ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

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NARUTO-ナルト- 682 :見たことねーだろ 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ31号)

NARUTO 682:見たことねーだろ

 
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「くらえ!!」   
 
《おいろけ 逆ハーレムの術!!!》
 
「これが忍の歴史だコノヤロー!!」
  
 
いやぁ~…もう、お腹抱えて笑わせてもらいました!!
まさか…「おいろけの術」を真剣にかましてくるとはね(笑)
 
 
先週は話がややこしかったから、久々にスッキリしたというか、見事な「緩急」と言いますか…とにかく今週は「最高」でしたNARUTOを読んでてホントよかった―!!と思えるほど)。
「ギャグかコレ?」と思える話に限ってメッセージ性は強いというのが私の持論でして、「603話リハビリ以来だ…このワクワクは!」(603話=例のグルグル達の「う○こ話」の時)という感じ。 
 
さて…今週は「カグヤの能力」とか「バトルフィールドの変化」に関心を持たれた方も多いかと思いますが、私はこっち…《逆ハーレムの術》そして《逆ハーレムの術をかましたナルト》をメインに語らせていただきます(カグヤや黒の事も触れますけど)。 とにかく今週はもうこれに尽きる(と私は思ってます)。  
 
(記事の内容上分割しづらかったので、今回は1記事でいこうと思います。かなり長文を一気書きしていきますが、なにとぞご容赦)。
 
 
・《ナルトの「アレ」》
 
先週、封印のスキを作るには「もうアレしかねェ、あの術しか!」と真剣顔で言ってたナルト… 「アレ、あの術」が「おいろけの術」と分かった今、あのセリフを読み返すと「かなり」笑えます。 もうアレ「しか」ねェ、あの術「しか」!ってアレだったのね(笑) 満を持して披露した術が「おいろけ・逆ハーレム」だったとは…実に《ナルトらしい》です(よね?)。
 で…ならば「ナルトらしさ」って何だってばよ?と思う訳ですが、その「ナルトらしさ」ってのが『私がNARUTOが好きな理由』なんだって改めて分かった気がしました。
 
・《同じ穴のムジナ》
 
 それにしてもねぇ…まさかここで「おいろけ」を出してくるとは想像してませんでした。 
 
でも、この流れはけして唐突なモノではなかったんですね。考えてみれば先週681話の中にちゃんと「ヒント」があった… カグヤに「それにィ――!!」「親離れを喜ぶのが母ちゃんってもんだろうがァ!!」と言ったナルトの発言…アレは「予兆」だったかな。
 
あの発言について、先週681話感想「その3」で『こんな状況下でラスボスのごとき貫禄を見せるカグヤを前に…こんなことが言えるのはナルトぐらいだ』と書いたんですが、コレ…今週はそのままこう言い換えられます。『こんな状況下でラスボスのごとき貫録を見せるカグヤを前に…こんな術を出せるのはナルトぐらいだ』って。。。サクラも「この状況で何て術してんのよォー!」って反応してますもんね。
 でもナルトが「こんなことを言えたり出来ちゃう」のは、カグヤの事を「神」ではなく「人間」として、そして「一人の女性」として見てるから…ですよね。だから「おいろけの術が効くハズだ」なんて発想が出来てしまう(この際、カグヤが人間か宇宙人かという話は関係なしで)。
 
でもカグヤの圧倒的な力を見たら「普通」はこう考えるもんです。例えばカカシみたいに…
 
「次元が違い過ぎる… あれはまるで」
「神だ」…ってね。 
 
カカシは「戦闘能力の差」を計算し、次元が違う…つまり「常識的な事は通用しない」相手だと考える。そしてサクラちゃんは…
 
「あんな奴とどう闘うつもりなの? ナルト…」と問いかける。
 
力で勝てない相手には、よほど頭を使って作戦を立てない限り勝機は無い…とサクラは考える。これまたゴモットモであります。  だけどナルトが《アレしかない》と出したアイディアは「おいろけの術」…ナルトはカグヤのことを「別次元」とは思って無くて「同じ次元の相手」と思ってるんですね。
木ノ葉丸風に言うならば《しょせん同じ穴のムジナだコレ!》…だからおいろけが効くと思ってる。カグヤであろうと神だろうと「同次元」に引き下げる。
 
