ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

今年(2013年)のNARUTO、印象的だった言葉、場面、人は・・・

今年(2013年)のNARUTO、印象的だった言葉、場面、人は・・・

 
今年も残り僅かとなりましたが、年末恒例で(勝手に)やってる 今年のNARUTOを振り返って《最も印象的だったセリフと場面》、加えて《今年最も印象に残ったキャラクター》というのを書いてみます。
ちなみに、これは個人的な好みで選んでいますので「偏ってます」。 
 
※今年のNARUTOとは、615話「繋がれるもの」(ネジが戦死してナルトとヒナタのお手々繋いで云々の話)から始まって、659話「輪墓・辺獄」まで。
 
まず、印象に残ったセリフといえば・・
 
「だから忍び耐える者… 忍者なんだろオレ達は」 (616話)。
 
ナルトの言葉は色々有り過ぎて迷うのですが、個人的な解釈で、これは自来也から受け継いだ「忍び堪える者」をナルトが「忍び耐える者」にしたことに意味がある(自来也からさらに一歩進めた)のかなと考えてます(説明は当時の感想で書いてるので略しちゃいますが)。
 
あと、明日がミナトとクシナの命日だというオビトに向かって言った
「そうだった…なら明日は…オレの生まれた日だ」。
シンプルだけど、物事にはポジティブネガティブ両方受け取り方があるってのを感じさせてくれたセリフ。もちろん「ポジティブ思考」は大切だけど、ネガティブな発想も忘れちゃいけないと思わせてくれた一言。
 
それと最近のオビトへのお説教から一言、
 
「オレが知りてーのは楽な道のりじゃねェ 険しい道の歩き方だ」(653話)。
 
火影になるのに近道はねェっていう、第1巻の言葉に戻った一言。要するにナルトは根本はブレてない。もっとも「火影」という存在については、今後サスケと考え方が違ってくるだろうし、ナルトも考えが変わっていくかもしれないなぁ・・なんて思ってます。根本はブレないけど、周囲の話を聞いて色々と変化改良させていくのがナルトのいいところだから。
 
それとナルト以外の台詞ですが、
 
「がんばれオビト! 火影になってカッコよく世界を救うとこ見せてね!それも約束だよ!」(653話、リン)
 
これはとにかくリンが可愛すぎる。こんな事を言われたら、めちゃくちゃ嬉しいし頑張れちゃうけど、これじゃリンを失ったオビトの絶望はそりゃ計り知れないだろう… 
でも、こんなストレートな応援の言葉って勘違いされかねないし、この人なら大丈夫と思えちゃうような人、たとえばナルトとかオビトとか、いわゆる「お人好し」タイプじゃないと言えない気がする(その気にさせちゃうかもしれない事に関して、こういうタイプには意外と罪悪感は生じない)。なぜなんだろ…他のキャラクターには、こういう事は言えない気がするんだが。
 
そして、案外とさりげなく「名言」を呟いているのがカカシ。
 
「だから今度こそ仲間を守ると口にする…だがその度に仲間を守れなかった事実を見つめ直すことになる」「その“傷”と一生向き合っていくことになるんだ」 (616話)
 
「心の穴は他の皆が埋めてくれるもんなんだよ」 (630話)
 
「あいつが道をつまずきそうならオレが助ける」
「そのサポートが多ければ多いほどゴールに近づける」
「信じる仲間が集まれば希望も形となって見えてくるかもしれない」 (655話)等々…。
 
カカシってのは「模範的な忍」の一人であり、忍世界の表も裏も知り尽くした人物… そして「知らず知らず迷いながら生きてきた」典型的な忍(だと思う)。
カカシの台詞に重みを感じるのは、カカシの言葉は「忍の本音、腑(はらわた)」そのもの…今まで霧の中を彷徨っていた忍がようやく見つけた「本当の自分の想い」そのものだからじゃないかと思うんです。戦争という激流のド真ん中に居るからこそ出てきた言葉… ようするに全ての「忍」達の想いをカカシを通して感じられるというか…
 
