ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

カカシとオビトの共闘に思うこと (666話と68巻)

カカシとオビトの共闘に思うこと (666話と68巻)

665話で『貴様!マダ…!』「まだだ…」「マダラ…」なんて会話がありましたが(黒ゼツとオビト)、68巻655話でも「マダラを封印するんだ」「あっ!そっか!あいつがまだだ!」ってのがありましたっけね(ミナトとナルト)。そのうちマダラさん、「マダダさん」になっちゃいそうで…。
 666話記事に頂いたコメントの中で、ラストのガイの「誰だ?」は鋭い言葉でもある…というご意見になるほどと思いました。 ガイの言葉こそ《素直》なものであり、真実を鋭くついたものでもありますね。六道マダラは、オビトの時以上に、もはや誰だか分からない姿になってますもん…見た目だけではなく、もはや「マダラ」の名は普遍的なもの、救世主の意味でしかなくなってる。ガイって、自分を見失ってる人のことは分からないんですね。鬼鮫のことも「フグ」にしか見えなかったみたいだったし…

ところで、68巻読みました。
初代水影の後ろに立つ美形さんが気になった方は多そうですね、あの方が誰なのか三代目水影なのか…うーん興味そそられます(美形だからってのもありますが)。 霧隠れの謎はまだ明かされていないし、マダラの言うところの「無限月読計画を運ぶものはすべて《マダラ》」というのは引っかかります。
 
そして、今週666話は何といってもカカシとオビトの「共闘」のお話でしたが、68巻ではヒルゼンと大蛇ちゃんの共闘もありましたね。これがまた…「ほんの少しだけ思い出しましょうか…なつかしき師弟の絆を」なんて美しい言葉で、表面的には大げさなものはなく、すっごく「さらっとあっさり」なんですよね。  
 
 年齢的にも(立場的にも)「時代の表舞台から退いた者同士」の二人ですから、人生ってものをよく知っていらっしゃる。人の道はそれぞれあり、相容れないこともあるという事も、よく分かっていらっしゃる。 そして、それでも師弟の関係だけは永遠に変わらない事も、既にあの二人は分かっているんですね… なにせ、ヒルゼンは大蛇丸をかつて見逃している」し、大蛇丸「木ノ葉崩しの時、涙を流し震えながらヒルゼンにクナイを突き付けていた」のですから。
 
過去世代の「ヒルゼンと大蛇丸」の共闘は、戦場の片隅でひそやかに目立たずに、さりげなく行われ…それでも二人の間には秘かに《熱い想い》が通い合っていたんだろうと思います。 その「通い合い」こそ、665話でマダラが言っていた「本来チャクラとは“繋ぐ力”のことだ」を形で示したものだったんじゃないか…なんて思います。
 
そして、666話で共闘を見せたカカシとオビトは、ヒルゼンと大蛇丸に較べたら人生経験もまだ浅い《現在(今)の真っ只中を生きる世代》。 それでも、彼らのこの17年間も、ここに至るまでホントに色々あった… 68巻は、カカシとオビトが今回の共闘に至るまでの「互いの距離を縮めていく過程」が描かれている巻でもあります。
 
とにかく、カカシは「この17年間のオビト」をほとんど知らないんですよね(オビトのほうは「この17年間のカカシ」を影から見てきて、よく知っているんだろうけど)。しかもカカシは時空間にいて「オビトとチャクラの綱引きをしていなかったから」、オビトの過去情報を得られないまま… それでも、カカシはオビトの心を慮(おもんばか)っていくんですね。 情報収集や情報分析を基にした「(第一の意味の)理解」はお得意なハズのカカシが、情報「殆どナシ」という慣れない条件下で、それでもオビトの心を「理解しようとしていく」…。
 
