ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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ナルトとサスケ雑考 その1 「うちはでもなく九尾の人柱力でもなくなってよ」

ナルトとサスケ雑考 その1 「うちはでもなく九尾の人柱力でもなくなってよ」

 
「へへへ…もし行き着くとこまで行ってお互い死んだとしても…」
「うちはでもなく九尾の人柱力でもなくなってよ」 
「何も背負わなくなりゃ あの世で本当に分かり合えら!」
 
(486話「拳」、鉄の国国境でナルトがサスケに言った言葉)
 
あの言葉は… 結局、どういう意味だったんだろうか。
 
 以前の雑考では…「ナルトは(陽)九喇嘛を抜かれて九尾の人柱力ではなくなり、サスケは写輪眼ではなくなって“うちは”ではなくなるんじゃないか」なんて書いてたんですが…お粗末な考えでした(反省)。
 それどころか、ナルトは「一尾~九尾まで全ての尾獣のチャクラを得て」しまったし、サスケは「マダラ以上の輪廻眼を手に入れた」…。
 
 だけど、現実に「行き着くとこまで行った」彼らは、あの言葉通り本当に「九尾の人柱力でもなくなり、うちはでもなくなった」のだと思います…《本当の意味で》。 今の彼らはもう「人柱力」や「うちは」という名の重荷を背負ってはおらず…もう「解放」されたんじゃないだろうか。
 
「本当の意味での解放」…
 
少し前、我愛羅はこんなことを言ってましたよね。
 
「オレはもう父さまの作った人柱力ではなくなった」 (546話)、そして
「オレは人柱力でなくなった やっと…」「お前と対等で夜更かしできる!」と(660話)。
 
我愛羅は「一尾」を抜かれた事で、とりあえず「父さまの作った人柱力」ではなくなったけど、それだけでは《本当の意味で人柱力から解放された》とは言えなかったんですね。
 だけどその後「やっと…」守鶴と対等な立場(仲間)となって、心が繋がった時…ついに《本当の意味で人柱力ではなくなった》…人柱力から「解放」された。
 
 同じように、ナルトも… 
九喇嘛や尾獣達と対等な立場(仲間、友達かな?)になって、心が繋がって…それで《本当の意味で人柱力ではなくなった》んじゃないかと思います。 
 本当の意味での「人柱力からの解放」…それは実際に尾獣チャクラが体内に在るとか無いとかの問題ではなく…互いの在り方、想い合い方なんじゃないだろうか。
 
 でも…ナルトはまだこの戦争に出てきてから、1日ぐらいしか経ってないんですよね。 ほんの数時間前までは、九喇嘛とだって全然仲良くなかった。まさに激動激変の一日でしたよね(読者時間じゃ何年も経ってるんだけど)。
 
 ナルトは九尾のチャクラを(綱引きで)得て、それから閉じ込められていた島亀を抜け出し、この戦場に来て… 最初に「人柱力ペインと尾獣達」との戦闘に入って…  それから過去の人柱力達や尾獣達と出会い、会話し、そして人柱力達の想いを知り、尾獣達のチャクラを貰い託され…
 ナルトにとってこの一日は「尾獣と人間の共存について」自分で考え、そして辿り着いた答えは「尾獣と対等になること」…それでナルトは本当の意味で「人柱力ではなくなった(解放された)」んじゃないかと思います。
 
 
 一方でサスケも、まだこの戦争に出てきてから一日も経ってないですよね。まさに激動激変の一日…
 
 サスケはイタチの眼を得てから、閉じ込められていたアジトを抜け出して、イタチと会って「仙人カブトとの戦闘」に入って…
 そこで見たのは、イタチがうちは一族でもないカブトの為に“イザナミ”を使う姿… そして知ったのはイタチは“一族の枠”にこだわらずに里を愛し支えたという真実…
 
 さらにサスケは過去の火影たちと出会い、会話し、火影たちの想いを知り千手柱間のチャクラと仙人の力を貰い託され…
 サスケにとってこの一日は「うちは一族と里の共存について」考えた一日だったんじゃないだろうか。 里を「見えない闇から支えたダンゾウ」とは違い「常に光と一緒に存在する影」となって、支える決意をしたのではないだろうか(と思うんですけどね…)。 「一族の枠」を越えるという考えを得て、本当の意味でサスケは「うちは一族ではなくなった(一族の枠から解放された)」のではないか…と私は思っています。
 
 こうして、この戦争の一日だけをとっても、ナルトとサスケは「全然違う道」を「似たような辿り方で」歩き…それぞれの答えを持って六道仙人の前に辿り着いたのだと思います。
 
 結局…ナルトは人柱力でなくなるどころか「さらにたくさんの尾獣のチャクラ」を託されちゃったし、サスケは「さらなる瞳力」を託される事になったけど、それでも…今までのように「背負わされてきた」のとは違う。もう…「人柱力やうちはという重荷」からは解放されたんじゃないだろうか。 
 ナルトとサスケにとって、この一日は「己を解放するための一日」だったのではないかな… そして…二人とも、その答えに「自分自身で辿り着いた」事に意味がある(のだと思う)。 
 
 486話でナルトが言っていた「行き着くとこまで行って、何も背負わなくなりゃ…」
 
 やっと2人は「何も背負わなくなって」、本当の意味で“人柱力”でも“うちは”でもなくなって… あの世、六道仙人の前で「分かり合えた」のではないかと思います。
…まだ、ハッキリと言葉にして伝えあったわけじゃあないけれど。
 
 
 
 
 
(その2へ続けます)…