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《オレは…自来也という人間に負けた》…「自来也」という存在についての雑考

《オレは…自来也という人間に負けた》…「自来也」という存在についての雑考

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「うちはシスイの死体はどこにもなかったし 自来也の死体は人の入れない水圧の深海の中」
 
「ダンゾウの右眼や六道ペインの武器にならまだ彼らの個人情報物質がそれなりに…」
 
「図に乗るな…」 
 
(55巻520話、開戦直後のカブトとオビトの会話から)
 
 
う~む、 “どこにも”なくって、“人の入れない”…なるほど。
 
このカブトとオビトの会話、もうだいぶ前の話のような気がするけれど、まだたった「2日前の出来事」。 気になるんですよねぇ…この会話の「裏の意味」が。
 
表向きには自来也とシスイの2人については、死体が無いから個人情報が取れなかったけど、でも別の方法はまだあるから、穢土転生は可能なはずだよ》という「だけ」だと思うんですが、気になるんです…カブトの「喋り方」が。 
 
なにせカブチョは“スパイとしては一流”ですから、自分の掴んでいる『情報』をチラつかせて相手を威圧するのはお手のもの。 
この会話には『なんだったら、ダンゾウの右眼とペインの武器から個人情報採って自来也とシスイを穢土転生してみようか?出来るはずだよね?? もし出来ないとしたら、それは彼等の魂があの世に行ってないという事になるんだけど…まさかそんなはずはないよね??』という揺さぶりの言葉に聞こえるんですよねぇ・・オビトを脅すような。
 
《どこにもなかった》とか《人の入れない》とか、これらの言葉も気になるんですよね…それって《普通じゃ入れない場所にある》けれど《人じゃない存在なら入れる》って意味とも受け取れます(なにしろオビトだって《人じゃ入れない》場所でなぜか助かったし)。 オビトはもしかしたら「あの2人のその後」の真相を知っているんだろうか? まだあの2人については「後日談があるかもしれない」と、少し期待しております。少しだけ…。
 
少し前にも綱手が「今のオロちゃんを自来也に見せたかった」ような主旨の発言をしたり、自来也の名がポツポツ出始めて、こりゃ自来也復活(あるいは再登場)フラグかと勝手に期待し始めたんですが… この前も、オビトが自来也の名を出していましたよね(656話で)。
 
長門もナルトも自来也の弟子だった」
 
「オレは…自来也という人間に負けたとも言える…」
 
「先生…アナタの師であり アナタを火影として育てた人…」。
 
確かにオビトは間接的に「自来也」とつながりがあったけど、でも直接の接点は(さほど)無かったと思われるし、オビトが「自来也」の名を出した時、ちょっと「唐突」な印象を受けたんです。 なぜオビトは自来也の名を出したんだろう、自来也に負けたと思ったんだろう…と。
 
もちろん、オビト自身は「ミナト経由」で自来也の教えを受けていたとも言えるし、「自来也の教えを受けた長門達」と一緒に動いていた訳だし、オビトはずーっと「自来也の側」を歩いていきたと言えるのかもしれない。 
自来也の弟子に教えられ、自来也の弟子と世界を歩き、自来也の弟子に止められ、裏切られ、負け… 様々な意味で“自来也に包囲されていた”というか、オビトは「自来也」という人間をずっと意識してきたのかもしれません。せざるをえないぐらい、囲まれていた。
 
オビトが《自来也》を最初に強く意識し始めたのは、いつだったのか…それは自来也の弟子《弥彦》を通じてだったのではないかと考えています。
マダラの死の直後、弥彦とオビトの間で「やりとり」がありましたが、この時の二人の会話は「弥彦とオビトの会話」というより事実上自来也とマダラの会話」と言った方がいいようなモノでした。
 
