志村ダンゾウについての雑考
「ワシは誰よりも甘い忍だったかもしれん…」「そのためダンゾウに…里の闇を背負わせてしまった…」とヒルゼンが懺悔するようにつぶやいた時、サスケは目をキッと見開いて「……」と黙った後、「ダンゾウも復讐としてオレが殺った… 奴は最後… 卑怯な手を使ってでも里を守ると公言してたがな…」と言ってましたっけ。あの時のサスケの目が印象的でして…
サスケが言っていた「卑怯な手」とは、具体的に「香燐を人質にするようなやり方」だと思うのですが(かつてダンゾウは「サスケを人質にした」やり方でイタチに選択を迫ったし)、サスケは「どんな卑怯な手を使うことも厭わない」事は許せなかったんじゃないかと思うんです。
その一方で、歴代火影達の話を聞いて火影達やダンゾウの里を守る為の「自己犠牲的な闇の背負い方」もサスケは理解したと思うし… それで「歴代火影の想い(里)も守る」、だが「忍世界の闇は葬る」と…2つの答えを出したのでしょうか。 忍の闇…ダンゾウの代名詞。
うん、普通に渋い… 名前と好物を聞く限り、どこにでもいそうなお爺ちゃんなんですけどね。 それが万華鏡写輪眼まで使いこなし、サスケと互角に戦っちゃうのだから…同年齢のホムラやコハルがすっかりご隠居然としてるのに較べたら、大したパワフル爺さんですが、それも柱間細胞効果なのか… あ、年取っても元気で強いのは砂隠れのチヨもそうでしたね。
自分に不満があり、ストイックに生きようとする人物は「甘いものを避ける」傾向があるようで…例えばサスケ、カカシも甘いものは「苦手」を公言してます。
ヒルゼンもカカシもサスケも、己の「甘さ」を嫌っているような気がしますが…それが「甘いものを避ける」傾向に繋がってるんじゃないか…なんて思ってしまいます。 ただ単純に、ホントに甘いの嫌いってだけかもしれないけど;
逆に「甘いもの好き」にはナルト、イタチがいますが、彼らはどちらかというと発想がポジティブなイメージがあるんですよね(あとアンコも)。
そして「甘いもの嫌い」なダンゾウも、やはり自分の「甘さ」を自覚していたんじゃないかと思うんです。「自己犠牲」を語りながらも、どこか徹しきれない…そんな己の甘さを自覚し、嫌悪していたんじゃないかと…。
ダンゾウってのは、生涯《ヒルゼンと己を比較しての劣等感》から脱する事が出来なかった人だと思うんです。 死の間際に呟いた言葉も《どこまで行っても お前には追いつけなかったよ…》ですもんね、何だか切なくなってしまいます。
でも、ダンゾウとヒルゼンの道は…途中までは一緒だったと思うんですよね。
扉間によって「次期火影」がヒルゼンに指名される迄…彼らは共に火影を目指し、同じ道を歩んで競ってきたと思うんです。 だけどあの日からヒルゼンは「光の道」を、ダンゾウは「闇の道」を進むようになってしまった。
あの日…金角部隊に囲まれた扉間隊は《誰が囮として出るか》という話になり…ダンゾウは《自分はどうしたいか》よりも《猿飛、お前は覚悟はあるのか?》とヒルゼンがどう出るのかを気にしているんです。 いかにダンゾウが「ヒルゼンを意識しまくってきたか」がよく伝わってくるエピソードでして… 全てに於いてダンゾウは《ヒルゼン》を基準にしている感じ。
しかしダンゾウが「ホッとした」のも束の間で、ヒルゼンの「これから皆を頼むぞダンゾウ お前なら…」の一言が、ダンゾウのプライドを引き裂いてしまったんですねぇ…。
