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春野サクラ考察・・サクラの「内なるサクラ」と「しゃーんなろー」について

サクラの「内なるサクラ」と「しゃーんなろー」についての雑考

689話ラスト、《しゃーんなろー!!!》とカグヤに拳をぶつけたサクラ…
 
サクラから《しゃーんなろー!!》のセリフが飛び出す時ってのは、だいたい調子がいい時じゃないかと思ってます。 調子と言っても「精神的に元気」…という意味で。《しゃーんなろー》は、彼女の調子を測るバロメーターにもなるんじゃないのかな。
 
で…そもそも《しゃーんなろー》とは何なのか?
 
その「語源」は今一つハッキリしていませんが、ようするに《よっしゃー!》《なろー!》を掛け合せた造語だろうと想像してます。
 
彼女がこの言葉を使うのは、嬉しい時(「よっしゃー!」な時)や怒ったり悔しい時(「なろー!」な時)、そして気合を入れる時ですもんね。
まずは《しゃー》で気合を入れて溜めて…それで《なろー》で一気に爆発させる。
彼女の怪力発揮(抜群のチャクラコントロール)にも、「しゃー×なろー」のリズムは役立ってるのかもしれませんな…。
「よっしゃー!」も「なろー!」も、どちらも『負けん気の強さ』を表すサクラらしい言葉。そして『負けん気の強さ』…それが彼女をここまで成長させたんだと思います。
 
サクラの初登場(第3話)を見ると、最初の1枚目の画は「可愛らしい、おとなしそうな女の子の画」なんですよね。 だけど次の画…サクラ最初の一声は「ナルトどけ!私はアンタの向こう側に座りたいのよ!」(しゃーんなろー!!)という、おとなしそう(に見えた)外見とは違った迫力のあるセリフでした。で…いきなり《しゃーんなろー》も飛び出してるんですね。 
とはいっても、その画を見ると(しゃーんなろー)は実際に声に出した感じではなくて、表情やら気迫から「溢れ出ていた」イメージとして描かれている感じ。おそらくあれは、「内なるサクラ」の声じゃないのかな。
 
《しゃーんなろー》と並んでサクラの個性である《内なるサクラ》…第一部の頃にはしばしば登場していましたが、第二部に入ってから姿を見かけなくなりました…
 
…そもそも《内なるサクラ》とは何なのか?
 
サクラに限らず、誰にだって《内なる自分》ってのはあると思いますが、サクラの場合はそれが極端だったんですよね。もはや別人格にさえ見えた…。 
中忍試験でも「心転身の術」さえ振り解き、いのに「精神が2つあるなんて…」と驚かれたほどだった、その「内なるサクラ」…
カカシはそれを「サクラの内にあるイノという宿敵への闘争心」と分析してましたが、ようするに《内なるサクラ》とは…負けん気の強いサクラ、「しゃーんなろー」と叫ぶサクラといったところでしょうか。 
優等生タイプで模範的な言動をしていたサクラの中に居た、もう一人のサクラ《内なるサクラ》は、時々「表」に出てきては一緒に「しゃーんなろー」と叫んでみたり、内側に留まって心の中で「しゃーんなろー」と叫んでいた…。
 
アカデミー時代のサクラは「優等生」で模範的な生徒であろうとし、サスケの前では「おとなしくかわいい女の子」であろうとして、彼らの前では「負けん気の強いサクラ」は表に出さないように徹底していた…そして「内なるサクラ」に心の中で「しゃーんなろー」を叫ばせていたんですよね。 だけど、ライバルのイノや遠慮のないナルトの前では、負けん気が強い「内なるサクラ」は表に出していましたっけ。
 
時には「内なるサクラ」と共闘し(表に出し)、時には内側に居てもらって共存しつつ…そういう使い分けはしていたものの、サクラは「優等生で大人しく、女の子らしい自分」も「負けん気が強くて、あまり女の子らしい感じではない内なる自分」も、その両方の存在をちゃんと認めてたんですね。 で…「内なるサクラ」の存在も認めて受け入れている時のサクラは、「しゃーんなろー」が自然と出る時でもあり、精神状態も落ち着いているように見えるんです。
 