 ナルトは「おいろけの術は強い奴ほどよく効く傾向にあるんだってばよ!」と「分析」してるけど、「おいろけの術」は本能にダイレクトに効くから「戦闘能力の高さ」や「防御」も無効化する…強い奴ほど本能は無防備なのかな? あまり強くないイルカ先生でも(最強の)三代目や自来也でも同じようによく効きますもんね。 ナルトにかかったら、どんな強い忍であろうと「スケベな事に変わりはねェ!」ってなもんで、すべて「同列扱い」にされます(笑)
 
(まぁ…おいろけの術が万能という訳でもなく、中には「年増好きなビー」や「二次元恋愛専門?のカカシ」には効かなかったり「効果は個人によって差があります」だけど )
 
「人間皆スケベ」というナルト哲学の根底にあるのは「人間は皆、同じような事に悲しんだり喜んだり発情したりするものだ」という考えです。そして、その発想はナルトの幼少期に培われたモノ…じゃないかと思います。
 
 ナルトが「おいろけの術」を初公開したのは、第1巻第1話(対イルカ)でしたけど、まだあの頃は「分身の術」も「普通の変化の術」もマトモに使えなかったのに、なぜか「完璧プロポーションのボンキュッボンのナル子ちゃん」に変化出来てるんですよね。 よほど「密かに練習」していたらしい…(笑)
 
あの術は「ナルトの趣味」もあったんだろうけど、アレを使うと『なぜか大人達には等しく即効』で、ナルトのことをバカにしていたオトナでさえ簡単にKO出来るのが「快感」だったのかもしれません。ちょっとした「復讐」ですね。
でも、それだけじゃなく、ナルトに対して冷淡だった大人達が「ナルトと同じように」可愛い女の子(の裸)に鼻血ブーになるという現象…これがナルトにとっちゃ「嬉しかった」んじゃないでしょうか。 「敵」にしか見えないオトナ達が「自分と同じようなくだらない事」を真剣に考えて、「同じような反応」をする。「敵だってホントは同じような事を考えてる」事にナルトが気付くキッカケをくれたのが「エロ忍術」だったのではないかと思います。
 
ナルトにとっちゃ「エロ忍術」は自分と他者(外)を「つなぐ」第一歩…だったんじゃなかろうか?
 
そして「エロ忍術との出会い」が、ナルトの人生観、忍道に大きな影響を及ぼしている。「忍」である以前に「人間」であり、「人間」である以上は同じように友達を親(子)を想い、同じように涙を流し、同じようにエロ心を持つ…とナルトは自然に考える。 だから最後には「分かり合える」と思ってる。それがナルトの思考の根源にあり、そしてその考えはブレることが無い。そしてそういう「ナルトらしさ」…それが私がNARUTOが好きな理由でもあります。
 
さらに、ナルトにとって「任務上での最初の敵」が「再不斬と白」だった…というのも(カカシが言ってたように)影響が大きかったと思うんですよね。
どんなに強い敵であろうと「同じ人間」であり、同じように「大切な人を想い、悲しいときは涙を流す」事を知った…あの経験は、ナルトの「考え方」をさらにシッカリと根付かせたんだろうな…と思います。 
波の国からの帰り道、ナルトが言っていた《オレ、あいつら(再不斬と白)好きだった》のセリフ…それは「闘い」というものが「相手を倒す」のではなく「心をぶつけ合い、心を通い合わせる」ものだと知ったから得られた感情で、それが今のナルトを作った…(このセリフと場面、NARUTOの中で一番好きなんです)。 
 
そして今週、ナルトは激戦の合間に(影分身のナルトが)オビトに「陽の力を持つ右手」で生命を吹き込み、目を覚まさせた… 「うっ…」と反応したオビトを「……」と見るナルトの顔、ニコッと嬉しそうに微笑むその顔は「とっても優しい」。 そういうナルトだからこそ、カグヤのことでさえ「一人の母」「一人の女」と見ることが出来るんですね。
 
