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今も在り続ける「イズナの想い」 (2月10日生まれのイズナとオビトに関して)

今も在り続ける「イズナの想い」 (2月10日生まれのイズナとオビトに関して)

先日、コメントで「ぱぴさんの誕生日、ナルトキャラとかぶってたりしますか」というご質問を頂いたんですが、「います」…それも血液型も一緒。だから、そのキャラには「ちょっと」思い入れがあります(笑) どのキャラなのかは内緒ですけど、ま…自分の話はどうでもいいんで… 
今回は「同じ誕生日で同じ血液型のキャラどうし」である、うちはイズナとうちはオビトに関する話を少し。
 
毎年2月10日(頃)に「2月10日生まれのイズナとオビト」の記事を書き続けているんですが、なにせ「イズナ」に関しては情報が殆ど無かったから、結局毎年「オビト」の事ばっかり。 でも、やっと今回は65巻の柱間回想で「セリフをしゃべっているイズナ」が登場したから、少しだけ「イズナ」の事も書けるぞ…!とは思ったけど、あまりに「登場場面」が少なすぎ… 相変わらずイズナについてはよく分からない。

なんでイズナとオビトが「同じ誕生日で同じ血液型」なのか、ただの偶然なのか、それとも理由があるのか…それも今のところは「謎」。 
柱間は《イズナとサスケは似ている》と言ったけど、イズナとオビトも「後姿」だけはそっくり。
 
これは、うちはイズナが扉間に斬られた時の服装ですが↓
 
イメージ 1
 
 
そして、これがこの戦争での(当初の)オビトの服装でして…↓
 
 
イメージ 2
 
 
(袖が破れてるのは、仕方ないとして)、ようするにオビトはこの戦争に《マダラ・イズナ時代の「古いうちは一族の戦闘服」姿》で参戦したことになる。
特に、背中に刀をさす紐を巻き付けているところが「そっくり」でして…
マダラも(時によって)似たようなスタイルの服を着ていた事もありますが、微妙に違っているんですよね。 バリエーションが数ある中で、オビトはわざわざ《イズナの戦場での最後の姿》と同じにしている…。
 
「イズナと同じ服装に、マダラの団扇」というオビトの出で立ち…
それは「うちは一族の存在を証明するため」だったとも考えられますが、しかし、それにしては今までのオビトの言動には、あまり「一族」を意識したような発言はないんですよね。なら、なぜオビトはこんな服装で出てきたんだろう。
 
オビトはマダラに「アンタを仲間だと思ったことはない」なんて言ってたし、マダラは「フッ…それでいい」なんて答えてましたけど(例の「まぁいい…」と同じ反応ですよね)、でもなぁ…そうは思えないんです。だってオビトは「マダラの形見である団扇」を背負って出てきてるぐらいなんだから…。そして、イズナに似た恰好をして出てきたのは「イズナの想い」も背負って何かをしようとしていた…とは考えられないだろうか。
 
43巻でサスケに「イタチの真実とうちはの歴史」を語ったオビトは、なぜか「イズナ」についてもよく知っていた。そして、なぜか「マダラとイズナ兄弟間の事情」もよく知っているみたいだった。 
あの「腑を見せない」マダラが、弟・イズナの事をベラベラと人に語るとは思えないんだけどなぁ…。なぜオビトはイズナの事もよく知っていたんだろう…?(イタチもイズナのことを「映像化出来るほど」知っていたし)。
 
《イズナ》については、まだまだ分からない事だらけだけれど、柱間回想に登場したイズナを見る限り、伝わってくるのは…とにかく《兄を真っ直ぐに慕う想い》なんですよね。
 
柱間によればサスケは「イズナに似ている」らしいけど、それはルックスや「刀を使う事」など色々とあるだろうけど、中でも柱間が「一番イズナに似ていると思った点」は、サスケの《兄を想う愛情の深さ》だったんじゃないかと思います。
兄をまっすぐ慕い、兄に憧れ、兄を誇りに思うところ…それが「イズナにそっくり」だったんじゃないだろうか。
 
たとえば、マダラが写輪眼を開眼した時の、幼いイズナの反応…「見て父様!兄さんの目…!」つぶらな瞳を輝かせた表情、あれは愛くるしかった…。
そして、サスケも同じ…イタチが「岩の裏の死角の的」にもクナイを当てた時、「すっげーよ兄さん!」なんて目を輝かせていたっけ。
イズナもサスケも、2人とも兄さんのことが「大好き」だった。2人とも兄さんのことが「誇り」だった…。
 
そしてもう1つ、イズナとサスケに共通するのは、幼い頃から兄の“危うさ”を察し、心配していたところ…
 
サスケは、イタチが一人で何かを抱え込んでいる事を察し、父とイタチの関係が悪化するのをずっと心配していたし、イズナもマダラを「尾行」して、マダラが千手に騙されていないか心配していた。サスケもイズナも「優秀すぎる兄」の危うさをずっと心配していたんですよね。
イズナは大人になってからも、ずっとマダラ兄を心配し続けてましたよね…ダメだ兄さん 奴ら(千手)に騙されるな…」と。
 
マダラという人は実はかなり「お人好し」で、人を信じては裏切られ、そしてその度に「まぁいい…」と言いつつ「しっかり傷ついてきた」のかもしれない。 
イズナは「また兄さんは騙されるかもしれない」と心配し続けたんじゃないのかな…そして、兄のそういう「穴」を補ってきたのかもしれない。 
だいぶ前の記事で、イタチが言っていた《うちはの兄弟は互いのスペア》という意味について考えたことがあるんです。《スペア》とは「代用」という意味ではなく、本当は「互いに補い合うもの」という意味だったのではないかと…。
イズナとマダラも「補い合って」きた兄弟なんですよね(もちろんうちは一族に限らず、柱間と扉間も理想的な「補い合う兄弟(互いのスペア)」ですよね。扉間も「柱間の甘さ」を心配してましたけど…)。
 
オビトの本心も「いまだに分からない事だらけ」ですが、彼の本心(裏の心)を知る最大の手掛かりは《年寄りに親切にする事がモットーで、その為なら大遅刻もするし、損もする》だと思うので、オビトの「計画の大遅刻(寄り道)」も、爺ちゃんの為の遅刻でもあったんじゃないか…とも思うんです(マダラは、オビトのことを『ペットを連れ戻すのに何年もかかったガキ』なんて言い方をしていたけれど)。オビトがマダラ復活を阻止しようとしたのも、爺ちゃんを「心配して」の理由が何かあるんじゃないだろうか…。「イズナ」を思わせる姿で参戦したのも「イズナの想いをイズナの代わりに」という意味も含まれていたんじゃないのかな…。
(そして「弟の兄への想い」をマダラに伝えるのは「サスケ」の役割になるんだろうけれど)。
 
もし“魂”というものが ずっと在り続ける事が「可能」ならば… 
イズナの魂は、今でも《たった一人で計画を為し遂げようとしている、お人好しで騙されやすいマダラ兄さん》のことを「心配」しているんじゃないでしょうか(友である柱間だって、マダラの事を心配しているだろうし…)
 
「孤独な道を一人進むマダラ」は、本当は「孤独」じゃあないのかもしれません。
 
 
 
 
☆駄文読んでくださって感謝。
 
 
 
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