ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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岸本先生が大切にする「過程」についての雑考

岸本先生が大切にする「過程」についての雑考

我愛羅と守鶴がようやく見つけた、その言葉の「本当の意味」。
すごく遠回りで、険しい道だったけど、自分で見つけるということは、その言葉を本当の意味で理解するということ…。岸本先生が伝えているのは、その言葉を理解する「過程」、その遠回りの道の大切さなんじゃないだろうか。
 
ナルトはよく「体で覚えるタイプ」と言われるけど、それは「術」に限った話ではない。 “愛”とか“信じる”という言葉の「本当の意味」だって、ナルトは繋がりの中で体(心)で覚えてきたわけでして、誰かに文章で説明してもらったり本で読んだのでは、分からなかったんじゃないのかな。
 
岸本先生は、自分の伝えたいメッセージ(あるいは「答え」)をドヤって感じで出して終わる・・ということはしない。 丁寧に、その言葉の意味、いやその言葉の「意味を知ることの大切さ」を教えてくれる… そして、その「伝え方」の手法が効果的で面白いと思うんです。ミステリー小説探偵モノなどにある「倒叙法」、あるいは「過程法(造語)」とでも言いたくなるような手法でして…
 
その手法とは、
 
1.まず最初に、伝えたいメッセージ(あるいは答え)を、ある登場人物の一人に語らせておく。
 
2.そのあとで、ナルトやその他の人物達が、いろいろな経験を通し、苦労しながら自分達でその「答え」をそれぞれの角度からつかみとって証明していく・・その「過程」が丁寧に描かれる。
 
倒叙法」or「過程法」といったのは、はじめに犯人(答え)を提示しておいて、そのあと真実(答え)を見出していく「過程」を描くような物語とかドラマの形式(倒叙)に似ていると思ったからです。「答え」そのものよりも、それを知っていく「過程」に重きが置かれるスタイル…。
 
どういうこっちゃといいますと、まず最初に作者の伝えたいメッセージや答えはちゃんと提示されるのですが、その「提示役」を務めているのは、だいたいイタチ、自来也、ヒナタなど・・・一般的に読者の好感度も高く、読者の信頼度も高そうな人達です(笑) 
 
彼らはしばしば、作者のメッセージの語り部の役割を果たしていると思うのですが、たとえばイタチの25巻、42巻、61~62巻あたりの言葉は作者のメッセージそのものだと思うんですよね。 それらの「言葉の意味」は、その時点では「ほほう…ごもっともですな…。いい事言うねぇ、さすがイタチさん」とか思ってしまいまして「何だか分かった気はしてる」。だけどたぶん、まだその時点では、十分には分かっちゃいないんです(61巻のイタチの言葉はストレートですが、25巻、42巻のイタチの言葉は難解)。
 
そして、あとになって、他の人達(ナルトをはじめ他の忍達)がようやくその答えを自分自身で導き出していく過程が数パターン描かれています(たとえば「補う」とか「自分を許す」話とか)。それでようやく「理解」していく…
 
ヒナタは64巻で「つなぎ合う」事の大切さを語りますが、その時も「ヒナタはいいこと言ってるなぁ」とは分かる(たぶん、あの場に居た忍達も)。だけど、実際にヒナタの言葉をどこまで「理解」できていたかは別で、その後、忍達は様々なパターンの「つなぐ」事を体験していきますよね。 チャクラで繋がる(ナルト&ミナト)、細胞をつなげる(水月)、心伝身でつなげる(いの)、手を繋ぐ等々… もう、これでもかぁと言うぐらい「つなぐ」体験が連発で、忍達は様々な「繋ぐこと」を体と心で実感し、覚え、それで理解していく…その過程がとにかく「丁寧に」描かれていっています。
 
でも、その「体と心で覚えていく過程」…その道はけして平坦じゃあないんですよね。 忍達にとって「愛」とか「希望」とか「つなげる」とか、それらの言葉の意味を実感していくことは意外と難しい。 彼らは今まで憎しみや裏切り、断ち切ること(あるいは「ぶった切ること」)…つまり真逆なモノばかりが蔓延った忍世界に居たのですから、それも仕方ない事なんですよね。 
「その言葉の本当の意味(答え)」に辿り着くまでの、彼らの「悩み迷い、言い争いながら見出していく過程」…でも苦労したからこそ、本当に深く理解できたんじゃないだろうか。
 
「体で覚えるタイプ」ナルトは、術の修行だって実際に自分自身でやるしかないから、それなりに苦労する。 悪戦苦闘して、その術と真剣に向き合って・・でも苦労した分、術の特性もよーく分かるから、いざ覚えれば実戦では即使えるし、おまけに「応用編」まですぐやってのける。 
それがナルトの「土壇場でみせる強さ」、インテリ扉間でさえ舌を巻くほどの「とっさの機転、理解力の深さ」となって出る。
 
“愛”や“信じる”といった「言葉の理解」についても、イルカや両親から実際に愛を貰い、仲間達から「信じて」もらって、その言葉を「理解」した… ナルトの強さの根源にあるのは、術も言葉の意味も「実際に自分で心と体で感じて」苦労して答えを見つけた「理解力」にもあるんじゃないかと思うんです。
 
ナルトが自分で見つけていく「過程」…それに読者は共感する。
同じように、忍達が苦労して迷いながら見つけていく「答え」、その過程にも共感できる。
 
そうやって、予め一部の人物によって提示されたメッセージ(答え)の「意味」に、あとから主人公たちも辿り着く、その「過程」にドラマがある。
そして、その「言葉の意味」も、より一層強いメッセージとして読者にも伝わってくるのです。イタチや自来也、ヒナタ達「本質を見抜ける眼」を持つ(と思われる)人達が語って聞かせてくれた言葉も、あとになって再び伝わってくる…。
彼らが言っていた言葉の意味も、やっぱり体感、実感しないと分からない。アタマで分かっていたつもりでも、実はよく分かってはいない… 
「大切なのは、その言葉の本当の意味」であり、そこに至る答えは「自分達で見つけないと理解できない」ということを、読者も実感できる…そこが「面白い」と私は感じています(ウィキ丸写しで得た知識とか(汗)本だけ読んで覚えた知識だけじゃダメって事かな)。
 
今まで「オビトの寄り道の理由」が気になっていた(今も気になっている)私ですが、六道仙人も忍達が自分達で答えに辿り着く「過程」の必要性を感じていたんじゃないかと思うし、なんだかなぁ、岸本先生と六道仙人もかぶる・・・。
 
 
 
余談ですが、イタチやヒナタが言った言葉は、最初から「ごもっとも」と思って読むことが多かったのですけどね…(もちろん「理解」は出来てなかったけど)、
最初の頃の大蛇丸の言葉は薄気味悪さが先にあって、どうも素直には心の中に入ってこなかったのです。だけど読み直すと、大蛇丸もしっかりと「提示役」を務めていたんですよねぇ…。そのあたりも、読み直す面白さの1つかな…?
 
 
 
☆長駄文、読んでくださって感謝。
 
 
 
 
(ナルト好きブログ! 2014/01/09)