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かぐや一族・君麻呂について

かぐや一族・君麻呂についての雑考

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・・・かぐや一族・・・今や僕だけの能力だ
 
 
今回の雑考は、かぐや一族の君麻呂の事を少し。最近になって彼の事が気になってきて、646話と664話の感想内でも「ちょこっとだけ」触れたのですが語り足りず;今週の感想別記としてつけ加えさせてください。
 
 「かぐや一族」とはいったいどんな一族だったのか…これは君麻呂登場の時から気になっていたのですが、最近になって判明した六道仙人(大筒木ハゴロモ)の母の名が大筒木かぐや…その名前から判断して「大筒木かぐや直系の一族」じゃないかと推測しております。もちろんこれは今の時点では「推測」に過ぎないのですが、大蛇丸やカブトによる「かぐや一族の説明(戦闘好きで戦うことでしか生きられない一族)」から判断しても、可能性は極めて高いと思っています。今回は、やや強引ですが、その推測を前提として話を進めますが…(と予めおことわりを)。
 
  
「僕の体は病でそう長くない…だが…」
「滅びはしない それに一人ではない」
大蛇丸様の野望の一端を担った存在として僕は大蛇丸様の心の中に永劫に留まる」
 
…この言葉から判断しても、君麻呂の“大蛇丸崇拝度”は相当なものですよね。
我愛羅大蛇丸の洗脳か…虚しい奴だ」と言うのも無理はないといいますか…とにかく大蛇丸に利用された「悲劇の一族の末裔のあわれな姿」にしか見えなかったんです。君麻呂は幼い時に大蛇丸に「救われた」といいますけど、カブトと同じような手法で「洗脳」されたのでしょうか。
 
カブトの回想を見ますと、大蛇丸がカブトをスカウトしたいきさつは、実に計算尽くでありまして…いわゆる「心の闇を利用するテクニック」というか…極限の状況にまでカブトを追い込んで、純粋だった少年の“知りたい願望”を利用し、指針を示して強引に導いてしまう手法…かつてマダラがオビトに、イタチがサスケにやった事と殆ど同じです。
 
それでもカブトの場合は、大蛇丸をあれだけ崇拝しながらも「己」を失わないように必死でしたよね。 常に自分探しをしていたし、大蛇丸の事を冷静にどこか客観的に観察しているところもありました。 だけど君麻呂は違うんですよね…大蛇丸を心から崇拝し信じていた…真っ直ぐすぎるほどに。
 
同じ“音の五人衆”左近、鬼童丸、次郎坊、多由也も大蛇丸には「忠実」ではありましたが、彼らの場合は大蛇丸から呪印の力を与えられ、「特別な強さ」を貰う事を条件に大蛇丸に従っていたのであって、心から崇拝していた訳ではなさそうですよね。 だから戦いに於いても、四人衆は《大蛇丸様の為》というよりは、《自分の存在を証明するため、自分の強さを証明するため》に戦っていた印象が強かったんです。自由と引き換えに「強さ」を手にした己の道が間違っていなかった事を証明するために戦っていたように見えたんですよね。
 
 だけど君麻呂は違う。彼はひたすら大蛇丸様の野望の一端を担う為》…それに全てを捧げた人でした。大蛇丸の部下でそこまで「全てを大蛇丸に捧げきった」のは君麻呂だけだったんじゃないだろうか。
「肉体という牢獄から抜け出した情報生命としての感覚…大蛇丸様の夢の一端に触れている感覚」と言ってみたり、穢土転生後も大蛇丸様のチャクラが頭蓋を通して骨身にしみる…」なんて言ったり、とにかく君麻呂は大蛇丸に全て捧げている… 徹底して「大蛇丸様の為」に尽くす…その信念の強さは他の音の忍と比較になりません。
 
 22~24巻では、君麻呂のそういった「大蛇丸様の為なら何でもする」状態を、大蛇丸とカブトがアジトで語り合ってるんですが…彼等の会話からは、君麻呂の事を「見下す」ようなところが少々感じられるんです。「優秀な一族のみじめな末路」を憐れむように…
 大蛇丸、「お前(カブト)が(君麻呂に)どんな命令をしたのかは知らないけど少し酷だわよ」なんて言えば、カブトは君麻呂は自ら大蛇丸の為に出て行って動いたのだと…“大蛇丸様が君麻呂を洗脳して熱烈な信者にさせたせいでしょう”的な言い方をする… そして大蛇丸は、カブトお前本当に嫌な性格してるわね」なんて答えて…二人で《嫌な性格はお互い様でしょ》みたいに言い合ってるんです。
 
勿論、これは「けなし合い、皮肉の応酬」ではなくって、二人で共に「ご立派な血統の肉体派・君麻呂を簡単に手懐けた」“勝利”に軽く酔いしれていたと言いますか…「大した血統でない者が大した血統の美しき種をコマにして動かす満足感」に浸っていたように見えました。 優秀な血統、美しき種である忍を事実上「操る」喜び…カブトはこの頃から味を占めていたんですね。
 
 そして君麻呂が「大蛇丸への想い」を貫いて命を燃やし尽くした瞬間に、大蛇丸は非情にも「今はもう君麻呂なんてどうでもいいのよ サスケくん…彼が待ち遠しい」なんて言っていて…あの時は君麻呂が憐れに思えてなりませんでした。まさに君麻呂は「使い捨てのコマ」だったのかと…
傍から見たら、君麻呂は《大蛇丸の洗脳されただけの憐れな存在》…《大蛇丸に盲従し利用されただけの、己を失った存在》でしかないのかもしれません。だけど、本当に君麻呂は「洗脳された」のだろうか…「憐れな虚しい存在」だったのだろうか?
 最近になって「そうではなかった」んじゃないかと思うようになりました。君麻呂は、大蛇丸の野望の達成に「ただただ献身的に尽くしただけ」ではないのだと…今週664話の重吾の発言《それが君麻呂の想いでもあるが…》からも改めて感じたんです。
 
