ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

NARUTO-ナルト- 693:ここでまた 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ44号) その1

NARUTO 693:ここでまた その1

 
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「やっぱ ここかよ 懐かしいな…サスケ」
「昔ここでやり合ったな……そういやよ」
 
「…前と同じだ ここでまたお前が負ける…」
 
 
いやぁ~…ついに『ここ』に、戻ってきちゃいましたか。
「運命に選ばれた二人」が向かったのは、かつて本気で闘った場所「終末の谷」。
 
 再びここで戦う事に「懐かしさ」さえ感じているナルトと…閉ざしたような表情のサスケ。定められた運命を二人は変える事はできなかったのか、それともこれから変えてくれるのか。  
でも、今週読んで「感じた」のは、切なさややりきれなさではなくって、なぜか「愛情」だったんです。第七班各々から伝わってきたものは「愛」。終末の谷に向かったナルトとサスケが携えていったのは「憎しみ」ではなく、それぞれの「愛」なんじゃないのかな…。
 
 誠実で素直なナルトの愛、深いがゆえに複雑なサスケの愛、カカシが語る愛すればこその苦しみ、六道仙人が語る憎しみと愛…そしてサクラのひたむきな愛。
第七班それぞれの色々なカタチの“愛”が、堰を切ったように溢れ出てくるのが伝わってきます。 彼らが戦いの末に見つけたもの、そして闘いの前に語られるものが「愛」だったとは…それはちょっと「意外」でもあり、そして「やっぱり」でもありました。 人と人との“繋がり”は、愛でできているのだと…第七班を見ていて、つくづく感じます。
 
ナルトとサスケの「闘い」については後述するとしまして…
 
 
・サクラの愛
 
今週はとにかく…「サクラ」。サクラのサスケへの想いに深く共感し、心うたれました。 だって、この「叫び」ですから…
 
「大好きなのに…!!」
 
「サスケくんをこんなに想ってるのに…!!」
 
心から絞り出すようにして伝えた想いは切なくもあるけれど「嘘のない、自分に素直な言葉」は眩しすぎるほどに眩しい。 こんなに真っ直ぐに想いを伝えられるサクラが正直、私には羨ましくって、眩しくてたまらない。 前にナルトに「嘘告白」した時の、あの誠の無い言葉とは全然違う…「心」のある言葉ってのは、ちゃんと相手に“伝わる”と思うんです。きっとサスケの心にも、きゅーんと伝わるものはあったはず…
 
ジャンプ58頁…計4コマの「サクラの表情」と、サクラの目が追う「サスケの背中」、サクラを見つめる「ナルトとカカシ」が交互にアップされていくんですが・・なんだかそれって《今までのサクラの轍(わだち)》を見ているかのよう…サクラの今までは「サスケくんへの想いの変遷」でもあったし、ナルトやカカシもそういうサクラの成長を見守ってきた…
まだ「ただ遠くから見ているだけ」だった頃、「泣いて見ているだけ」だった頃、「現実から目を逸らしてしまった」頃… だけど、最後にサクラは《スッ》と歯を食いしばり、前を見る…サスケから目を逸らさなかった。 
サクラは、サスケを想い続ける事で「人間として女性として」ずいぶんと成長したんじゃないだろうか。 彼女のモットー(と思われる)《一生愛の人生よ》…それを貫く「サスケへの想いの変化」は、サクラの成長の軌跡でもあるんじゃないのかな。
 
 前に、サクラを見てカカシが《あの時とサスケに対する想いは違うだろう 同じ好きでもその想いは別のものだ 命を狙われた相手を未だに想う…》と心の中で呟いてましたが、今のサクラのサスケへの愛は『恋愛ごっこ』の域を超え、『神的な愛』に至っているんじゃないだろうか…? 自分に刃を向けた相手を想い、その相手を全力で助けようとするなんて…それは理屈で説明できる類のもんでもない。 それこそ「敵を愛し敵の為に祈る」とか「右頬を叩かれたら左頬も差し出す」的な深い愛情です。
「愛」とは道理「外」に在るから、それこそ“神の御業”とも言えるような事が出来ちゃうのかもしれない…いや「神」なんて言うよりも、よほど「母親的な愛情」と言った方がいいのかもしれない…どこまでいっても子供を信じ、子供を助けようとする“親のような”全てを受け入れてしまう愛情とでも言いましょうか。
 