 
(オビト) 「光が当たるところには必ず影がある 勝者という概念がある以上…敗者は同じくして存在する」
 
「平和を保ちたいという利己的な意志が戦争を起こし 愛を守るために憎しみが生まれる これらは因果関係にあり切り離すことができん…本来はな」
 
「だが勝者だけの世界 平和だけの世界 愛だけの世界 それらだけの世界を創ることもできる」
 
(弥彦) 「相手の痛みを知り 同じように涙を流せて初めて本当の世界へ近づける」
 
(オビト) 「同じように涙をか… つまり復讐か?」
 
(弥彦) 「いやそういうことじゃない 理解し合うってことだ」
 
この時、2人は師(恩人)の言葉(意志)をほぼそのまま語っていたんじゃないかと思うんです。特にオビトの台詞なんて、マダラの言葉をそのまま「コピーしただけ」のものだし、おそらく弥彦の言葉も自来也から教えられた言葉だと思うんです自来也はナルトにも「本当の意味での理解」と言っていましたから)。
対立するような『自来也とマダラ』の理想は、あの時すでに「弥彦とオビト」を通じて出会っていた事になります。
 
とはいえ、自来也の意志もマダラの意志も本質的には「対立するもの」ではなく、根本にあるのは同じ「親のような愛情」なんですよね。どちらも平和の達成を強く願い、その実現には「時間が掛かる」事も承知していた。ただ、どうやって「先」まで自分の想い、意志をつなげるのか…その手段が違うだけだったのかもしれません。
 
マダラは「自分自身の復活」という手段を取ったし、自来也は「本を書く」という手段を選んだ。 つまり先(未来)に『自分の力』を残すのか、あるいは『自分の言葉』を残すのか…それの違いでもあります。
 
「三忍」と呼ばれ、ずば抜けた力を持っていた自来也が、世界を変える為の手段として選んだのが「本」だったというのは意外ですが、自来也は真剣だったんですよね、
 
「ワシは自分が書いた本でこの世を変えるつもりじゃ!」と。
 
それを聞いた当時のナルトは「売れないその本で?」とあきれ顔だったけど、自来也は「本」という手段で、遠い先の未来へ繋げようとしてたんですね。
マダラ式時間の超え方が「忍術を極めた輪廻天生」だったなら、自来也式時間の超え方は「本」…忍としては画期的な発想だったかもしれませんね、これ。
 
でも自来也の人生って、親友を止められなかったし、綱手にフラれ続けたし、師も守れなかった…弟子も守れなかった。 結構「挫折だらけ」の人生だったのに、それでも自来也はなぜか「先」を見ることが出来たんですよね。 
おまけに世界をまわって見たモノは『憎しみがはびこっている現実』だったのに、それでも絶望せず諦めなかった…なぜなんだろ?
 
「自分では為せなくても」自分が見て感じたことを残し伝えれば「いつかは誰かが成してくれる」と信じることが出来たからでしょうか。自来也って人は、いい意味で自分の「出来ない事」を見極めるのが上手かったんじゃないかと思います。
あれだけ皆から尊敬され、仙人モードさえ習得するほどの忍だったのに、けして驕らず、火影に推されても「ワシはそんな柄じゃあないのぉ」ときっぱり断る。そして代わりに綱手を推し、自分はサポートする側に回る… 
 
自来也は挫折だらけ失敗だらけの自分を受け入れ「今の自分に出来る事」を常に考えている人だった。
 
「自分に出来る事」…その答えが「本を書く事」、つまり自分の意志、想いを後世の人達に伝え残す事、先に希望を託すこと… 自来也が常に見据えていた「先(未来)」は自分自身の中にではなく、「子供達」の中にありました。
 
自来也は、まだ戦争中(任務途中)だというのに、雨隠れに留まって長門達の世話をしたりしてましたよね。同じ班の綱手には「はぁ!?」なんて呆れられていたけれど…それでも、自来也「目の前の困っている子供達(未来)」を放っておけなかった。自来也にとって「先」を守る事は、大切な事…
 