 
あと、ミナトの「リンを守れなくってすまなかった」・・655話。
 
ミナトは天然な発言の数々もいいけれど、この言葉が自分としては印象に残ってます。この一言が、弟子のカカシとオビトの「心の重荷」をフッと解いてやったんじゃないかと感じるから・・ カカシとオビトがずっと一人で抱えてきた「リンを守れなかった責任」… でも先生であるミナトのあの一言が《リンのことはお前(達)が一人で抱えることじゃないよ》と言ってやったように思えるんです。 
これ、他の誰かが「お前だけのせいじゃないよ」と言ったところで、たぶん効果はない…ただの「なぐさめの言葉」で終わっちゃう。 だけどミナト「先生」の言葉だからこそ、2人を「解放」出来たんじゃないのかな。
その直後のカカシとオビトの表情は、子供時代に一瞬戻ってる…そしてその後、カカシとオビトは「本当の気持ち」を素直に見せ始めるのです。
 
(ちなみに…オビトに関しては「もう終わった」というご意見をちらほらいただくのですが、まだ続くと思ってます。グルグルのこともあるし、時空間(神威)のこと、九尾事件の真相やうちは事件の真相などいろいろ関わっているし、弥彦との“暁”立ち上げのいきさつも気になるし)。
 
 
そして、やはりインパクト度で言えば、サスケの…
 
「・・・火影になる」 (631話)。
 
ジャンフェスで声優さん達もこの場面を推しておられましたが、やっぱりコレは最初読んだ時は唖然かな・・。
 
ナルトは昔っから火影火影と言ってるし、経験や出会いから学んで体で感じてきた「火影像」というのがあるけれど、サスケはまた違った「火影像」をイメージしてるんじゃないだろうか。「里とは、影とは、忍とは」と考えていたサスケがイメージしている「火影」とは何だろう?
キバは「火影の意味分かってんのかゴラァ!!」と怒鳴ってたけど、いやサスケは「分かってる」からこその発言だったのだと思います(って「どう分かっているのか」は分からないんだけど)・・少なくともサスケは真剣に「火影」の意味を考えてたのは事実。
 
サスケが決意を固めるように言った「オレは戦場に行く この里をイタチを…無にはさせん!」…これがサスケの想いをよく表してる言葉だとは思うのですがね…とくに《無にさせん》の「無」が気になる。
 
そして長くなってきちゃいましたが《印象に残った場面》といえば・・・
 
ナルトとサスケの共闘、ナルトとミナトの共闘、陰陽九喇嘛の共闘やら、飛雷神の術連発(個人的な好み)とか、カカシとオビトの時空間での闘い、ナルトとオビトの「心の会話」でのオビトの表情の変化等々、いっぱいあるといえばある。
 
しかし、なんといっても一番は…
 
「いつの世も戦いよ…だが戦争もこれで最後ぞ!!」
 
「行くぞ!!!」 (柱間)
 
627話最後、穢土転の火影達がそれぞれの火影岩に降り立つシーン。
 
これは文句なしに素直に《かっこいいぞぉ―!》と感動しました(笑)ヒーロー参上といった感じで久しぶりに興奮…火影岩はこの時のために用意された舞台だったんじゃないかと思ってしまうほど。
 
ナルト、サスケ、サクラが3匹を口寄せした時もゾクゾクしたけれど、こういうシンプルな「大展開を予想させるゾクゾク感」ってのはたまらない。もうクライマックスなんだし、こういうゾクゾクをもっともっと感じたいってのも正直ありまして、来年はもっともっとお願いしたい気分(たまだからこそいいのかもしれませんが)。
 