  少し前、ナルトがどんどん自分が弱っても仲間を守り続けた時、オビトにそれをツッコまれて…ナルトはそれを説明できず、「屁理屈!」って言い返してましたけど(628話で)…あれもナルトの「愛」の形なんですね。 ナルトの「自分が弱っても仲間を自然と守ってしまう」行動も、サクラの「自分に刃を向けたサスケを想い続ける」事も、愛だから説明できない。というか「説明」なんて要らないし、理で説明できない…無理。
 
…なんだかな…「愛」について真顔で語るのは小っ恥ずかしいような気もするし、私自身は「愛」を語れるほどの器ではありませんが、それでもナルト達を見ていると、誰でも「生きてきた分だけの愛」は知ってるハズだと思うんです。そして愛情からは色々な「繋がり」が生まれ、「喜びや悲しみ」「好きや嫌い」といった様々な感情も生まれてくる。 愛ほど《生きていること》を実感させてくれるものは無い…と思ってしまいます。 
 
 
・サスケの愛
 
(今週のサスケ、何だか表情が「マダラ」そっくり)
 
サスケは…「目的達成」の為に愛情を封印しているようにも見えるけど、そういう訳では無く…サスケにとって「あえて冷たく振る舞う」事も、愛情表現なのかもしれない… なんて言うと「変」かもしれませんが、私には正直そう感じられるんです。
 
「尾獣を処分」なんて言い出せば、当然ナルトがそれを許さない…それにサクラの心も傷つける事になる。それはサスケも重々承知しているだろうけど、「誰かがやらねばならない」革命を引き受け…あえて冷たく振る舞う事で、誰からも同情されないような形で事を運び…《自分は自分の意志で進んでそれをやるのだ》とアピールする。それがサスケ流の周囲への気遣い、優しさなのではないかとも思うんです。  
サスケは「自分を認めてもらう」為に動いているわけではないし、逆に周囲から「冷酷な奴」と思っといて貰う方がサスケとしても行動しやすいし、想いを「断ち切り易くなる」んじゃないでしょうか。 これ…うちはの人達に多少なりとも「ありがちな傾向」だと思うのですがね…
 
イタチ、マダラ、オビト、サスケ…「同じうちは一族だから」と十把一絡げに語るのも問題アリですが、あえて絡げちゃいますと… 
この前のマダラの、オビトに対しての「汚い事は全部オレが仕組んでやったんだ」みたいな告白(675話)は、まさにその典型ですが…なんで彼らはこうも自分を貶めるような「冷酷仮面」を被る必要があるんだろうか。 
中でもサスケは最も『本当の感情』を他人には見せない… 他のうちはの人達は、時折隠しきれずに「本音」やら「笑顔」を見せちゃう事がありましたが、サスケはせいぜい無表情な「……」が挿まれるぐらいで、表情はほとんどずっと硬いまま。
 
それでも、この前691話で「嬉しそうなサクラを見つめるサスケ」という画がありましたけど、こういった「サスケの感情」を測ることが出来る画も(数少ないけど)ちゃんとキッシーは押し挿んでくれてるんですね。 こういう「ちょこっとした画」やら「……」は大切にしたいと思うんです。
 
で…感情の一切を「無表情」で隠し、冷酷に徹しようとしているサスケですが…ナルトやカカシなど「男性」の前では比較的自然に「冷たさ」を装う事が出来るけど、「女性」の前では自然に演じ切れない傾向があるんじゃないかと思ってまして… だから、不自然なまでに女性(香燐やサクラ)には「やたらと冷酷に振る舞ってしまう」傾向があるんじゃないか…と推測しています。 
ホントはサクラや香燐など「女の子の想いや言葉」にサスケは弱く、彼女らの言葉に《心をかき乱されそうになる》んじゃないだろうか…? 本当は断ち切り難く、それだけに強硬に断ち切ろうとするんじゃなかろうか。
 
