ナルト好きブログ!(NARUTO考察・雑考)

NARUTO-ナルト-の考察(伏線、言葉、人物考察などなど!)続行中!

NARUTO-ナルト- 693:ここでまた 今週のジャンプ・ナルト感想 (WJ44号) その 2

NARUTO 693:ここでまた その2

 
(その1の続きです…)
 
さて…今週は、カカシが「愛」について真剣に語った事、そして「道理」にこだわらない発言をした事は、私にとって《相当な衝撃》でありました。あのカカシが… でも、それは私にとっては、とても嬉しかった…。
感想その2では「カカシの雑考中心」に書いていくつもりですが、その前に感想その1で「後述する」と書いた部分、サスケが「うざい」と言ったタイミングについてですが……
 
 サスケは、サクラが「いつか、昔みたいに…」の言葉に“反応”して足を止め、「うざい」発言をして、そのついでに幻術をかけてサクラの言葉を「止めて」しまいましたが… それはもちろん、サクラの言葉が「今のサスケにとって一番聞きたくない、耳を貸したくない言葉」だったからだろう…と思います。《いつか昔みたいに…》という言葉は、今のサスケが一番断ち切らねばならない「今までのサスケの想いそのもの」ですもんね。
 「革命」と宣うからには、「過去」をバッサリ粛清しなければならないわけで…その過去には「サスケ自身の過去」も当然含まれます。 「革命」の言葉が示すものが、今まで掲げていた「ただの復讐」なんかよりずっと残酷で、重たいものである事は、当然サスケは覚悟しているでしょうし… 今のサスケにとって「感情」やら「感傷」は、完全に遮断しなければならない危険なモノなんじゃないだろうか。
 
だけど、カカシがサクラの想いを代弁した時も「…それが…………」「失敗した過去の…縛りなのかもな…」と答えて家族を思い浮かべていたのは、ホントはサスケ自身が一番「過去」を断ち切れずにいるからだと思うんですよね。前の終末の谷の時は「オレの夢は過去にしかない」と言っていたし、「繋がりがあるから苦しい」とも言ってましたっけ。
 
 サクラを幻術で強制的に「黙らせた」のは、「これ以上聞きたくない」という身勝手な理由もあるでしょうが、それだけ「サクラの言葉」は…今もサスケの心の隅っこにある「想い」を引っ張り出す力があるってこと…サスケを「迷わせてしまう」という事じゃないだろうか。 
 しかし、いきなり「無言で」サクラを幻術で眠らせる手もあったのに、あえて「うざいな」と言ったのは…やはりサクラとの「つながり」を最後の最後まで「大切にしていた」証拠でもあると私は感じています。「あの言葉」を区切りに「断つ」…ケジメをつけたかったんじゃないか…と私は思うんです。
 
とはいえ…サスケの「本当の想い」がどこにあるにせよ…サクラの涙は悲しすぎます。
 
サクラの涙は、「世界の為」とか「革命の為」とか、そういうスケールの大きさから較べれば、小さなものかもしれない… だけど、その想いはとても「深い」…そして大切なもの。
世界を一新するためには「中途半端」は禁物だろうし、思いきりが必要なのも分かる。 だけど、その為に少女の「心」を傷つけ、自分の「心」を偽り、「心」を棄てるのはいかがなものか…それこそ本末転倒になっちゃうんじゃないだろうか。
 
カカシが、ずーっとサクラを見つめてるんですよね…心配そうに、そしていたわるように…。そして遂に、サスケに「師として」愛について説教し始める…
 
(以下、カカシとサスケの会話)…
 
「サクラは… サクラはお前を… 助けたかったんだ ずっと…」
 
「オレにはこいつを好く道理も好かれる道理もない」
 
「理由があるのは人を嫌いになる時だけでいい! 
それにサクラは今 お前を自分のものにしたいんじゃない! 
ただお前を助けたいんだ!」
 
「お前に殺されかけた事もあるこの子が… 今でもお前の事を想い涙を流すのは…」
 
「お前を愛して苦しんでいるからだ!」
 
 
…いや、あのカカシが… 正直、驚きました…
 
   
・カカシの「愛」
 
確かにこの前も、「サクラの想い」についてカカシはあれこれ考えてましたよね。だけど、あくまでそれは「心の中」での事… 今回みたいに「声に出して」愛を語たのは、初めてじゃないだろうか?
 
