ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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ネジと《本当の呪印からの解放》について改めて思うことを少々

ネジと《本当の呪印からの解放》について(改めて)思うことを少々

 
「本当の勝利ってのはな! 強い奴に勝つ事じゃあない」
「自分にとって大切なものを守りぬく事だ!」 (668話、ダイ)
 
《本当の~とは何なのか》…この「~」の部分に入る言葉は様々ですが、忍達はそれぞれの《本当の~とは何なのか》を探しているんじゃないだろうか。
本当の自分とは、本当の名前とは、本当の平和とは、本当の力とは…本当の理解とは何なのか…
 
ところで、最近になってやっと「ガイ班」の話が動き出しましたが、その中で早々に戦線離脱してしまった「ネジ」の事を少々。ネジにとって《本当の~とは何なのか》というお題があるとしたら、その1つは《本当の呪印からの解放とは何なのか》じゃないかと思っているのですが…
 
668話で、ネジの先生・ガイのお父上は「万年下忍」だったと判明し…
 
ガイ班に配属されたばかりの頃のネジは「血統に恵まれたわけでは無かったガイ先生」の班に配属されたことを不満に思ってたかもしれないですね。その頃のネジは《自分はお前らとは違う》的な発言を結構してましたよね、《努力したところでお前にオレは倒せない… これは決まっていることだ》とか。「分家」とはいえ、ネジは宗家以上に日向の血を濃く受け継いでいると自負していたのだから…リーと一緒にして欲しくなかった気持ちも、分からないでもない。 でも、本当はネジ自身、たとえ日向の才に恵まれていても「分家」という籠から自分を解き放つ事は出来ないと苦しんでいたんですよね。 
 
籠から己を解き放てないのは他の人達も同じ…《血に恵まれていない奴は、血に恵まれた者には絶対に勝てない》、自分も他の奴も同じなんだと…そう思うことでネジは自分を納得させようとしてたのでしょうか。あの頃のネジは、自分で自分に籠をかぶせていたようなものだったんですね。
 
ネジの「自分で自分を籠に閉じ込めるような発想」から解き放ったのは御承知の通り「ナルト」…中忍試験でネジと本音をぶつけ合って闘って、ネジの心を解き放った(あの時のネジ戦は、ナルトにとって《今の闘いのスタイル=相手の心を浮き彫りにする闘い方》を「確立」させたものだったんじゃないかと思っています)。
 
ナルトと闘い終わって、ネジは「人の運命とは雲の様に決められた流れの中にただ浮かんでいるしかないものなのか…それとも自ら選んだ流れに乗ることが出来るものなのか…」それはまだ良く分からない、としたうえで「後者の生き方を選ぶ時 人は生きる目的に向かって頑張れる」と言っていた…
 
《自ら選んだ流れに乗るという生き方を選ぶ時、人は生きる目的に向かって頑張れる》…あの時のネジは《生き方、生きる目的》と「生」を繰り返して言っていて…そして鳥は飛んでいたんですね、空高く。ネジは《本当の呪印からの解放とは何なのか》の答えを見出し始めていたのだと思います。
 
そして《本当の呪印からの解放》というお題の「集大成」といえるネジの答えは、64巻の「死に様」でした。それは父・ヒザシと同じ方法ですが、これからの忍は「生き様」でしょーよと思うので、私は相変わらずネジのあの時の答えにモヤモヤしたままなんです。
「ナルトを守る」ことがネジにとって「自ら選んだ流れ」だというのまでは分かるんですが、その選んだものは「死に様」であって「生き方」では無かった。
中忍試験の時に考えていた「生き方」「生きる目的」とは違う答えだったんです。あの時、中忍試験の時と違って鳥は「墜ちて」いた…
 
 もちろん、仲間を守る為に死んでいった過去の忍達の「死に様」までを否定することはできないけれど、忍世界を変えるのなら、これからの忍達には「生きて」仲間を守って欲しい…そう思ってしまうんです。ネジがこれから「復活」する術があるのかどうか今の時点では分からないので、あくまで「願望」に留まりますが…ネジには是非「生きて」一族の枠という籠から己を解き放ってほしいと願っています。
 
中忍試験の時、想った言葉のように…「自ら選んだ流れに乗るという《生き方》を選ぶ時、《生きる目的》に向かって頑張れる」…あの時、鳥が高く飛んだのは、ネジが《生きる》事を考えたからじゃないだろうか…?
 
父・ヒザシがネジに最後に言った(と思われる)言葉のうちネジはお前を宗家に生んでやりたかったなぁ》という言葉をずーっと気にして「宗家と分家」という「日向の運命」の問題にこだわり続けていたような気がするんですが、あの時、ヒザシはこうも言ってたんですよね。
 
「ネジ…お前は生きろ…」と。
 
ネジの死に様についてのモヤモヤに対して、あるいは「ネジ復活希望」に関しては今まで色々御意見を頂戴してまいりまして、あの時のネジの「死に様は尊重すべき」というご意見も、確かにその通りなのかも…とも思います。 ですが(私としては)ネジ再登場、そしてできるならネジには「生きて」日向を変えて欲しいと今も願ってしまうのです。「生きる意味」を忍達には改めて考えてほしい…
「本当の意味での呪印からの解放」とは何なのか…死ではなく『生きる』という答えを出してほしいと願っています。(あくまで個人の感想です、という事でご容赦)。
 
そして、それが「本命ボス(と仮に想定中)グルグル」の問う「便意とは」への答えを出すための「過程」になってくれることも願っています…
 
 
 
 
 
☆駄文読んでくださって感謝。
 
 
☆なので・・・今回、ガイは命がけで八門遁甲の陣まで開きましたが、ガイにも「生きて」欲しいと思っています。鬼鮫の最期をみて「忍は死に様」と言ったり、「戦場では仲間が死ぬ、覚悟しろ」と言ったり…ガイがやたらと「死」を発言していたのも気になっています。父さんの意志は受けついだとしても、父さんの時とは違ってガイは生きてくれるんじゃないかと漠然と考えてはおりますが(とはいえ、これまた具体的にどうやって「生きる」のかは全然予想できないのですが)。ダイも、ガイには「生きて」欲しいんじゃないかな・・
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(ナルト好きブログ!2014/03/21)