 もはや「神」の力を得て神樹と一体化したカグヤは、息子たちにさえ「十尾扱い」され、「母」として見てもらえず…「人間」として扱われず(「宇宙人」かもしれないけど)悲しかったと思うんですよ。 
でも一瞬だけですが、今回ナルトの「逆ハーレムの術」はカグヤに効いてましたよね。 術を見て、直前までの険しい「白眼の表情」から「白眼ではない穏やかな優しそうなカグヤ姫」に戻ってましたもん… 
 
ナルトがカグヤに示した「人間扱い」が、眠っていた「本当のカグヤ」を一瞬目覚めさせたのでしょうか。 「イケメン効果」があったというよりも、「普通に一人の人間(女性)として扱われた事に対するカグヤの驚き」と… それとまさかチャクラを「こんな使い方するとは」という(神樹の)驚きが、一瞬動きを止めたのではないか…なんて思います。 

それに「オレってば密かに螺旋丸以上にこの術を練習してきたんだってばよ…!」なんてナルトは言ってますけど、「おいろけの術」はナルトにとっちゃ「唯一と言っていいオリジナル技」ですもんね。 そして、ナルトにとって「螺旋丸」と「おいろけの術」は「次元が同じ」というのもね…その発想も「凄い」。周りがどう言おうと、バカげた事だと思われようとナルトは真面目に取り組んできたんですね、この術に。そういうとこが、自来也には「かわいくってしかたなかった」のかな。
 
 
・《で…ナルトの「逆ハーレムの術」ですが》
 
 …イケメンパラダイス…しかも全裸(ですよね、エロ忍術は基本全裸だから)。
 
ふむふむ、ナルトがイメージする「イケメン」ってのは、なるほどあんな感じなのか(笑) どっちかというとシーや夜叉丸風の甘いマスクの男性が多いかな…? 一応「各種」取り揃えてバリエーションに幅を持たせてるところなど、「対キラービー」の時には「全部同じナル子」にしてビーの好みをハズしちゃった苦い経験を活かしたのかな(笑)  
さりげなく「ハゴロモをかなり美化修正した感じのイケメン?(右上の男性)」も混ぜてるところなど、なかなかカグヤの心を揺さぶるのが上手いのう…
 
「ナルトにとってのイケメン像」… ナルトは、クシナに会った時に「母ちゃんのストレートな髪にも似たらオレってば美男子」なんてイメージしてたから、「サラサラのストレートヘア」はナルトの憧れらしい… だからかな、ツンツンヘアではなく「サラ髪のイケメン」が多い気がする。
 
 それに「サイ」にそっくりな男性もいるけど、サイは「ちょっとサスケ似だからカッコいい」とサクラやいのが言ってたし、ナルトの中では「サイ=イケメン」 のイメージがあるのかもしれない(それに、木ノ葉丸が「サイとサスケ」に変化した「おいろけの術」はサクラには効果絶大でしたもんね)。だけど…「サスケ似のイケメン」はいないんですね。それはサスケ本人がここに居てカグヤと戦っているから…という現実的な理由よりも、「サスケ=イケメン」をサスケやサクラの前で認めるわけにはいかない「ナルトのプライド」があるかもしれない…なんて思いました。余計な事だけど。

そういえば、水影メイさんが無限月読の夢の中でイメージしてた理想のタイプもこんな感じの「優しそうなタイプ」でしたよね。 数日前読んだニュースで、こういう記事があったのですが…《昆虫のオオツノコクヌストモドキの雌は、戦いに強い雄より、求愛の上手な雄を好むことが判明(岡山大学のチームによる発表)》…なんだかコレって人間にも言えるのかなぁ…なんて思っちゃいました。
特に「戦いに疲れた女性」にとって「戦い」をイメージさせる男より「優しい愛」を見せるオトコのほうが「安らげて」魅力的なのかもしれない…  
カグヤがもし「かぐや一族」と関係あるなら、かぐや一族は「戦いに憑りつかれた戦闘好きな一族」…本当は心安らげる場所が欲しかったんじゃないかなぁとも思います。 強マッチョな男共ではなく、ホスト風のイケメンを揃えたナルトのチョイスもカグヤには「良かった」かもしれない…
 