 でも、この戦争が始まってから…カカシは結構「ガラじゃないこと」をやってます。
 
 例えば…いつもなら沸点が高いのに「低い温度で沸騰」してガラにも無く熱くなっちゃったり(55巻)、青春の本家・ガイに対して「オレが言うのも何だけど、オレ達の青春はまだ終わっちゃいない」なんて言ってみたり(60巻)…そして今回はついに「恋愛」について教え子に語る。
戦闘で熱くなったり、青春や恋愛を語るなんて…およそ《従来のカカシのイメージ》からほど遠い。そんな「ガラじゃないこと」をカカシはやってるんです。
 
 私は以前かなりのカカシファンだったので、自分なりに「カカシ」という忍を追っかけてきた“つもり”だったんだけど、でも《戦いの中で青春や恋愛を語るカカシ》は正直、イメージできませんでした。 いや、私が勝手にそういうイメージをカカシに持っていただけかもしれませんが、でも一般の木ノ葉の人達にとっても《青春や恋愛を語るカカシ》は「イメージ外」なんじゃないだろうか…?
これこそ「意外性」の展開…  
 
だけど考えてみたら、これが《本来のカカシの姿》なのかもしれない…とも案外とすんなり思えてきました。
 
 ストイックで理論派で恋愛とは無縁に見えたカカシですが、何と言っても愛読書が《イチャイチャシリーズ》ですもんね。 今までは、あの「18禁」を持ち歩く姿は「ギャップ」と思ってましたが、あれは「そのままの姿」…「恋愛論好き」カカシの真の姿なのかもしれませんね。 
 だけど、あんな「18禁」を昼間から堂々と持ち歩いてるのは、あの作品を「立派な恋愛論の本」と考えてるせいかもしれない…なんといっても真面目で「理論好き」なのもカカシの真の姿ですから。
 
 カカシは子供の時から生意気だったから、あれこれと哲学者っぽく考え「語る」のは好きだったのだろうし… 「恋愛」についても、お得意の「理」で解き明かそうとしてたんじゃないだろうか。ただ…現実の仕事と恋愛の世界はあまりにもかけ離れており、今まで「言葉にして」語ることはなかったのかもしれない。
 
それに、カカシが恋愛についても「口先だけ(理論だけ)」で「行動」に移せなかったのは…やっぱり「オビトとリン」の事があったからでしょうか。 
 
目の前で、オビトが「リンを守る為に」己の命さえ迷うことなく差し出した事…その壮絶な「愛」を目の当たりにし…  さらにリンがカカシに告白した時には、カカシはオビトの事で頭がいっぱいで「リンの想いを受け入れられず」冷たく突き放してしまったのに…そしてリンは愛するカカシの手にかかって目の前で最期を迎えてしまったわけで…カカシは「オビト」と「リン」の想いを守れなかった自分を責め続けたに違いない… とてもリアルに恋愛なんて出来なかったんじゃないだろうか。
そのかわり「愛とは何なのか」…壮絶なオビトとリンの生き様、死に様、愛を想いながら、ずっと考えてきたのかもしれない…「オビトとリン」を理解するために。
 
 カカシは、サクラの苦しみを自分の苦しみのように「感じて」ますよね。そしてサクラの傷ついた心を「思い遣る」… 
 
 カカシは「告白できないまま」逝ったオビトの心を想い、神無毘橋でもリンに「オビトの想い」を伝えていましたが… あれも「伝えずにはいられなかった」んですね。 そして今回も、サクラの想いをサスケに「伝えずにはいられなかった」…「愛に苦しむ」姿を見ると、カカシは放っておけない。それって、カカシ自身「愛に苦しむ」事を分かってるから…ですよね。
 
そしてカカシがあんな説教をしたのも、傷付いた「サクラの為」だけじゃなく…それは「サスケの為」でもあったんじゃないかと思うんです。 カカシは、サスケに「自分と同じような苦しみ」を与えたくなかったんじゃないだろうか…? 
 かつて「今、自分が為すべき事」で頭がいっぱいで…「リンの訴えるような想い」に耳を貸さず、バッサリと斬り捨てた「かつてのカカシ」と「今のサスケ」は似ているような気がする。
 
 でも、その後リンが死んでしまって…カカシはずっと後悔したと思うんですよね…「リンの想いを冷たく拒否した事」を。 
オビトとの約束を果たす事で頭がいっぱいで、リンの気持ちを受け入れる余裕も無く…そしてリンの心を傷つけてしまった。 だから同じ失敗を、サスケにはさせたくないんじゃないだろうか。
 
