ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

NARUTO考察・音による演出「水滴とカブトの時間」

岸本先生の「演出」…水滴とカブトの「時間」

GWが終わっていつも通りの生活に戻っちゃいましたが、まだもう少し先ですね…次のジャンプは。 でも、そろそろ早いところでは次週の話も出回る頃だと思うので、直接674話とは関係ない話題を少々。
 
 22・23合併号の特別企画、岸本先生と映画スパイダーマンのプロデューサーの対談の中で、先生は(映画の)印象に残った部分として『両親がピーターの元から去っていくシーンで、窓ガラスにピーターの表情が写っていて、ワンカットでピーターと両親を同時に両方観せる演出があったのですが、そこにすごくシビレましたと仰っていた。 でも、岸本先生の演出だって、シビれるところは沢山ある。
 いいなぁ~この演出…と思う部分は数えきれないほどあるけれど、例えば…《窓ガラスにピーターの表情が写っていて》で連想したのは、《水面にカブトの表情が映っている場面》。61巻、カブトの回想およびイザナミ中で描かれるカブトと「水」の演出…あれも見事でした。
 
 カブトがマザーに自分の事を分かってもらえず『自分が誰だか分からなくなっちゃった』時、水面に映った自分の顔を見て「これは誰だ?」と分からなくなっていく(61巻583話)…あれがすべての「始まり」。 
 そして最後にようやく「本当の自分」を見出し始めた時、水面に見たのは「本当のカブト自身の顔」(587話)。
 掻き消されるように失っていく「己」と、しっかりと取り戻していく「己」…その過程の描写に「水」がうま~く使われている。あれが印象的でして…

 
イメージ 1
 

 
《ポチャン》…
 
他人の体の成分を己に取り込み、カブトが「違う誰かになっていく」過程が、漏斗を伝わって瓶に落ちる水滴で描かれていく… 怪しい液体が、一滴ずつ底に溜まっていき、カブトはどんどんと浸食されていく。混濁し澱んだ液体は、もはやカブトの顔を映すこともない。 不気味な静寂の中で響く《ポチャン》の音… 
 
《ポチャン》の音は、どちらかというと「鈍い感じの音」で、感じるのはあたりの静寂な空間…そして止まったような「時」。 投じられたモノが深く沈んでいくような音…「下へ」と向かっていくような音に感じます。 
少しずつ「他人」を加えていき「満たされていく」ことで、カブトは心も満たされると思っていたんだろうか。 一滴、また一滴と…カブトの心を満たしていくはずだった《ポチャン》の音は、大蛇丸と過ごした時間を刻む時の音でもあった…そしてカブトがますます自分から遠ざかっていく音でもあった(と思う)。
 
でも《ポチャン》が刻む「時」には、区切りや目安というものが無いんですね。ひたすら「進むだけ」…際限もなく、永遠に進み続けるだけ。キリなく容器を満たし続け、水かさは増えていっても、まだまだ「足りない」と思ってしまう。 
漠然とした見えてこない「先」…進めば進むほど不安になってくる「時」。だけど止まったらそこで「おしまい」…カブトは《ポチャン》の音が“止まる”のが怖かったんじゃないだろうか。
 
 だけど《ポチャン》の音(他人を取り込むこと)は深く沈み込んでいくだけで、心が満たされることなんてなかった… 
 
 それと対照的な《ピチャン》の音…
 
 イザナミによるループの中で、繰り返しカブトの肩に落ちる《ピチャン》という水滴の音…洞窟の鍾乳石から滴り落ちる清らかな水が、カブトの肩にあたって優しく弾ける音。

《ピチャン》の音は高く響き、沈み込むのではなく弾ける音…そして感じるのは「下」ではなく「上」…水滴が弾ける音が「響く」空間です(というのが自分のイメージなんですが、どうでしょう…ちょっと想像してくださいな、「ポチャン」と「ピチャン」の違い)。
 《ピチャン》と水滴が肩をたたく度に、カブトはイザナミループが一周した事に気づく… 《ピチャン》の音は、カブトが元の場所に一周して帰ってきた「戻ってきた」ことを告げる時を刻む音でもあります。

十数年、ずーっと《ポチャン》と時を進めてきたカブトだけど、本当は大切にしていた“もう1つの時を刻むもの”があった…「毎日9時に寝る」という孤児院の時計。カブトにとって「9時」は本来の自分に戻る時間、戻るべき場所ともいえる「時」。 その時を刻む時計は、グルグルと回る時計の絵で描かれ、時計の針は、必ず一日に一回「午後9時」に戻ってくる(583話142頁)。 
 
 何日何年経っても…どんな一日を過ごしても、必ず一日一回「帰ってくる」。カブトはちゃんとそういう「時」も持っていたんですよね。毎晩9時になったら、孤児院のベッドに心は必ず帰っていた事を、《ピチャン》の音で思い出しただろうか。
 《ピチャン》の音(院に帰っていくこと)は、カブトの肩に優しく手を置いてくれたマザーやウルシを思い出させる… カブトだって、「本当のボク」とは毎晩9時になったら院に帰っていくボクなんだと、分かっていたハズなんですよね…「弱い自分」を認めちゃうみたいで、受け入れられなかっただけで…
 
《ポチャン》の際限なく「ひたすら進むだけ」の時を刻む音と…
《ピチャン》の「帰るべき場所に戻ってきた」時を刻む音。

カブトが自分を見失う過程、そして少ーしずつ「ボク」を取り戻す過程で描かれた「水滴」。 あの演出があって、最後にようやくカブトは「本当のボク」が水面に映ってるのを見る… 

スパイダーマンは観てないけど、岸本先生のこの演出にも、十分シビれましたぞ…
 
 
 
 
 

☆駄文読んでくださって感謝。
 
 
 
 
 

☆水曜以降に感想のコメント欄に頂いたコメントは、次週月曜日に公開させていただいてます(ゲストブックは開けてます)。
 
 
 
 
 
(ナルト好きブログ!2014/05/07)