これもマダラやオビトにも共通する傾向だと私は考えているんですが…
彼らは男共の前では「厳しい態度」を自然に通せるけれど、女性の前ではそうできない… リンの前では「子供みたいになっちゃう」オビトももちろんそうですが、マダラも…実はそういう人なんじゃないかと疑ってます。
綱手に「そこの医療忍者の女」とか「か弱い女」なんて言って、それこそ男尊女卑の塊みたいな態度取ってましたが、そういう人に限って「実は女性に弱く」そして「女性に優しい」のではないかと私は思っています。 弱いからこそ、強がってみる…マダラもサスケも「女がしゃべってる間はちゃんと黙って聞いてる」タイプですから…(これ577話雑考で出した話)。
フガクだって、外ではムスっとした「厳しい一族のリーダー」だったけど、ミコトの前だけでは「子煩悩父さん」のホントの姿を晒していたらしいし(224話)…  逆に、外では「母ちゃんに頭が上がりません」みたいな姿を見せてるシカクやミナトみたいなタイプのほうが、意外とグイグイ女性を引っ張っていくタイプなのかなぁ…とも思ったりで。
サスケも意外と「女の子には弱い」のではないか…本来は女性に「母親」を見て「甘えたい」願望があるタイプで、それを「必死で隠そうとしてる」…それが女の子への過剰に冷たい言動になってしまってるのではないか…と邪推いたします(あくまで個人の感想って事で)。
  
 
・サスケの「うざい」と「ありがとう」
 
前回の「ナルトとサスケの終末の谷の闘い」の時は、ナルトはサスケの気持ちが全然分からなくって藻掻いてましたよね。でも今回は《待ってたぜ》的な受け入れ態勢でサスケを迎えてる… ナルトの「覚悟」は前回よりずっと重いハズなのに、前回よりずっと「余裕」を感じられる。 それは「サスケは本来愛情深いヤツ」だという《確信》がもう出来ているからでしょうか。
 
サスケも本当は「仲間を守ろうとして勝手に体が動いちゃうタイプ」って話を、この前ナルトがしてましたよね(680話で)。あの時、サスケはナルトに《鋭いところをツッコまれて》背を向けたままでしたが…
サスケの「仲間を守ろうとして勝手に体が動いちゃう」のはサスケの「愛」、ナルトの「自分の身を削りながらも仲間を守り続ける」のはナルトの「愛」、そしてサクラの「自分を傷つける相手を想う」のもサクラの「愛」…
サスケも深い「愛」を持っている事を、680話でナルトは「確認」しています。
 
サスケの「憎しみ」は「愛情」の発現でもある…極端に言えば「憎しみ=愛情の証」とでも言いましょうか…
 
「愛情と憎しみ」を「千手とうちは」に喩えるなら、「千手とうちはは元々敵同士(相反するもの)」とも言えるし、または「千手とうちはは元々一つ(同一の起源)」とも言える…愛情と憎しみは相反するようで同一でもある。
だから、サスケ発言の「真意」がどうあれ《サスケ=愛情深い奴》という確信がある以上、ナルトは動じないのではないか…と思うんです(もっとも、それだけに「確信の根本」が揺らぐような事が生じた場合、ナルトはどうするんだろう…という心配はあるのですがね…)。 他の人には「憎しみ」に見えるサスケの言動も、ナルトにだけは「愛情」と受け取れるのではないだろうか。ナルトにだけ見えるサスケの「真実」はあるはず…
 
それと同じように、サスケとサクラの間にだけ「通じる」ものもあります。それが、サスケがサクラに使う「うざい」という言葉…
 
「うざい」ってのは、本来は「鬱陶しい、メンドくさい、迷惑」という意味ですが、サスケがサクラに言う「うざい」に関しては「ありがとう」という感謝の意味がある(と思う)…
 
サスケとサクラにとって《ウザい》は二人の出会いの言葉… 
 
第1巻の第七班最初の日…サクラとサスケがはじめて2人きりになった時、サスケが「お前ウザいよ」とサクラに怒ったんですよね。怒った…というかサクラにとっては「怒ってもらった」と言った方がいいのかな。 
で…21巻里を抜ける時(4年前)、サスケはそれを「覚えて無い」と言いながらも、最後に「やっぱり…お前うざいよ」と《ちゃんと覚えてる》事を伝えたんですよね。 それまでずっとサクラに背を向けていたのに、この「特別な言葉」を言う時だけは、ちゃんとサクラのほうを振り返って…。
 
里を抜けたあの時も、サスケは結構サクラに冷淡な言葉を連ねてたんですが(オレに構うな、余計な御世話等々…)、なのに冷淡になりきれなかったのか…サクラの「真っ直ぐな告白の言葉」に心が揺れたのか…最後に「やっぱりお前うざいよ」と言って「出会いを覚えている」事を伝えてしまった…しかもその言葉のあとに「サクラ…ありがとう…」と加えて去っていった… 
 