 でも、サクラも最初から「女の子らしくない(可愛げのない)自分」を認めていたわけではないと思うんですよね。 
 
小さい頃…サクラは自分のイヤな部分「広いオデコ」を可愛くないと思って、髪の毛で隠してましたよね。 自信が無くって、いつもイノの陰に隠れてばかりいて…あの頃のサクラは泣いてばかりでした。 だけど、いののアドバイスを受けてカッコ悪いハズの「オデコ」の存在を認めてあげるようになったら…自信を持てるようになって、サクラは生き生きとしてきた… 自分の「好きじゃない部分」をちゃんと自分の一部だと認めてやれるようになったら…彼女は「強く」なった。
 
同じように…サクラが「負けん気の強い自分」を「無かったこと」にしたり、その存在を消そうとして「内なるサクラ」を認めなかったりしたら…サクラは堂々としていられなかったと思うし、表でも「心の中でも」《しゃーんなろー》なんて叫ぶ事もなかった…叫ばせることは無かったんじゃなのかな。
 
最近のサクラに「内なるサクラ」が登場しないのは、内なる《負けん気の強いサクラ》が表(前面)に出されることが多くなったせいもあるでしょうか。サクラは少しずつ「内なるサクラ」を心の中に引っ込めておく必要性も感じなくなっていった…という事じゃないのかな。なんか…サクラの「内なるサクラ」って、ナルトと九喇嘛の関係にもちょっと似ているような気がするけれど。
 
特にサソリ戦やら天地橋任務(サスケに再会前)までのサクラは、「しゃーんなろー」もよく出ていたし(内なるサクラが外に出て共闘状態)、彼女の心も落ち着いていたように見えたんですよね…あの頃の彼女は実に生き生きしていた。
チヨにも「男気を持ち合わせとる女」と評価され、サクラも「師匠譲りの負けん気が嫌という程仕込んであります」と言っていましたっけ…(269話)。
サクラは《しゃーんなろー》な内なるサクラに自信を持っていたんですね、このあたりまでは。 女の子らしさとは違う、もう一人の《負けん気が強い男気を持ち合わせた自分》に自信があったんだと思います。
 
でも、その直後…34巻大蛇丸のアジトで『すっかり変わってしまったサスケ』を見て、そして「結局、何も出来なかった自分」に落ち込んで、サクラはそれまで自信を持っていた《負けん気の強い、しゃーんなろーなサクラ》を完全に否定し始めてしまったように見受けました。
そして、 まるで、昔の「いのの陰に隠れて泣いていた頃のサクラ」のようになってしまって…「ナルトの後ろに隠れて泣いて、自信を失ったサクラ」になってしまっていた…。319話「突き動かすもの」では、ナルトはサスケ目指してまっしぐらに修業をする陰で…サクラは第7班の写真を見ながら、ただ涙を流していただけでした。
 
自信を失ったサクラが、「内なるサクラ」…自身の「負けん気の強さ」を認めてやれるようになったキッカケは、この戦争でしょうか。 ナルトの姿に励まされ、そして何よりも「サスケ」に近づいていく実感からでしょうか。特にこの前、自分の「負けん気の強さ」でサスケを助ける事が出来て、やっと彼女も《内なるサクラ》を再び 心から認めてやる事が出来たんじゃないだろうか…と思います。
 
彼女が自信を失うのも、そして自信を取り戻すのも、どんな自分を認めてやれるようになるのも…全部「サスケ」が絡んでいるような気はしますが、それはそれで彼女の「道」なのかもしれないですね。
自己紹介の時も「全部サスケ」だったサクラだし… カカシは、サクラの「愛」の形は以前とは違うと言っていたけれど、どう形を変えていくにしても、その愛が「内なるサクラ」のしゃーんなろーな負けん気を 前向きないい方向へと動かしているのだろうと思います。
 
彼女が己の忍道にしていると思われる言葉、「一生愛の人生よ!」…
 
(50話の扉絵で、長い髪をとかすサクラ(おそらくサスケを想いながら…)の持つ鏡に書かれていたり、319話で第七班の写真を見ながら涙を流すサクラの後ろに掲げられている)… 
 
《内なる熱いサクラ》が表に出て闘っている今、689話の《しゃーんなろー》はさらに力強い…ようやくサクラが内なる自分を認めてやれた証の、心底から発せられた《しゃーんなろー》なんだろうな…と思います。 カグヤに向けた、同じ女性である「師匠」譲りの負けん気が嫌という程仕込んである、最高の《しゃーんなろー》…だったんじゃないだろうか。
 
 
 
☆駄文、読んでくださって感謝。
 
 
 
(ナルト好きブログ! 2014/08/28)