迷うことなく自己犠牲を申し出たヒルゼンの崇高な魂。しかも「次期火影」の座さえ笑顔でダンゾウに託してしまうヒルゼンの余裕。 それらにダンゾウは「己の決定的な敗北」を知ったのだと思います。己の「火影になりたくて仕方ない」俗まみれで欲深な心やら、「ライバルの脱落を密かに願っている」姑息さとの“差”を思い知ったわけで…
そんな「己の情けなさ」に苛立っていたダンゾウに、ヒルゼンが言った「お前なら…」の言葉は、ただのイヤミ、強烈な皮肉にしか聞こえなかったんじゃないかと思うんです。 一方のヒルゼンは「本気で」ダンゾウを認めていたと思うんですけどね…。
そして、それに追い打ちをかけるかのような、扉間による「ヒルゼン次期火影指名」…もうズタズタ。
だけど「二代目が」次期火影にヒルゼンを選んだ事以上に、「自分自身が」ヒルゼンを認めざるを得なくなった事のほうが、ダンゾウは悔しくってたまらなかったんじゃないだろうか…「負け」を認めたくはなかったでしょうから。
でも、ヒルゼンが囮に名乗り出た瞬間《心のどこかでホッとしてしまった》…あの時点で、ダンゾウは生涯消える事のない「ヒルゼンには絶対に勝てない」という負けの烙印を自分に押してしまったんじゃないかと思います。
それでもダンゾウは《ヒルゼンとの比較で自分の存在を確かめる》事は続けたんですね…(ダンゾウがあの一件で自暴自棄になったりせず、モヤモヤを抱えながらもヒルゼンを支える決意をしたのは、しっかりとした「里への愛情」もあったからだろう…という事をつけ加えておかないと)
“根”を組織し里の闇の一切を引き受けたのは、ヒルゼンには出来ない事をこなす事で己の存在意義を確かめたかったのかとも思うし、ヒルゼンと「同じ道」を行っても絶対に追いつけないから、違うルートを行き、あわよくば追い越すことを願ったんだろうか。そ して「自己犠牲は忍の本分」というモットーが空回りしてしまった「あの日の屈辱」を胸に、ダンゾウならではの「自己犠牲」を貫く道を模索し始めたのでしょうか。
そしてダンゾウは形振り構わず《どんな卑怯な手を使ってでも》のやり方で闇を極めていきますが…ダンゾウが次々と闇の仕事をこなしていった様は、ヒルゼンの「甘さ」に対する当てこすりのようにも見える… それは、ダンゾウのプライドをズタズタにしたヒルゼンの「ダンゾウ、お前なら…」の皮肉への報復なのか(アレは皮肉では無かったハズですが)、それともヒルゼン(の言葉)への報復というよりも…「あの日の情けない自分への報復」とでも言うべきでしょうか。
“あの日”からずっと続いたヒルゼンへの「一人でいい恰好をするな!」の想いと、いくら行ってもヒルゼンに追いつけない事への焦り… その苛立ちが歳を重ねるごとに強くなり、ダンゾウを《さらなる極端な闇》へと駆り立てていったのではないか…とも思えます。 それでもヒルゼン存命中は《大樹を地下で支える“根”》に徹していたのは、ヒルゼンあっての自分である事をダンゾウは自覚していたからじゃないのかな…。
《猿飛、お前ならどうする?》と…まずはヒルゼンの出方を見てから己の行動を決める… ダンゾウにとってヒルゼンは常に「行動の基準」でもあり、「己を知る基準」でもあったんだろうと思います。 ダンゾウ最期の言葉も《こんなオレをお前はどう思う?》でしたもんね…
でも、生前は「本当はオレのことどう思ってる?」なんて…聞けなかったんですね。 もし聞いたところで、ヒルゼンの事だから、また笑顔で「お前なら…」と認めるような言葉を言ってくれるかもしれない。 だけど何度それを言われても、ダンゾウには「皮肉」にしか聞こえなかったんじゃないかと思う。