 
・《周囲の反応》
 
しかし、今回は「周囲の術への反応」が面白いんですよね、これが…「今までと違って」。
 
サクラがドハマりしたのは以前もそうでしたが(笑)、今回は「カカシとサスケ」の反応が実によいのです。 おいろけなんて…サスケだったら「くだらん」とか一蹴しそうなのに、サスケは最初に一度「お前!本気か!?」と言っただけ…「だけ」なんですよ。
 ナルトが「やってみるまで分かんねーだろ」と答えると、あとは「……」と何度も黙って考え「いいだろう…オレも左目の準備をしておく」と「本気顔」、さらに『いくぞ!』の「超真剣モード」…!!
 
そりゃね、最初にナルトから「作戦」を聞かされた時は「バカかコイツ」って思った(かもしれない)けど、でもちゃんと受け入れてるんですよね、サスケは。 
ナルトの「意外性」が予想外の効果を生むのをサスケは(何度も)目にして知っているから、「懸けてみよう」と思えたんじゃないだろうか(バカらしく思えても)。
 
サクラでさえ見た瞬間は《あほ~~~!!! 私は別としてそんな術があんな神みたいのに効くかぁ―!!!》って思ったのに、サスケは「すぐ信じて、ナルトに任せた」…サスケは誰よりもナルトを認め、ナルトを信じてるのかもしれない。
 
(で…いざ作戦実行となれば、極めて真面目に取り組むサスケの「真面目度」が面白い)。
 
でも「おいろけ逆ハーレム」を目にした時のサスケの表情… こんな作戦に付き合わされるとは「ヤレヤレ」という溜め息と、その一方で「オレには出来ないナルトらしい発想で面白い」という一種の驚嘆、その両方が混じったような表情に見えます。
 
(結局、一瞬気を取られたカグヤの隙を狙い、サスケの「空間ごとお取り寄せ」的な左目の能力で封印を「仕掛ける」ことは出来たものの、結局作戦は「失敗」…)
「フン…あんな術で倒せるとはハナから思ってない」なんてサスケは言ってますがね、でも「一瞬であろうと確実にあの術はカグヤに効いた」事をサスケはちゃんと認めてると思いますぞ…。
 
そしてもう一人、今まで何度も(ナルトと木ノ葉丸の)おいろけの術を見てきたカカシですが… 
 
カカシは今までは「呆れて」見てたんですよね、あの術を。たぶん「余興」か「お遊び」程度にしか見てなかったと思うんです。
それが今回は…
 
《意外性ナンバーワン! まさかナルトのこのエロ忍術が世界を救うことになるのか!!! 見てますか!!自来也先生!!!》
 
エロ忍術が世界を救うのを「見てますか自来也先生」って…(笑) 
 
なんか、最近「自来也」の名がよく出てくるような気がするんですが、ホントに「見て」たりしてね(再登場、かなり期待してるんですがね)。
黒ゼツは「忍の物語」をプロデュースしてきたつもりなんでしょうが、それに対抗するような幾つもの人間達のシナリオ…(そして仙人、ガマ丸の夢など)。 『自来也豪傑物語』は「長門の物語(ド根性忍伝)」に繋がれ「うずまきナルト物語」に繋がれた… そろそろ自来也が書き始めた物語の第三部、ナルト物語のクライマックスを自来也に見せてあげたいなぁ…なんて思います。…「最高傑作」としてのエンディングを。
 
