ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

NARUTO-ナルト- 692:革命 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ42号) その1

NARUTO 692:革命 (1)

 
 
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だがまずは…… 
この無限月読の中 今の五影共を処刑する
 
って…「処刑」とは、ずいぶんと物騒な事を言ってるじゃねーの、サスケェ…!
 
しかも目つきも悪くなっちゃってるし…って、恐く見えるのは例の「恐怖による支配」式影効果のせいだと思いますが、しかし…彼の“決意”は、それ相応の覚悟があるようですね。
 
だいたい「めでたしめでたし」ムードの後には暗雲が…というのがお決まりのパターンですが、でも東の空には「希望の光」が見えてるし… なのに結局二人で戦っちゃうのかぁ…ナルトじゃないけど《フ~…》と溜め息つきたくもなりましたが、すんなりうまくはいかないもんですね。 
 
これでナルトとサスケが「運命」に逆らって「二人が戦う」ではなく「二人で闘う」運命にに書き換えてくれると思ってたんですが、その前に互いの《腑》を引きずり出し、今度こそ「2人で一緒に」答えを出しておかなくちゃいけない。そう思えば、もう遠慮なくとことん、闘ってくれ…とも思います。うん、思い残すことなく、ぶつけ合って…!
 
最終的には2人で(そして忍全員で)一緒に、“神とやら”に答えを見せなくちゃいけないんだろうとは思いますから…納得いくまでぶつけ合ってほしい。 マダラと柱間は完全には腑を見せあう事は無かったと思うんです(特にマダラは)。でも、サスケはちゃんと「見せて」欲しい‥ やっぱりちゃんと「伝えないと」分からない事って多すぎる。 
 
で…サスケが言い辛そうにしていた「夢」とは「革命」を起こす事だったんですね。
 
11日発売のゲームのタイトルが『REVOLUTION(革命)』ですから…今回のタイトル『革命』とは…ここでも上手く合わせてきましたね;
大蛇丸は、サスケの起こす「風」に期待していましたが、サスケの起こす風とは「革命」という風… 風車を回すなんてもんじゃなく、忍界全てを「創り直す」事…“闇の無い”忍世界を創る事だったらしい。
 
サスケの「考え」については、後述するとしますが…今回はサスケのインパクトが強すぎるもんで、雑考の順番も多少前後するかと思いますが、どうぞご了解ください(次回、NARUTOは休載なので時間もある事だし…)。
 
 
・まずは去りゆく扉間と柱間の言葉から… 
 
「兄者…これでマダラとの決着も着いた 後はサルの言う様に…ただ後の者共に託すとしよう」
 
「うむ…」
 
(お前達ならオレ達とは違う決着もあるだろう……イヤ…そうなってくれ うずまきナルト …うちはサスケ
 
扉間の言う様に「兄者とマダラの決着は着いた」のかもしれないけど、あれだけ暴れたマダラが、こうして「使命から解放されたように」安堵の表情を浮かべているのも、なんだか不思議に思えるんです。 マダラの本当の「腑」って、何だったのだろう…? 
マダラは前に《サスケがオビトより先に生まれていれば、サスケを…》と考えていましたが、アレが気になって仕方ないんですよね…マダラは、ホントはオビトをどうしたかったのか、そしてサスケに何を見て、何の役目を期待したのだろうか‥って。
 
穢土転生達やオビトの魂がフワァ~と昇っていく中で、まだマダラだけ魂が昇っていく画がないのが、ちょっち気になります。ちょっとだけ…
 
 
・そして「尾獣と人間」
 
(これでやっと自由の身になり、「やっとオレらも故郷へ帰れんだな…なんか夢見てるみてーだぜ!」と喜ぶ尾獣達)…
 
尾獣達にはちゃんと帰る場所「故郷」があったんですね。 孫悟空は「水簾洞」、穆王は森(崑崙山の森なのかな)… 磯撫は一度「死んだあと」湖に復活したみいたいだったけど、あの湖が本来の故郷だろうか。 彼らは故郷で平和に暮らしていたところを人間に捕えられ、封印されたり利用されたりして…だけど、ずっと帰れる時を夢見てたとは…人間も罪深い…。
 