一方で、ナルトとミナトはオビトとチャクラをつなげて「オビトの過去」を知ったわけで、「オビトの情報」はカカシより遥かに多い。 なのに、ミナトは「オビトを本当に理解し何かを言えるとしたら…友達の君だと思うよカカシ」と言った(68巻655話)。
 ミナトは《本当の意味での理解》には「情報は必ずしも要らない」と判断したんですね。それをもっと「超える」ものがあるはずだと…「オビトを知った(つもりになった)」ナルトがオビトに説教してるのを見て、ミナトはそう思ったのかもしれない。
 
《本当の意味での理解》…忍の世界から「憎しみ」を無くし戦争を終わらせるためには《本当の意味で理解し合う事が必要》だと言ったのは自来也ですが、自来也は《大蛇丸》の事を理解しようとして、必死で大蛇丸の情報を集めてたんですよね。里を出て大蛇丸の事を調べ、ずっと彼を追いかけ…それでも大蛇丸の事は「分からなかった」。
 あの自来也でさえ《本当の意味での理解》の答えは出せなかったのだから…難しいもんです、かえって過多な情報は余計な思い込みを生み出し、目を曇らせる結果になるのかもしれません。
 
カカシはオビトのすべてを知ったわけじゃないし、すべてを解かったわけでもない…だけど、かえって情報が少ないからこそ、相手の行動を真っ直ぐ見て、そこから心を重ねられる《取っ掛かり》を見つけていったのかもしれません。本当の意味での理解ってのは《全部知り、全部同意できる》ってことじゃなく、互いの“違い”を受け入れ、その中で心を重ねられるものを1つでも見つけられればいいのかな…全部わからなくったっていい…(うん難しいですね)。でも、これで60巻で立っていた(と私が勝手に解釈している)《カカシの理解力フラグ》がようやく見事に回収されたと考えています。もちろん、二人はもっと「これから」…たがいの事を分かっていくのでしょうけれど。
 
そして、カカシとオビトの「共闘」は、千手(里側)とうちはの共闘でもあり、さっきまで争っていた敵とも「理解し合える」という、人間同士の繋がりの証でもあります。カカシとオビトが和解した事で、これで…カカシの雷切、つまりサスケに授けた「千鳥」も、やっと本当の意味で「仲間を守るための力」として生きてきます。
 
里抜け以降、サスケはもっぱら「千鳥」を憎しみの刃として使いまくり、「仲間を守るための力」としては「うちはの力」天照や加具土命ばかり使ってきたんですね。そして「仲間を守る」と決めて参戦したこの戦場で、サスケはまだ千鳥を使ってない。その事がずっと気になっていたのですが…
でもようやく千鳥の本家本元が《仲間を守る意思》で繋がったのだから、これで…サスケも「仲間を守るための力」として千鳥を使えるようになるのではないか…と考えてます。
 
そうすれば、いつか、ナルトの手の螺旋丸(尾獣と人間の共闘の象徴)とサスケの左手の千鳥(人間どうしの共闘、眼と獣の共闘の象徴)の共闘で、《チャクラとは本来繋ぐ力なんだ》ってことを、“何者か”に示してあげることが出来るんじゃないだろうか…? 
その“何者か”ってのが、《全テノ地ハオレソノモノ》と言ってる方なのか、便意便意と言ってる方なのか…(それとも別なのか)、そこんとこはまだ、さっぱりわからないのですけどね…。
 
いずれにせよ、カカシとオビトの「共闘」は、ナルトとサスケの本格的な「共闘」への第一歩と言えるんじゃないか…なんて思っています。
 
 
 
 
☆駄文、お付き合いくださって感謝。
 
 
 
 
 
☆共闘と言えば、68巻同期との共闘も圧巻でしたね。あの絵、いいな…
 
☆68巻の表紙のミナト班、カカシとオビトの服が前みたいな「青基調」ではなく「黒基調」になってますね。「今のナルト」に合わせてるのかな…。黒×オレンジの組み合わせで、ナルトとオビト…同じになるように。
 
 
 
 
 
 
 
 
(ナルト好きブログ! 2014/03/06)