そしてカカシが思い出している「自来也との会話」なんですが…風景的には16巻のカカシ回想、中忍試験途中の場面に似てますが、でもあの時はまだ自来也はナルトを預かる前だったので、あの時じゃあないですね…かなり最近でしょうか。「自来也とカカシ」ってのは結構密談を重ねてて(笑)、自来也は「本当に重要な情報」は綱手より先にカカシに伝える傾向がありましたから…ホントはいろんな話をしてたんでしょうね、この二人。 
そして、思わず「自来也に見せたい」と思ったカカシ…  何でも「セオリー通り」と考える傾向にある(ややアタマの固い)カカシが《ナルトのエロ忍術が世界を救う!!》なんて本気で反応してしまうって事…それだけで「忍達の考え方もかなり柔軟に変わってきてる」ってのが分かる気がする…。
 
カカシはこの戦争で殆どナルトに付きっきりで、ナルトの「凄い力」を散々見てきたのに「最大級の賛辞」を言うタイミングが「ここでなのか??」と…最初読んだ時は思ったんです、結局「失敗」に終わってまだ「世界を救えたわけじゃない」ってのに…岸本先生、ここでカカシにこのセリフを言わせますか?みたいな… 
でもやっぱり「ここで」言うべきだったのだと…あとになって思いました。たしかに「今回は」失敗に終わりましたが、『ナルトのエロ忍術(のような意外性)が世界を救う』のは確かだろう…と私も思います。 
 
つまり《あんな敵に対してさえ、人間同士として向き合おうとする》…しょせん同じ穴のムジナであり、心を動かせると信じるナルトの「エロ忍術」。 それは敵を倒し傷付けるものではなく、人と人の心を「同じ穴のムジナ」として繋げるチャクラの新しい使い方でもあります。そしてそれは「六道仙人が望んだ答え」の1つの形とも言える… その「まったく新しいチャクラの使い方」の発想が世界を救う…という意味で。 
  
今まで忍達はチャクラを「戦いの道具」にしかしてこなかったし、だからマダラは「チャクラは返すべき」と語ったのでしょうが、だけどチャクラを全て返納して「カグヤ(神樹)と1つにすれば」…神樹の実が再び生まれ、そうすれば「世界は終わる」とハゴロモは言っていましたよね。 おそらくオビトが言ってた「恐ろしい事になる」ってのもソレなんだろうと思います(だからオビトはマダラを止めようとしてたんじゃないかと思う)。  
 カグヤ…というより「神樹(十尾)」の目的は、チャクラを一つにして「オレと一つになり」、チャクラの実を復活させて十尾が「完全体になる事」…「本来の自分に戻ること」じゃないかと想像してます。 
 
なんだかな…十尾からニョキニョキと産み落とされた(っぽい)黒ゼツが、尾完全復活』の為にカグヤという“器”を利用してる気もしないではないんですよね… カグヤが使う額の眼の能力も本来は神樹の能力だろうし、カグヤが使う「神のような能力(空間移動能力)」も本来は「黒(神)」の能力だろうと私は考えてます(結局あの「フィールド転換」は空間口寄せなのか、想像を現実にする陰陽遁なのか不明ではありますが)。時空間=神の居る空間じゃないかという推測は、今のところ私の中では健在です(笑)
 
 ま、カグヤ(というか黒ゼツ)の能力はとりあえず置いといて、ようするに「神」が人間からチャクラを回収し世界をリセットしようとする理由には「人間への不信」…チャクラを戦いに使ってきた事への怒りと不信があるのだと私は思います。
 
チャクラを使って戦い傷付け合い、血を流し殺し合う事でしか「生」を実感できない忍への怒りと不信… 長い間「チャクラ」を借りながら「神」に対してそんな答えしか出せなかった忍への怒りと不信。ハゴロモは「チャクラのより良い使い方=つなげること」を説き「忍宗」を広め、忍達にその答えの実践を求めたのかもしれませんが、誰も「真剣に答える者はいなかった」…
 