君麻呂は「大蛇丸による洗脳」を強く否定し、「あの方(大蛇丸)は僕の理解者だ」と言っていた… 君麻呂は“僕は”あの方の理解者…ではなく、“あの方は”僕の理解者だと言ったんですね。 つまり、大蛇丸の野望とは“君麻呂の想い”をよく理解した上での、“君麻呂の想い”を達成してくれる野望という事になりましょうか。 はじめに君麻呂の想いがあり、その想いを「理解した」大蛇丸が打ち立てた具体的な野望だったのかもしれません。 ま…大蛇丸はそれも計算のうえで「理解を示したようにして」君麻呂を利用したのでしょうが、君麻呂にとって「大蛇丸の野望」は充分納得いく理想的なものだったんじゃないかと思います。
 
 カブトの説明によると、かぐや一族は「霧隠れという大国に一族だけで挑んで絶滅した愚かしい者達」らしいですが、君麻呂が幼い頃の霧隠れと言えば《血霧時代の霧隠れ》である可能性が高いんですよね。 つまり、かぐや一族が戦った相手は「血霧の里を操っていた“マダラさん”」の可能性が高いわけでして、なぜ大筒木かぐやの血を引く(かもしれない)かぐや一族が“マダラさん”相手に戦いを起こしたのか…その理由はかなり気になるものがあります。
 そして、その一族の「生き残り」である君麻呂は、一族の遺した意志、一族が残した想いを受け継いでいるのかもしれません。
 
 大蛇丸は「血継限界を持つ一族の血」を愛でていましたし、当時「徹底して血継限界一族を淘汰していた血霧時代のマダラさん」とは対立するモノがあったはずです。 そういう意味でも、君麻呂にとって大蛇丸とは《かぐや一族の想いを継いでくれる者》でもあるのかもしれないし、君麻呂が「僕の体は病でそう長くない…だが…」「滅びはしない それに一人ではない」と言ったのも、たとえ「かぐや一族」が滅びても、大蛇丸がその想いを継いでくれると君麻呂は強く信じたのでしょうか。そして君麻呂の「大蛇丸を信じる気持ちの強さ」は、ブレない強い意志となって彼の言動に表れています。
 
 たとえば君麻呂の「闘い方」…君麻呂の戦い方には一切迷いがなく、美しく、「椿の舞」「早蕨の舞」など「舞」の名がつくほど美しく優雅です。それに、戦闘中にリーが「お薬の時間です、待ってください」と言えば、ちゃんと君麻呂は待ってあげるという…あり得ないほどの律義さ。 そういう優雅さや律義さは「血統の良さ」からくるものもあるでしょうが、信念の強さや己を偽る必要が無い「自信」からくるものではないか…とも思います。
 
 対照的なのが最近の「マダラ」でして… マダラが己の戦いに「優雅さ」を意識したような発言をしているのは、己の戦いに「優雅さが無い」事を自覚している証拠ではないでしょうか…つまり、己の気持ちの何処かに「揺れ、ブレ」があることを自分で否定したいのかもしれません。
 
君麻呂は、最後の闘いに出る直前、病床でこんな事を言っていましたっけ…
 
「…人は何か意味があって生まれてくるのだと…最近思うようになりました」
「何か大切な使命があるのだと…」
「それを見つけることは神がお与えになった人間にとって唯一の自由だと…」
 
「神樹の実を食べて神に逆らってしまったかぐや姫」の末裔が「神の存在」を語るなんて意外な気もしますが、イヤ、だからこそでしょうか…人間は神によって自由を拘束されている(縛られている)と、かぐや一族は考えていたのかもしれません。 
 「呪われたように戦いに縛られてきた一族」が、その中で唯一神に許してもらった自由が「己の使命を見つける事」だと…それこそが「一族の運命から己を解き放つ方法」なのだと君麻呂は確信していたのかもしれません。だからこそ、大蛇丸の野望のために尽くそうとしたのでしょうか。己の意志で…
 
こうして考えると君麻呂とサスケにはかなりの共通点があり(優秀な血、優秀だが呪われた血に穢された一族…自ら滅亡の道を辿った一族の生き残り)、君麻呂がサスケを「自分の生まれ変わりのような存在」だと信じたのも、分かる気がする…
サスケにとっても「己の使命を見つける事」それが「一族の運命から己を解き放つ方法」なのかもしれませんから…。
 
 最後まで揺らぐことが無かった“君麻呂の想い”は、遠い遠い過去と遠い遠い先を見つめていたものだったのかもしれません。「かぐや」の一族として、君麻呂は最後まで「自分が生まれてきた意味」をずっと探し求め、志半ばで息絶えた後も重吾に「先を見届けてくれるよう」頼んでいたのかもしれません。
 
 君麻呂の理解者・大蛇丸がただ一つ君麻呂を理解していないところがあったとすれば、君麻呂は「利用されていただけ」ではなく、最後まで「己の誇り」を失っていなかった事、「自分自身(君麻呂)の想い」を大切に守り続けたという事でしょうか。
 
穢土転生された君麻呂の魂は、既に昇天したと思われますが…彼の想いは今もしっかりと重吾と共に残っているのでしょう… そして、その「想い」だけはけして“大蛇丸のもの”ではなく、あくまで“君麻呂自身のもの”なのだと思います。
 
 
 
 
 
 
☆長駄文、読んでくださって感謝。
 
 
 
 
 
 
 
 
(ナルト好きブログ! 2014/02/21)