それにしても九喇嘛のツンデレっぷり、そしてオロオロ戸惑うところが実に愛らしいです。 九喇嘛とナルトは今ではすっかり「仲良し」ですが、でも彼らが和解したのは「昨日」なんですよね…ほんの数時間前なんです。 十数年前からビーと仲良しだった牛鬼のように素直に「感情」を見せられないのも、当然かもしれないですね。
 
それに…ハゴロモの(九喇嘛へ向けた)「もう…苦ではなかろう?」という言葉。そしてこの前691話での「あの九喇嘛」(が恥ずかしがって照れている)という表現にしても、尾獣達の中でも九喇嘛の「人間への憎しみ、人柱力システムへの怒り、苦しみ」は特別深かったことを再認識させられるんです。  
数百年、あるいは千年ぐらい前から、尾獣は人間に不信と憎しみを抱いてきた…その年月の長さ、重さを考えれば『尾獣と人間』が互いに信頼関係を築くには、まだ十分とは言えないんじゃないか…とも思うんです。 特に一般の忍達は、まだ「尾獣」への恐れを完全に拭えたわけじゃないと思うし…戦争が終わったら再び尾獣を「危険物」のように見てしまうかもしれない。 
 
ナルトとサスケの関係が「まだまだこれから」なのと同じように…尾獣と人間の関係も「まだまだこれから」なのかも… とりあえず「敵を倒せばいい」戦争の解決より、よっぽど「これから」のほうが難しい。
 
 
ハゴロモの「やはり」
  
そしてハゴロモの発言、「ナルトとサスケ… 我が母カグヤと戦い 己の出した答えに変化はあったか?」、さらにサスケの答えを聞いた後の「やはりこうなったな」… 
 
ハゴロモはサスケから既に「考え」を聞いていたというのもあるけれど、それ以前から《母封印合戦→無限月読・解》に至る流れの中で生じる問題を 予想していたんじゃないだろうか。 ナルトとサスケが「戦争を終わらせこの世界を救う」という共通の目的を持っている間は「協力」できるかもしれない。だけど、その先目的が違ってきた場合に二人はどうするのか…その時こそ「選択の時」だとハゴロモは十分承知していたと思うんです。 
 
かつて「十尾(母)封印合戦」を共に成し遂げた(ハズの)ハゴロモとハムラ兄弟も、その後の「十尾の扱い」について、対立したりしなかったのだろうか…? 
ハゴロモが考えた『人柱力システム』という十尾の扱いに、ハムラは同意しなかった可能性だって、ありますよね。 あくまで「可能性」という話ですが…
 
ハゴロモ「とにかく色々と条件が整った」とボソッと言ってたのが今も気になって仕方ないのですが、いわば「母封印合戦」は前哨戦であり、これからが本番なのだとしたら…  ハゴロモは色々条件は整えて「前哨戦」までは見届け、本戦前には消えて「あとは口出しせずに信じて託す」事を前々から考えていたんじゃないだろうか。 これも…彼の「シナリオ」だったんじゃないだろうか…なんて思ってしまう。
 
「本戦」でナルトとサスケがどういう答えを出すにせよ、ハゴロモは前哨戦「母封印合戦」において「二人で力を合わせる事」の大切さを、最後に伝えておきたかったのではないだろうか…
 
カグヤ(マダラ)戦が始まる前、カカシが言っていた《オレ達が第七班だったことは まぎれもない事実だ》という言葉…そしてその言葉を確認したハズの「封印合戦」。 
カカシの言葉は、かつて尾獣達に《離れていてもお前達はいつも一緒だ いずれ一つになる時が来よう》と言っていたハゴロモの言葉、想いと重なります。
 