「あっちの戦場」で、高い所で腕組みしながら便意とは何ぞ」という質問を続けていた《グルグル》…
 
アレは「生の実感(生きること)とは何ぞ」という意味だったのではないか…というのが私の解釈なんですが、あの時グルグルは「ボクの質問に真面目に答える奴は誰もいないってこと?」とさらに問い続け…何も答えない忍達に「人を殺した時のスッキリ感に似てるって思うんだけどね」という皮肉を強烈に言い放った(アレは「皮肉」だったと私は解釈してます)。 
でも、グルグルはなにも「あの戦場で戦っている間」に忍達が質問に答えなかった事を言っていたのではなく、「神樹の実からチャクラを得てから今までの長~い間、真面目にこの問いに答える人間はいなかった」という意味で言ったのではないか…と思うんです。
 
チャクラを「殺し合いや傷付け合い」ではない「使い方」…(便意の様に)生きている実感を得られる「使い方」を、忍達は「答えとして示す」事が出来なかった…誰も真剣に考えてこなかったという事じゃないかと思います。
 
だけど、ナルトは答えを(はじめて)具体的に示したんですよね… 
 
《チャクラの祖だか何だか知らねーが 見たことねーだろこんな術!!》
 
「これが忍の歴史だコノヤロー!!」
 
こんな術…おいろけの術などという、今まで忍達が思いつかなかったチャクラの使い方…《チャクラの祖もビックリ》のチャクラの斬新な使い方。「見たことねーだろ」な術… それは「対等に向き合い、相手の心をハッピーにしてしまう、本能がくすぐられ、生を実感できるチャクラの使い方」です。
 
忍の祖が「見たことねー」って事は、「今まで誰も真面目にこういう答えを出さなかった」という事ですね。 「エロ忍術」こそ、グルグルの問いに示せる「真剣な答え」ではないでしょうか? (そして、ハゴロモが望んだ答えでもある)。
こういう答えを「チャクラの祖=神」に示せた時、世界は救われるのではないか…? 
 
長い長い争いの歴史を経て、遠回りをしてやっと自分達で見つけ辿り着いた「答え」… オビトの寄り道もそうでしたが、何ごとも「まっすぐに寄り道せずに」答えに辿り着けばいいってモノではなく…「遅刻や寄り道にこそ意味がある」。
忍達が迷いに迷ってようやくたどり着いた、今まで歩いてきた道…それが本当の忍の物語であり「これが忍の歴史だコノヤロー!!」なんだと思います。
忍の歴史(轍=わだち)とは「エロ忍術」に到達する道…いや、チャクラの全く新しい使い方、今まで「見たことねーだろ」な「神もビックリな答え」に辿り着く道のりだったのかもしれません。
 
グルグル(そして六道仙人)の質問にやっと答えられそうな「第一歩」を示す画期的な術…それがエロ忍術、「おいろけ 逆ハーレムの術」のような術なんじゃないだろうか。 そのワクワクなチャクラの使い方、相手との向き合い方…今までの忍世界だったら「くだらん」で終わってた「ナルトらしい」そういう発想。それが忍達を変えていき、世界を救うことになるのは間違いないのではないか…??と思います。 
 
「見たことねーだろ」と“神とやら” を驚かすことで…

 

自来也先生、見てますか??)


 
 
 
 
☆サクラも、ナルトの意外性を認め…そしてなんだかんだ言ってナルトを「頼ってる」…ナルトに「どっちの術なの」なんて聞いたりして(ナルトは分かってなかったけど)。それにサクラ…「サスケくんは?」と心配してますね。
 
☆オビト復活という事は(まだ目覚めてないが)これから「神威」の本当の力発揮という事(神威=時空間への出入りの力が必要という事)でしょうか。そろそろオビトには色々と真実を語ってもらいたいもんですがね…。
 
☆砂漠地帯と氷の世界と…どこでもドア的に飛ばされたサスケとナルト(達)。一人になったサスケは「誰」と闘うことになるんだろう。
 
☆一気書きしちゃったので、後日「追加記事」で補っていく(かも)しれません。
 
☆長駄文、読んでくださった方…ありがとうございます。記事やブログへのご意見反応をちょっとでも戴けたらありがたいです(なかなか共感していただけないブログだとは承知してますが;)それがブログを続ける原動力になってますので…
 
 
 
 
(ナルト好きブログ! 2014/06/30)