンの事件」で忍世界の絶望を知ってしまったあの日から、十尾(神樹)と心が同調(シンクロ)し、それ以降ずーっと十尾(神樹)の心と共に居たんじゃないだろうかと・・・605話「地獄」の時からそう考えてきた訳ですが、今になって「さらに」その考えは強くなっていってます(今のところ・・ですが)。 
 
度々書いて恐縮なんですが、私には605話「地獄」の《オビトの「木遁」による残酷な大暴れ》、あれは「十尾(神樹)の怒り(天災のようなモノ・・ともいえるかな)」でもあったと思えてならないのです。 正確には、十尾(神樹)の怒り、絶望とオビトの怒り、絶望が同調(シンクロ)してしまったんじゃないか、と。 
尾獣、つまり『神の恵み』かもしれない力を、戦いの道具として使った挙句、本来なら「一番守らなければならないハズの子供」しかも女の子を犠牲にする・・そんなあまりにも愚かすぎる人間(忍)への「激しい悲しみと怒り」だったんじゃないだろうか。 
 
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月へと伸びていく「オビトの木遁の枝」は、神樹が絶望のあまり、母のような月に「救い」を求めて手を伸ばしているようにも見えるんですよね。 そして、やりきれないどうしようもない悲しみに、血の涙を流していたんじゃないんだろうか・・・オビトと一緒に。 
 
元十尾であるはずの尾獣達が、なぜ元の自分でもある十尾(神樹)を避けるようにしているのか・・その理由が分からないんですがね。 今、この世界で十尾(神樹)の気持ち(心)を本当に理解してやっているのは、オビトだけなんじゃないかと思うんです。 マダラ爺ちゃんは神樹の事をよく知っていたけれど、神樹の力を借りて平和を為そうとしているわけで、神樹の「心」までは理解していないんじゃないかと思えるんです。 そこがマダラとオビトの「違い」なのではないかと私は考えてます。
 
ナルトやビーが尾獣達の「理解者」であり、忍達と尾獣を「繋ぐ架け橋」であるように・・・オビトは十尾(神樹)の「理解者」であり、忍達と神樹を「繋ぐ架け橋」になろうとしているんじゃないだろうか? 
誰かが問題を提起して十尾と「向き合う」キッカケを作らなかったら、忍世界は「相変わらず」だったハズだし、たとえ「敵」とか「悪者」という汚れ役を引き受ける事になったとしても、オビトはこのまま最後まで「忍達の敵」となりながら、非情に無理難題を突き付け続けるつもりなんじゃないだろうか? 忍達と神樹が和解できるために。 神樹が「本来の自分に戻る」ために。
 
もし、これで神樹の花が咲き、その眼が月に写り、「無限月読」が発動されたら・・その世界とは、いったいどんな世界になるんでしょう。 マダラは・・それを為すのは「オレ」と言っていたけど、もし、このままの状態で花が咲いてしまったら。 花の中に有る「眼」は(「実」でもあるんじゃないかとも考えられるのですが)、その「実」が十尾(神樹)の「心を写す眼」であるのなら・・月に投影され「創られる世界」とは、十尾(神樹)の見る夢が実現する世界ではないのだろうか・・? それがどういう世界なのかは分かりませんが・・
 
だからその前に、忍達は神樹に「答え」を示す必要があるんじゃないだろうか。
 
48巻、453話・・「トビ」が空を見上げるようにしている絵がありますが・・・
 
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『虎視眈々といくのはここまでだ 〝月の眼計画〟を急ぐとしよう』
 
・・・このトビはちょっと「外道魔像」に似てると思いませんか? マダラのアジトで、花の上に「実」のように鎮座していた外道魔像に。 “暁”の面々が指の上に乗って尾獣チャクラを封印していた魔像の姿に。
さらに・・今、満月を見上げて咲かんとしている、あの「神樹のつぼみ」にも見えてくるんです。天を仰ぐようにしている神樹の蕾に。
 
妖しくも優しく闇を照らす「月」の光と、手を伸ばして一生懸命に語りかけようとしている「神樹」の姿。
それはまるで「母と子」・・・子供を見守るお母さんと、お母さんを必死に求める子供みたいにも見えるのです。
 
十尾ってのは子供みたいなところがあるんじゃないかと思っていたのですが、やはり無邪気で純粋な存在に思えてきました(※3)。 十尾つまり神樹の心が救われ、癒される時がきたとしたら、その時・・神樹の「心を写す眼」、蕾の中にある眼(実かな)は、もしかしたら「変わる」のかもしれないですね。
 
 
 
 
☆19日は中秋の名月の「満月」。 おそらく・・・ナルト達が、そして「神樹」が見上げているような月が見られるはず。 もし晴れたら・・・『月の涙』を想って空を見上げてみては。
 
☆昨日(15日)はカカシの誕生日でした。でも「おめでとう」は、カカシが「いいところ」を見せてくれるまでとっておきます(笑)  ちなみに66巻のカカシの「セリフ変更点」についての雑考は今週中に予定してます。
 
 
 
(関連過去記事・・参考までに)
 
・・・長駄文、読んでくださって感謝。
 
 
(ナルト好きブログ! 2013/09/16)