ハゴロモと同じ想いをナルト達に伝え、そしてナルト達の「寄合所、帰る場所」になってやったカカシ…ハゴロモがカカシの事を評価し感謝したのも頷けます。 
ハゴロモは…あの前哨戦(母封印合戦)を通して、ナルトとサスケに《第七班だった事はまぎれもない事実》である事をもう一度、思い出してほしかったんじゃないだろうか…これから「何が起ころうと」、その想いさえあれば きっと今までとは違う答えを出してくれると…そう信じて。
 
 
・そして無限月読の「解術方法」ですが。
 
「尾獣全てのチャクラを持つナルトと 輪廻眼を持つサスケが 互いに子の印を結びさえすれば術は完全に解ける」 らしい。
 
ハゴロモ、「かつて母がやった無限月読を解術するために調べつくした…間違いない」と言ってますが、そこ「前に解術した時はこうやったから、それと同じ方法でやれば間違いない」とは言わないんですね… 「調べた」とか「間違いない」とか… 以前ハゴロモが「解」した時は「ちょっと違う」という事なんだろうか。
 
かつて「母(十尾)封印」をしたのは、ハゴロモとハムラの2人だったようですが、でもその後の「無限月読解術」は、ハゴロモ1人でやったんじゃないかと思うんです…。 元々「輪廻眼」を持つのはハゴロモだし、尾獣を持つのも「十尾の人柱力になった」ハゴロモ…  「輪廻眼を持ち、全尾獣(十尾)のチャクラを持つ」ハゴロモが、一人で子の印を結び、一人で解術したという事なんじゃないだろうか。 
でも今回は、サスケとナルトに「眼と獣」それぞれの力が分かれているから、ハゴロモが(おそらく)一人で解術した時と違い「互いに子の印を結べばいいハズ」と考えたのかもしれません。  
「母封印」⇒「無限月読・解」に至るまでの間に、ハゴロモハムラ兄弟に「何か」あったんだろうか… 他人の「家庭の事情」を詮索するのは悪趣味だけど、でも、やっぱり気になっちゃう…
 
 
で、 「子」の印なんですが… これなんです(↓)  
 
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親指を掴むようにして拳を重ねた形。
 
 
ハゴロモは、《ナルトとサスケが互いに結ぶ》と言ってますが、それってどういう意味なんだろう…? イメージとしては、二人が『同時に別々に、子の印を結ぶ』感じなんですが、『互いに』ってのは、もしかして『二人で一緒に一つの印を結ぶ』って事なんじゃないだろうか。 
つまり…ナルトの右手とサスケの左手を合わせて、上の画のように《二人で拳を重ねる》という事なんじゃないだろうか…(あくまで想像)。
 
私はずっと《なぜナルトは右手で螺旋丸、サスケは左手で千鳥なんだろうか》というお題について考えてきたのですが、それは最終的に二人が《同じ方向を見て手を合わせ共闘する為(手を繋ぐようなイメージ)》じゃないかと思っていたんです。螺旋丸と千鳥を合わせて…
だけど《ナルトの右手とサスケの左手》というのは、《二人で「印」を結ぶため》でもあるのかも…(もしかしたら、という話ですが)。
 
「無限月読」は「全ての尾獣と輪廻眼を持つ者」が発動した術なのだから、「獣」と「眼」が別々に印を結んだだけでは「解」できないんじゃないかとも思うんですよね。 「眼と獣」の二人が《拳を合わせて》協力して、一緒に一つの印を結ぶことで「解」出来るのではないか… 
本当の意味で眼と獣が協力しないと《忍が夢の世界から目覚める》事は、出来ないんじゃないだろうか…。
 
 
いずれにせよ、「印」そのものは簡単でも、ステップとしてはシンプルでも、そこに辿り着く道のりはかなり険しそう… 
 
「なんだ…意外と簡単じゃねーか」と九喇嘛は言ってるし、ハゴロモ「結びさえすれば」と言ってるけど、でも「意外に簡単」とか「さえすれば」と思っている事にかぎって、一番難しかったりするもんなんですよね…
 
 
 
(その2へ続けます)…