自分が火影になって忍の世を変える…その為なら「どんな手を使っても生き残る」とダンゾウは言ってましたが、ペイン襲撃の時には里を助けず「ワシが火影になる為に必要な犠牲」とまで言っていた…それこそ「自己犠牲」を語ったダンゾウとしては「本末転倒」なんですよね。
ヒルゼンが居なくなったことにより、ダンゾウにとって己を「認める」手段はもはや「火影の座」だけになってしまったんじゃないだろうか…「ヒルゼンと並んだ」と思える為には「火影の座」が必要だったんじゃないかと思ってしまいます。
あの日、扉間が言った「ダンゾウよ、貴様はサルといつも何かあるごとに張り合ってきたな… 私的な争いを持ち込むな まずは己を見つめ冷静さを欠く事無く己を知る事だ 今のままでは仲間を危機に陥れる」の忠告は、実に的確だった…予言のようだったと思います。
ダンゾウも本来目指した「自己犠牲」…だけど、どうしても「あの日のトラウマ」によって「自己犠牲の言葉が空回りしている」と思い、いつまでも自分を認められない…だから火影になる事で「ヒルゼンに追いついた」証拠が欲しかったんじゃないか…と思います。
ダンゾウがヒルゼンの為に抱えた闇。 だけど捨てきれなかった「私的な争い」、捨て切れなかった「表で光を浴びたい願望」、そして捨て切れなかった「ヒルゼンに認めてもらいたい願望…己を認めたい願望」。ダンゾウの中に在る「甘さ」そして「弱さ」…
般若衆の残党に対する戦い方(49巻)など見ていると、容赦ないダンゾウの「冷酷無慈悲」さを感じてしまう一方で…サイの「絵心」を褒めるなど、本当は「心あるもの」を求めていたのではないか…とも思います。そしてサイに「ワシの前では作り笑顔を止める様に」とも言っていましたが、意外と鋭く他人の心を見透かすサイの「作り笑顔」に、自分の心の奥深くの「弱さ」を見抜かれそうな気がして怖かったんじゃないかな…ダンゾウは。 実は「弱腰」であった自分を見抜かれるのが怖くて…
でも最終的には、ダンゾウは「忍の世、里を守る為に」トビやサスケを己に封じこんで死のうとしたわけで、最後の最後に「里を守る為の自己犠牲」の選択をしたことで、ようやく「火影にはなれなかったものの」ヒルゼンに近づけたと自分を(ちょっと)認めてやれたんじゃないかと思います。
《お前にとってオレは…》で最期の言葉は途切れていますが、ダンゾウは最後の瞬間までヒルゼンに認めて欲しかったんですね。 そして、あの日に思い知った「己の弱腰」を許し、ヒルゼンに認めてもらえるようになる日を夢見て…ひたすらダンゾウはそれをずっと追いかけていたんじゃないだろうか。
「根は土に隠れているべきだったな…」とトビは言っていたけれど、ダンゾウは「ヒルゼンを求めて」地上に出てきてしまった…
ダンゾウの認めて欲しい願望、自分を認めたい願望が、「自己犠牲」に徹しきれない甘さを生んでしまったような気もするのだけど…その中途半端な「甘さ」も、サスケにとっては「断ち切る」対象に思えているのでしょうか。
しかし今回のサスケの「宣言」は、まるでダンゾウがやってきた事のようにも思えてしまい、かなり疑問にも思うのですが… 「ダンゾウのようなやり方」をあえて示すことで、問題提起しながら風を起こすつもりなのか… 或いはダンゾウと途中までは同じでも「その先」は違う事を示したいのだろうか?
《ダンゾウ》の生き様死に様に、サスケは何を想っているのだろう…
「忍の闇」ダンゾウを知った事、その「忍の闇」と闘った事も、サスケに「革命」を決意させた大きな要因になっているとは思います。
長駄文読んでくださった方、感謝…
(ナルト好きブログ! 2014/09/21)