 
そして最後にもう1つ…《一番印象に残った人》ですが、これは2人いまして・・
 
千手扉間と大蛇丸…この2人、実に魅力的な存在感を示してくれたと思ってます。
 
「今の」この2人に共通する魅力と言いますと、話の流れの「中央」に立たず、少し横に立って、客観的に冷静に流れを的確に読みとっているところ。そして温かく見守ってサポートに徹しているところ…この「立ち位置」と話への「関わり具合」が、もう絶妙。
彼等が呟く言葉、感じているものは「少し横から」客観的に見ているからこそのものであり、膨大な知識と明晰な頭脳から導き出されるモノでもあります。オブザーバー的な彼らの立ち位置、分析(そしてツッコミ)が実に面白い。
 
かつては「残虐非道」で「ひたすら気持ち悪い」だった大蛇丸や、穢土転直後はハッキリしたモノ言いで「やや冷たい印象」だった扉間が、この戦場に来てから印象が大きく変わってきている・・・今じゃ大蛇丸はすっかり「“鷹”の優しい先生」になってるし(かつての皮肉ったらしい言葉だって、独特なユーモアとして活きてきてるし)、扉間も話の分かる「顔岩のおっちゃん」になってナルト親子へのツッコミが最高。
 
もちろん、大蛇丸は人体実験等やらかしていたのは事実だし、扉間の開発した術がえげつなかったのも事実ですが、彼らという人間も「知ってみれば」印象も変わる…
 
本来、大蛇丸や扉間のようなインテリタイプは、サポート役に徹することで本領を発揮すると思うんです。そういう意味では、扉間は幼少時から「己の立ち位置を分かっていた」天才と言えましょうか。
大蛇丸は自分が「中心」になろうとしたから失敗したわけで、サスケをサポートする今の立場こそ「己の本領が発揮できる位置」だと気付いたんじゃないでしょうか…だから、けして「退いた」訳じゃなくて…彼は自分のベストポジションを見つけたということだと思います(カブトもインテリタイプだから、大蛇丸の補佐をやっていた時が一番才能を発揮できていたような気がするんだけどなぁ)
 
特に大蛇丸には、私は「イタチと同じような種類の魅力を感じています」…なんて言うと問題あるかもしれないけど;でも「物語の重要なメッセージを伝える使者」とでもいいましょうか… イタチはもちろん、大蛇丸も忍世界の真理というより「NARUTOという物語の真理」を解いてくれる一人だと感じてます。
 
例えば635話のこのセリフとか…
 
「私たち三忍がそうだったように 物事はそう都合よくはいかないものよ… 一枚岩じゃいられない… どこかに歪みができるものでしょ」。
 
一枚岩じゃいられない、イヤ…一枚岩でいる必要なんてないんじゃないか。
 
元々違うモノが無理に一枚でいようとするから歪みも出来るんであって、違うモノは違うモノで互いに認め合い、補い合えばいいじゃないか…今まで「一致させる」事にこだわり過ぎたんじゃないだろうか。
自来也だって、大蛇丸を無理に引き戻そうとしたから上手くいかなかった。ナルトもはじめはサスケを連れ戻そうとしたが、それをやめて「受け入れる」に変えた…。違うモノを否定して無理に直させようとするのではなく、イタチが言っていた例の《補うモノが引き寄せられるように生まれ側で対を成して…》のように、受け入れあって対等に凸凹を補い合うこと…そこに作者が示す答えがあるような気がしています。 
…というわけで、今年はほとんど「オビトVS連合」の話だったけど、ヘビ年だった今年は「大蛇丸」の話で締めさせていただきたいと思います(無理やり感ハンパない…いや、でも大蛇丸は本当に「お気に入り」)。
 
 
本年も一緒にNARUTOを読んでくださってありがとうございました。来年も…最後までNARUTOを追っかけます。よろしくお願いいたします。
 
 
(風邪などひかれませぬように…)
 
 
 
ぱぴ
 
 
 
 
・次回は元旦に挨拶更新、それから4日(土、発売日)にジャンプの感想をアップする予定でいます。
 
・ちなみに、コメント欄に今年印象に残ったセリフ、場面、キャラなど書いて教えて頂けたら嬉しいです。(こういう記事なんで、お返事はまとめてということでご了解ください)
 
(ナルト好きブログ!2013/12/30)