一方で、オビトは任務や約束に遅れても、おばあさんに道を聞かれると荷物を持って送り届けて世話をしたりしてましたよね。 同じ班のカカシには「ハァ…」とため息をつかれていたけど…それでも、オビトは「目の前の困っているお年寄り(過去)」を放っておけなかった。オビトにとって「過去」を守ることも、大切な事…。 先を想うのか、過去を想うのか。これまた「真逆」に思えるけれど、どっちも「愛情」あっての大切なこと。
 
だけど自来也は「子供達(未来)」を甘やかし過ぎたりはしないんですよね。一人前になったと認めたら、あえて突き放す… 長門達のもとも去ったし、ナルトの修行でも谷に突き落としたり、一人でやらせたり…。それも「信じている」から出来る事ですよね。
対照的に、「為すのはオレ」と自分自身で先まで見守ろうとしているマダラは、他人を信じられないのと同時に、ちょっと「甘すぎる親」のようなあま~い(深すぎる)愛情を持っているのかもしれません。いつまでも子供達が心配でならないのかも…。
 
オビトが「マダラの意志」を受け継ぎながらも、マダラに言われた通りには計画を運ばなかったのは、他の誰かの影響を受けた可能性が高いですが、それは「グルグル」なのか、あるいは『常にオビトの周りに在った自来也の意志』だったのか…それはまだ分かりません。 オビトの周りを常に取り囲んでいる「自来也の言う理想」が本当に達成できるものなのか…オビトはマダラの意志を背負いながら、ずっと問い続けていたんじゃないでしょうか。だけど世界を歩きながら「憎しみがはびこった現実」を見て、そして自来也の意志を継ぐ弥彦やミナトが逝ってしまって、自来也の言う理想などありはしないと「否定」せざるを得なかったのかもしれません。
 
オビトは「自来也の理想」を否定し続けた…だけど「裏の心」では、背理法のように「自来也の理想を否定する自分」を、誰かに否定してもらいたい…そんな想いを抱えていたのかもしれません。 
 
否定の否定は、強い肯定》…
 
だから(オレは…負けたのか?)という654話の表情や、(そうか…負けか…)という655話の「穏やかで、嬉しそうでさえあった」オビトの表情は、自来也の言う理想が「肯定された」ことに対しての、素直な表情だったのではないだろうか。
ナルト達は自来也の意志をストレートに肯定し、オビトは「自来也を否定する自分を否定される」ことで、自来也の願いは「表側」と「裏側」、両面から肯定されたのかもしれません。

 
「こんなワシでもこの忍の世に憎しみがはびこっているのは分かる」
「その憎しみをどうにかしたいとは思っとるんだが どうしたらいいのかワシにもまだ分からん…」
 
「だがいつかは……人が本当の意味で理解し合える時代が来るとワシは信じとる!!」
 
これは私が大好きな「自来也の言葉」ですが、今週の守鶴の元人柱力・分福のお手手とお手手を合わせて「愛」という「裏の心」の話といい、ようやく忍達は自来也が望んだ《本当の意味での理解》に近づきつつあります。 世界は、自来也が望んだ方向に向かいつつある…それは「偶然」ではなく、自来也が導いたこと。だけど自来也が押し付けた事ではなく、忍達が自分達自身で見出しつつあるモノ。
自来也の想いを、連合側もオビトも受け入れ… 自来也が、両方の心を「合せて」くれた。 今、あらためて自来也という人物の存在感がより大きく感じられるのです。
 
《オレは…自来也という人間に負けたとも言える》…
 
オビトが言ったあの「負け」とは、「屈辱の負け」ではなく、自来也を認める「心地よい負け」だったのかもしれません。
 
 
 
(再びこの戦場では「自来也の理想」と「マダラの理想」がぶつかり合うことになりそうですね。自来也の「再登場」はある…かなぁ)
 
 
☆長駄文、読んでくださって感謝。
 
 
 
 
 
 
(ナルト好きブログ!2014/01/12)