ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

“天の配剤”について

“天の配剤”について

NARUTOの物語も、599話の《トビの正体判明》がかなりの「山」だったんじゃないかと思うのだけれど、でも《トビの本当の正体》が明らかになるのは「これから」じゃないかと私は考えてます。「トビはオビトだった」だけで終わるようなものではない… 
私にとって目下最大の関心事は《グルグル》なんですが、彼(?)の正体はいったい何者なのか、“器”や“チャクラ”を失った十尾神の意志なのか、仮面の「本当の正体」というべき存在なのかとも思ったりしているのですが、とにかく人間を「超えた」存在のようにも感じる… 今の時点で彼が何者なのかはハッキリしませんが、とりあえず何者であるにせよ、グルグル再登場は敵の大将が姿を見せたような印象を受けています(「敵」という表現は適切ではないと思うけれど)。
 
そして、この戦争は確実に《天と地の戦い》の様相を呈してきているとも思います。 
 
652話の「大綱引き大会の絵」は《天(神)》と《地(人間)》が尾獣チャクラを奪い合う絵…つまりこの戦争の“本当の姿”を分かりやすく示したものだと考えていますが、本来尾獣(チャクラ)は天と地を「繋ぐ」ものだったと思うのに、すっかり「争いの道具」になってしまってる…それがこの戦争なんじゃないだろうか? 《天と地の戦い》とか言うと、ちょいと忍者漫画を「超え過ぎ」感もあるんですが、でも根本にある問題はいたってシンプル…“生命”の大切さであったり、“自然の恩恵の有難さ”であったりするのかもしれません。
 
「グルグル登場」は、天(神)によるシナリオがついに「総仕上げ」に入ったという事であり、九尾事件もうちは事件も今の戦争も、すべて同じ一つの「シナリオの一部」であり、同じ流れの中に在るもの・・・全ては神の仕業、天の配剤とも言える出来事だったのではないかと思うんです。「今まで」も、そして「今の状況」も、何者かの見えざる手によって導かれ準備されたもの・・・それを端的に表していたのが、長門が言っていた(例の)言葉だと思うんです。
 
《本といい…お前といい…誰かが全て…仕組んだ事のように思える イヤ…これこそが本当の神の仕業なのか…》
 
「本」や「ナルトという存在」は大蝦蟇仙人の見た「夢」が実現したモノですが、これらも“天の配剤”のようなものじゃないかと長門は言っている。
そして「九尾事件」についても、その真相を知っていそうなオビトは「いわば天災」と言っている…「天災=天(神)が起こした災い」…もし「天(神)」が九尾事件に黒幕として関わっているのなら、これも“天の配剤”だったのかもしれません。 
 
九尾事件があったからナルトは人柱力になったのだし、今のナルトがある。
そしてうちは事件があったからこそ、今のサスケがある…そうしてナルトとサスケは「次に運命に選ばれた二人」になったわけで、これも本当の神の仕業、誰かが仕組んだ事、天の配剤じゃないかと考えられるのです。 
 
そして、九尾事件、うちは事件、第四次忍界大戦…これらに共通して関わっているのは《月と仮面の存在》… 
 
「仮面の男」は“とりあえず”(あくまで「とりあえず」)オビトだと分かったけど、それだけじゃ全部は説明しきれないんですよね。たとえば「血霧時代の霧隠れ」を裏で操作していた“マダラさん”はオビトじゃないわけだし、「九尾事件の仮面」「トビ」の言動も「オビト」としては不自然な点が度々出てきます(※例は下記)。 
 
《グルグル、オビト、トビ、十尾、霧隠れで水影を操りイタチと接触した人物》…彼らの繋がり方がイマひとつ分からないのですが、彼等は《マダラ》を名乗ったり、《マダラと何らかの関係があったり》と…彼らを繋ぐワードは《マダラ》でもあります。いったい《マダラ》って何なんだってばよ?と言いたくなってくる・・。
《うちはマダラとは》うちはタジマの息子でイズナの優しい兄ちゃんで、柱間の友達で、後ろに立たれたらダメなぐらい繊細な元うちは一族のリーダー…ってのが一応の答えなんだろうけど、ここで言う《マダラ》とは「かつて柱間と水切りしていたマダラ本人」はなく、《マダラという名前の存在》とでも言いましょうか。 マダラ、曼陀羅、「悟りの境地」…宇宙を超えるような存在としての名前《マダラ》。神の名前としての《マダラ》が、もはや「その名前が力」として独り歩きしている感もあります。《マダラ》とは神の別名であるかのように…。
 
以前「運命」に選ばれた者(マダラと柱間、ナルトとサスケ)とは天(神)のシナリオに選ばれた者という意味ではないかと書いた事があるのですが、ナルトとサスケは運命=神の仕業、天の配剤の中でどういう答えを出すことが出来るのか、今、試されているのかもしれません。 
中忍試験の時、ナルトはネジに「運命が全部決まってるって思うのはスッゲー勘違い」「運命は変えられると証明してやる」と言っていたけれど、あの時の宣言を「神」は聞いていたのかもしれない…そしてナルトはあの時の具体的な「答え」を求められているんじゃないだろうか。
一方のサスケは「過去を切るのはオレ」と言っていたけれど、それは「因果を切る」、「運命を変える」という意味でもあったのだろうか。 
 
神が仕組んだ仕業…それらを災いで終わらせるのか、それとも与えられたチャンスに「変える」事が出来るのか。それを決めるのは忍(人間)なんですよね。
でも過去の忍達は、天から与えられた神樹の実(チャクラ)を戦いの道具にしてしまったし、十尾のチャクラ(尾獣チャクラ)も戦いの道具にしてしまった…つまり「災い」「戦争」を選択してしまった。 与えられたモノを「平和」に使うか「戦争」に使うか、それも全て忍(人間)次第…どうするのか決めるのは人間なんです。
 
グルグルの真剣な「生きている意味の問い」にも、今までは「憎みあい、傷付け合い、ころし合う事」としか答えを示せなかった忍だけれど、今度こそ違う答えを出すことが出来るだろうか…「頭のキレもボキャブラリーも戦闘力も人間より上」なグルグルに対して、行動で示すことが出来るんだろうか。
 
九尾事件の「仮面」は、目的についてこんな事を言っていた…
 
 
「言うなら気まぐれであり…計画でもあり…
戦争でもあり…平和のためでもある」
 
 
どちらになるかは、全て己できめること・・「選択」次第。
 
「与えられた運命」なんてのは、どう受け止めるかで変わっていく。
「月と仮面」が起こしてきた事も、大蝦蟇仙人の夢も…結局は忍達に「選択」をさせる為の、絶妙な天の配剤というべきものだったのかもしれません。
 
 
 
 
 
 
☆駄文読んでくださって、感謝・・・
 
 

 
※トビの「捕えたぞ九尾 このまま四尾ごと“オレ”の中へ引きずり込んでやる」(569話)…この“オレ”はオビトではなく、“外道魔像”と考えた方が適当(その直後四尾は“外道魔像”の中に引きずり込まれている)。九尾事件時の仮面の「このわずかな隙を“どれほど待った”事か」もオビト発言としては不自然… 463話トビの、自分の目的は「完全体になる事」(させるではなく「なる」)の発言も十尾発言臭いし、不可解なセリフはかなりあります。
 
 
 
☆ナルト好きブログ! 2014/02/04