カカシは…オビトと再会し心を通わせたことで、ようやく今まで「責任」のように感じていた重荷、縛りから己を解き放つことが出来て…オビトとリンの「愛」も大切なものとして素直に受け入れる事が出来るようになって…やっと「愛」について堂々と語れるようになったんじゃないかと思うんです。 この前も、ナルト達3人に(心の中ではあるけど)「大好きだ」と言えたのも、今まで心の中に厳重にしまい込んできた「愛」やら「心」を思いきり解放できたから…でしょうか。
 
そして、さらにもう1つ…「今までカカシを縛ってきたもの」からカカシが「解放」された事が分かるセリフがあります。 それは…
 
 
「理由があるのは人を嫌いになる時だけでいい!」
 
 
 
・カカシと「道理」
 
…カカシがそれを言うんかい!と…これも「驚き」でした。 これはサスケの「道理」に対しての反論ですが、カカシの口から遂に「道理にこだわらない言葉」が出るとは…。
なにせ今までのカカシは、気の毒なほど《理(ことわり、セオリー)にこだわって自分を縛りつけてきましたから…。
 
 
「さすがだなカカシ すごい理解力だ」 
「さすがカカシ先生 またまたすごい理解力!」…
 
これは度々話題に出している、567話の珍獣と馬…いやガイとナルトのセリフですが、私はこれを勝手に「カカシの理解力フラグ」と呼んできまして(それについては「ウザい」とお叱りも多々頂いてきましたが…)ようするに、カカシと言えば「理解力」、理を解する人…セオリー好きの理論派のイメージがあるってことです。 でも、あまりにも「理」にこだわりすぎて、もう1つの理解の意味「心を解する」ほうが疎かになってる…と思っていたんです。ガッチガチに理論で自分を縛ってる感じがあったんです。
 
 もちろん「理解力」はカカシの長所でもあり、それを「否定」するつもりは全くないのですが… でも、こだわりすぎるせいで、「理」と「感情」がうまく合致しなかったり、バランスを取れずに苦しんでいたのも事実です。 第4巻で「忍者は国の道具、自分の存在意義を求めちゃいけない…だから忍者って奴は知らず知らず悩んでる」と言っていたのも、その「苦しみ」の1つ…
 
 そして、カカシの「理と感情の狭間での苦しみ」が顕著に表れたのが《636話》…時空間内でオビトと戦った時だと私は考えてまして…(これについても多くの反論ご叱責を頂戴したので…あくまで個人の考えという事でご容赦いただきたいのですが)…あの時カカシは、本当は親友である「オビトを死なせたくない」と思っていた(と思う)のに、それは「道理」に適わないから否定し、セオリー通りの答えを自分に必死で言い聞かせ…出した答えは己の「本当の想い」とは違うモノだった…。 あの時のカカシは本当に辛そうで… 
でもその後、ミナトがカカシの手を止めてくれて…ようやくカカシは「理」という縛りから己を「解き放てた」と思っています。
 
敵であるオビトを「倒す」のはセオリー。 だけど「オビトを死なせたくない」という想いに、カカシは「理由」を見つけられなかった。 だけど、「オビトを死なせたくない」と思う友情や「愛」に、立派な言い訳(理由)なんて要らなかった…カカシはそう思えるようになったんじゃないだろうか。「理」で語れるものばかりとは限らない…
  
あれだけ「理」…道理や理由、理論で己を縛っていたカカシが、「理由があるのは人を嫌いになる時だけでいい」…つまり「人を好きになるのに理由なんて要らない」なんて言えるようになったのも(こんなことカカシが言うなんてね…)、オビトとの「再会と闘い」を通して己と向き合い、己を受け入れ…己を縛りから解き放つ事が出来たからだと思うんです。そして愛情、想いを解放することができ、「理」に縛られる事からも己を解放できた…あるいはガチガチではない臨機応変な「理解力」、本当の理解力を得ることが出来た…って事なのかな?
 
…カカシはいつか「本来のカカシ」に戻る時が来るだろう…と願っていましたが、それは「写輪眼ではなく普通の目に戻る」とか「白い牙としてのカカシに戻る」という事ではなくて、もっともっと大切な事…
 
《恋愛や青春について声に出して語ることが出来て、理に縛られないカカシに戻る》って事だったのかもしれない…
  
それは意外でもあり、やはりでもあり…
 
でも、やっと「本来の自分を取り戻したカカシ」は…今度こそ「火影のガラ」なのかもしれませんね。