だから…サスケの「うざい」には、サクラへの「ありがとう」の想いがいっぱい詰まってると思うんです。サクラとの出会いへの感謝、サクラが「うざいほど」サスケに関わってくれる、サスケを想ってくれることへの感謝…
 
 あの「うざいよ」と「ありがとう」は、サスケが唯一本音を見せた一言。あの直後、終末の谷でナルトと闘った時にはサスケは感情の一切を抑え込み、本当の「表情」も見せることが無かった事を考えると、ホントの想いを見せたのは「サクラにだけ」だった…。相当な覚悟をして心にガッシリとした仮面をつけたハズのサスケに、思わず《本音》を言わせてしまった程…サクラのひたむきな愛の言葉はサスケの心をうった…という事ではないだろうか…?
 
今回もサクラは必死に《行かないで》と訴えながら、“あの時”のサスケの「ありがとう」を思い出してるんですね。そして「少しでも…少しでも…私の事が心の隅っこにあるなら…」と言っている。 冷たい言葉の数々の中で、ただ一つだけ本音の《ありがとう》…サクラはこの言葉を心の拠りどころにしてきたんですねぇ。そして今も、あの《ありがとう》を信じてる。
 
「波の国で」サスケがナルトを命がけで守った事はナルトだけが知ってる「サスケの真実」。そして、里抜けの時、サクラにありがとうを伝えたのは…サクラだけが知ってる「サスケの真実」…
 
 
(そして今回も、ピタッと足を止め後ろを振り返り…)
 
 
「お前は 本当にうざいな」
 
 
(さらにドッとサクラの胸を突いたように見せる「幻術」にかけ、サクラを眠らせる)
 
一瞬、サスケが本当にサクラを突いたのかと思いましたが…今回は「幻術」だったんですね。 あのタイミングでサクラを止めたのは、それ以上言って欲しくなかった理由もサスケにはあると思いますが、この点については、その2で後述しますね。
で…「うざいな」と言ってるサスケの画…とても「冷たく」も見えるけど「涙が出そうなほど揺れる心を必死に抑え込んでいる表情」にも見えるんです。

 
で…今回「言った事、やった事」も、里抜けのあの時と同じ… でもさすがに今回は「ありがとう」までは言ってない… 
そりゃそうですよね、あの時と違って今回は側にナルトとカカシもいるし、それに前回と『覚悟の重さ』が違う… 以前のように《思わずサクラにだけ本音を伝えてしまった》甘さは、今回は無い。それだけサスケの決意、覚悟は重いのだと思いますが、それでもサスケは「サクラには冷酷になりきれない」んだと思うんです。だって、こんなに冷たく振る舞いながらも「あの言葉」だけは、ちゃんと伝えたのですから… 伝えずにはいられなかったのかな… やっぱり、サスケは本来「女の子には優しい」のだと、私は思います。表現の仕方はアレだけど…
 
《お前は》《本当にうざいな》…サクラへの“最後の言葉”にこれを選んだのは、サスケは今も「二人の出会いを大切にしている」からだと思うし… そしてこの言葉には《サクラ…ありがとう》の「続き」がある事も、当然意識してサスケは選んだのではないだろうか。
 
この前、サクラとオビトがサスケを異空間から助け出してくれた時、ナルトが「ちゃんとお礼しろ」とサスケに注意してましたが、結局、サスケは面と向かってサクラに礼は言ってない…。 あの時の礼も兼ねて、サスケは「今まで」の事と、そして「今でも自分を想ってくれること」への心からの《ありがとう》の気持ちを、この「うざいな」の言葉で“そっと”伝えておきたかったのではないか…と思うんです。 
 他の人が聞いたら、「本当にうざい」なんて…ずいぶんと「冷たい言葉」に聞こえますが…そこは「サクラにだけ」サスケは伝えたかったんじゃないのかな。
 
サスケとサクラ、2人にしか通じない暗号のような「特別な言葉」で…
そして《本当に》のひとことを加えて、そこに「特別な想い」を添えて…
 
《お前は 本当にうざいな》…
 
 
 
 
 (その2へ続けます… ナルトの愛、カカシの愛、そして…この「第二の終末の谷の闘い」について)